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実は危険?自由と多様性がもたらす不都合な真実 - 選択肢が狭まる理由:自由と不快のバランスの崩壊

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現代社会では、自由や快適さを追い求めるあまり、不自由や不快な体験を避けがちです。 しかし、それが本当に私たちの人生を豊かにしているのでしょうか? ▼平和で便利で安心快適ゆえに滅ぶ?!『平和の逆説:文明を救う「不自由」の力』 https://note.com/gigathlete_inc/n/nc9f2d9af2886 今回のエピソードでは、「不自由を楽しもう」「不快が人生を豊かにする」という視点から、自由と不快のバランスについて深掘りします。 不自由さや不快な体験が、実は私たちの選択肢を広げ、人生をより豊かにする鍵であることを考えさせられる内容です。 「自由」と「多様性」の裏に潜む矛盾
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今回はもっと不自由を楽しもう不快が人生を豊かにするといったテーマで色々話をしていきたいと思いますえここ最近多くの人が自由を求めてそして様々な権利を主張して全体としてこの社会全体がどのように

なって欲しいのかといったことをいろんなところで意見し望んでいないような世界になることはやはり私たちはためらいがありますので自分たちの価値観に合うそうしたいろんな人の考え方価値観これらが社会に

反映されてほしいとえそこにえ最近はですねえハラスメントというある種のえ他者からのま阻害や妨害これらを否定するそうした社会的な動きというものも強調されるようになってきましたのでとかくあらゆる

ことが自分にとって不快だと思った場合はそれをハラスメントという風に定義してしまうことによって自分が全く不快を感じなくてもいい社会というものを人々がこう目指していく主張していくといったような

風潮そういった流れが昨今加速されていっているように思いますこのまある種の不自由さを否定する自分が快適であることこれを妨害するものいわゆる不快になるということこれを拒絶してそしてえ不快に

ならなくてもいいような社会というものを目指すべきだというこれは個々人にとってみてですが1人1人が快適に過ごせる社会不快を感じない社会これらを個々人が目指してそしてえそのように制度を作っ

たり仕組みを作っていくと社会全体としては衰退してしてしまうこれは別のエピソードでも言いましたけれどもそうした状況を作ってしまった文明というものはいずれ滅んでしまうとでこれは私たちがえ

直面している置かれている状況に非常にえ有識問題としてこの辺りがあまりこう強調されていない意識されていないんじゃないかなと思いま前回はあのような形で発展をして社会が平和になれば人口は減って

しまい文明は衰退していって最終的には滅亡してしまうといったようなことを言いましたで今回はまそこまでま文明が滅んでしまうというようなスケールで危機感を煽ったとしても私たちが今この暮らしてる

社会の中でま生ぜ私やその次の世代が生きているとしてもま100年無効100年ぐらいの話ですよねその無効100年の間でこの日本というものが滅亡してしまったりこの世界が文明がなくなってしまうっ

てことは考えにくいと思いますなのでえあんまり現実的ではないというまそうした捉え方もできると思いますのでじゃあもう少し私たち今生きている間でま遭遇するであろう問題という意味ではこの不自由さを

楽しむとか不快なことを受け入れるということがいかに私たちの人生を豊かにしてくくれるかこういった観点でもう1度こう話しなした方がいいかなと思いまして今日テーマにあげていますでまず私たちが

あらゆる不快なことを拒絶して快適なことのみを私たちが自由に選択できるといったような社会がもし出来上がるとしたらどうでしょうかまず私たちのは選択権があって何をする何をしないということを自由に

選べるいう風なそんな権利を与えられたとしますそうなった場合私たちは何をするかしないかというのをどのようにして決めるのかというとま過去の経験とかあるいは得た情報の中から決めていきますよねで自分

自身としてはえ不快なことはしたくないのでなるべく快適だと思うようなことあるいはま不快ではないけれど快適までいかなくてもまそこそこの快適さでいいといったものをこうどんどん選んでいくと

そうなった場合に選択肢はたくさんあるように見えて実際には選択しているものがっていくので選択肢はむしろ減っていくわけですねとなるとえ話したくない人とは話さない余計な仕事は全くせずに過ごす

そうやっていくと自分がどんな仕事をしたいのかということに気づくチャンスすらも減っていくわけですね小さい時から自分がなりたい仕事これに興味を持ったというその仕事をそれ以降もずっとそれに近しい

仕事を選択し続けていくことになりますのでやってみたら面白かった事前にこれは不快かな面白くなさそうだなと思ったけれどやってみたら面白かったみたいなことを経験するチャンスはなくなっていく

わけですね常に自分がやりたいこと面白いと思うこと面白そうだなと思うことばかりをやっていくとなると実は選択肢があるように見えて選択肢は減っていってしまうわけです私たちは自分たちで選択できると

いうそうした権利を与えられれば与えられるほど偶発的に得たかもしれないチャンスというものを捨ててしまうことになるわけですねでこれは営業職の方はこういった感覚はあるんじゃないかなと思うん

ですけれども自分が取り扱ってる商品が相手にとってみて有益である相手のビジネスにとってみてえこれを役に立つでえその会社に対して利益をもたらしてあろうといったようなサービスや商品と

いうものを持っていた場合にそれをただ相手に単純に説明しただけでも伝わらない相手はなぜならその商品を買って本当に自分の会社のビジネスがうまくいくサービスがいい方に行くというところまで

まそこまでまだ理解ができてないとか興味を持っていないといった状態ここういう状態であればちゃんと説明をてそして説明だけではなく実際に使ってもらったりとかあるいは他者でえ使っている事例という

ものをま見せえその中で少しでも興味を持ってもらったり使ってみようという気分にさせていくという形で相手の視点だとか考え方とかこういったものを当初の考え方とか視点から違う方向に変えていくという

ことをこの営業職の中ではやっていくわけですよねえなので私たちは元々与えられたあ元々自分たちの与えられた環境の中で自分たちの好きなものだけをを選んでいく自分にとって快適なものだけを選んでいく

といったような選択肢を与えられてしまった場合に結果的に自分たちの人生を豊かではなくむしろ選択肢を狭めていくというそうした人生になりがちですここで1つ重要な考え方が家族的なものですねえ家族

これは私たちは当たり前のように家族という言葉を使っていますが血縁の家族であれば子供は親を選べないのと同様に親も子供を選べません産むか産まないかということを選ぶことはできてもその生まれてき

た子供がどんな子供に育つのかといったことは親は選べないわけですよねなので実は血縁の家族というのは全く選択的ではないわけです夫婦として配偶者の相手を選ぶというここにはまだ選択の余地はあり

ますが親子関係とか兄弟というものに関しては選択の余地がないわけです要は選択ができない関係性というものがここに出てくるわけですねでこれはある種の押し付けですので暴力があるわけですこれが相手の

領域に土足で踏み込んだとしても家族であれば許される理由ですねでこの家族というものは一体えどう捉えればいいかとなると家族で例えば価値観が合わないとかあるいは不快な思いをするようなことが

あったとしても家族だったら許せる家族だったら仕方がないとして助けようと思うことによってその相手の価値観だとかそれを取り組まないといけないということを経験するわけですねでそれが常に辛いこと

だったりえ不快なことである場合もありますがその中から新しいことを学んだり新しいことを知ったりするわけですね例えば兄弟にま体の不自由な兄弟がいた場合はその家族はそれによって体が不自由

な人に対する物のみ方というものがそうした人が周りにいない世界に住んでいる人たちよりも視野が違うわけですねそうなると家族というものはそうした関係性を自分で選択できないが故に嫌でも受け入れない

といけないという意味意味では多様性を許容するスタートだったりするわけですでこの多様性を許容しましょうというのはこれはいろんな考え方いろんな価値観があるので受け入れましょうという風に

聞こえますがこれもあるしの暴力性があるわけです自分と価値観が合わない自分と考え方が合わないような人であったとしても我慢して付き合いましょうということですよねなので多様性の尊重というのは

本当は自由を想起させるものではなくてその逆で我慢をするべきなんですねという意味では多様性を尊重しましょうということと私たちは自由なんだてことは実はお互いに真逆のことを言っていて自分たちが

自由でありたいと思うのであれば多様性を許容する社会というものはそれぞれが我慢をする社会ですので自由を多価するために我慢をしなければならないといったようなそこのセットになってくるわけですとなる

と自由という言葉自由というイメージと我慢をするというイメージえこれらは一見結びつかないように見えますが私たちがこの自分の人生を自由で快適にそして楽しくそして豊かにしていくというその一

面だけを追求していくわけではなくそこにセットについてくる不快だとか不自由だとかそしてその暴力性を受け入れるというこれらが実はセットになっているわけですで私たちはそのどちらに対して注意を向け

ているかというだけのことであって多様性を存生しましょうと言っている場合はその我慢している姿を私たちは意識しているわけではなくてみんなが我慢してくれていることにによって自分たちが受け入れ

られたあるいはあまり今まで受け入れられてこなかった人たちがみんなが我慢することによって受け入れられるようになったここを見ているわけですね多様性を尊重しましょうと主張している場合はあその

受け入れられたという面にフォーカスしているわけですしかしその裏側では多くの人が我慢を強いられることになるわけですねでただそれによって社会全体がそれぞれが少しずつ我慢をしたことによってえより

円滑にえそしていろんな考え方に触れることができるそして今までの自分の価値観の中では気づかなかったこと知らなかったことというものにもまた触れることになりますのでその我慢という一点においては

不快なことダメなこと不自由なことのように見えますがそれによって今までであれば体験をしなかったであろう自分で選択をしてえそのような体験をわざわざ自分でするという選択はしなかったであろうことを

半ば強制的に体験させられてしまうことになりますのでそういった意味ではその中で何かを学んだり何かを知ったりすることによって自分の価値観が変化したり新しい知識が知識や体験というものが手に入っ

たりするということもあり得るわけですねなので多様性を尊重しましょうと言ったそのセットになるのはそれぞれが少しずつ皆さん我慢してくださいねただその我慢をしたとしてもそこで得られる接点を持った

多くの人の価値観だとか体験が皆さんそれぞれに何らかの影響を与えてえそしてえ自分たちのま知識や経験というものを少しずつ豊かにしていく場合もありますよとでまあのこの場合はその可能性があると

いうだけで実際に必ずいい人生に豊かになっていくかどうかというのはまたその体験次第ですけれどもただあのここが今の社会全体のこのリベラル化自分たちの自由の方を強調しすぎるがあまり我慢しないと

嫌なこと嫌だ不快なことやらないでえその自由を選択できることが大事なんだという風に主張しすぎるがあまり実は私たちは多様性を認めましょう多様性を尊重しましょうと言いつつも我慢しないことを

セットで主張もしていますのでそうなるとどうなるかというと分断が起こるわけですね多様性とを主張している人というのはあくまでも自分が考える多様性のそのカテゴリに入っている人たちカテゴリに

あるものだけを取り出してこれらを容認するべきだという風に押し付けるわけですけれどもそれによってそこにカテゴライズされていない人そのカテゴライズの中では優先度の低い人たちがより強い我慢をし

なければならないといった意味ではその社会全体が平等に公平にえ少しずつ我慢しましょうではなくて自分たちが主張しているそのカテゴリーの中に含まれている優先度の高い人がより多くの自由や権利と

いうものを手に入れてえその裏側で不自由を強いられる人たち我慢を強いられる人たちがいたとしてもそれらはあまり考慮されないわけですね優先度が低いという風にみなされるわけですね本当の意味で

あらゆる人たちが平等でえそしてえそうした多様性という観点から見ても全ての人が平等になるということは現実的にはほぼありえないわけですねこれなぜありえないかと言うと主張した人そのある特定の

ところで多様性というものを主張したらその多様性とという風に主張されて擁護されてる中に含まれれないカテゴリーの人たちが出てくるわけですでその人たちがある時は無理を強いられて我慢を強いら

れるとでまたいずれえ少しずつこちら側の権利というものがあまりにも行き過ぎてるとなった場合は今度はもう一方の別のところにスポットライトがま偶発的にもそちらの方に人々の注意が向くようなこと

があった場合にえそこがまた注目されて多様性を認めましょうという風にこちら側の権利を認めましょうという風に時代が動いていくことが起こり得るわけですがそれはほとんどが偶発的に起こるわけで

あってそうなると巡り巡って全ての人が平等に扱われるという未来が来ないか来ないとは言いきれないわけですがそれでもバランスよく順番にそのような形でえちゃんとバトンが渡ってきて全ての人が

順番に権利を得ていくでバランスよく社会が全ての人たちの権利というものをちゃんと考慮されたようなルール仕組みになっていくという保証はないわけですねこれは特にアメリカにいたりするとそう

いった考え方に触れることが多いんですけれどもアメリカなど人種肌の色だとかあるいは羊どこで生まれただとかそういったところでえ社会全体における序列というものがそれは暗黙の序列でそれは表面的に

には明示されてはいませんがあ生活をしているとそういった序列を感じることがありますでその序列の中でえその明らかにえその社会的にえ低い地位にいると分かりやすくそのようになっている人たちという

のはある意味擁護されたりするわけですねえこれはあの黒人の人がブラックリブズマターというような運動を起こしてそしてえま黒人の権利を解放しよう黒人の権利をもう少しえ改善しようといったことを運動

起こしてますが古くはまキング牧師がですねえ公民系運動でえそういった活動をしてきましたがそうした分かりやすいえ活動だとか見えやすいそうしたあ差別やそうした不平等というものは見つけられるわけです

けれどもしかしアメリカの中でもアジア人だったりえネイティブアメリカンだったりえそうしたあさらに少数で分かりにくい見えにくい人たちというものは差別をされていったとしてもその差別をされていると

いう事実そのものに多くの人の関心が向かないので差別がずっと温存さるわけですねでそこに対して差別が起こっていますと声を上げたとしても誰も注目しないそこに耳を貸してそれを問題だという風に取り上げ

ないことによってその差別が起こっているということ自体もま否定されていくということが起こってしまうわけですねまそれでも時代がが進んでいけばいずれはそれも是正しましょうという風にえ社会が変わっ

ていくその流れにえなっていく可能性はなくはないですけれどもま何が言いたいかと言いますとこの社会が全ての人にとってみて平等になるという未来はあそのよ未には来るという保証はありませんなのでえ

多様性を尊重しましょうという活動に関してはその主張をしてる時にもその主張してる人の中の多様性という形があるわけですなのであらゆるカテゴリーあらゆる角度から見たものを全て平等にしましょう

という風にその人自体も主張しているわけではなくその人の頭の中にあるカテゴリによっての多様性だとか平等というものを言ってるにしかすぎませんのでえそういういう意味では多様性を尊重しましょうと

いう一見バランスよくあらゆるものが並列に扱われるかのような表現を用いいていたとしても実態としてその人の頭の中その人の主張だとか具体的なその平等にするための施策などを確認していくと実態としては

実は偏っていたりするわけですねなのでこれは今回のこの動画のま全体としての私の意見ですが私たちが他者に対して差別をするというのはこれはしてもいいわけではありますしそしてそれらを容認する気は

ありませんえ差別そのものはあってはならないと思いますしかし私たちが自由に何でも選べてそして不快なことは避けてそして快適だと思うことのみを選択できるみたいな社会になったとししたらかって私たちの

人生はつまらなくなってそして私たちの人生自体も選択肢が実際には狭まっていってしまうということにえ早く気づくべきで私たちはそうした他者に対してえ望れていないとしてもそしてえ他者があそれらをし

て欲しいというお願いががされなかったとしても要は意思表示として事前の合意がなかったとしても私たちは積極的に他者に関わるべきですねでえこれが昨今だと会社の中だと男性社員が女性社員に何らかの

いわゆるお切開をした場合はそれがセクハだと言われたりそれが上司部下だったらパワハだと言われたり要はハラスメント扱いされるわけですねコミュニケーションとして他者に対して望まれていない

コミュニケーションをま取ってしまったことによってそのコミュニケーションが不快だと受け取ったあそれをハラスメントですよという反応をすることによって封殺するわけですすると事前にそのアクション

を取ろうとしなくなるどうなるかと言とそれぞれがそれぞれ自分がいいと思うもの自分が選択肢の中で選択できるものだけをみんなが選択していくような社会というものが出来上がっていくことによってその

会社そのものも生産性が維持できなくなる会社としてでその中で働く人たちの人間関係というま気迫化していきますのでまある意味そのような関わり方やそのようなま文化というものを持っている会社という

のは従業員自ら自分たちはある意味無気質な人間関係というものを全くない状態でそして選択肢も自分が取りたいと思う選択肢しか取らないというそうした自分自身から部品化していくといったことを行って

いくわけですねなので気をつけなければならないのは私たちは自分たたちで選びたいもの選んでもいいとわ言われたもののみの中でえ自分たちが好きなものを選んでいくというそういった生き方しかでき

ないのではなくてむしろ逆で私たちの強み私たち人間が持っている能力という尊厳というものは自分たちが不快だと思うものや自分たちが望んでいないものが来てもそれらに対処ができる力ですねこれが本当の

私たちの本来のま尊厳と言いますか人間が持っている素晴らしい能力だと思います好きなものを選択して生きていくという生き方ではなくて不快なものだろうが不自由を強いられるような選択だとかそう

いった環境に身を置くことになったとしてもそれらを受け入れてでそれらの中でもどう対応していけばいいかというその対応に自分たちを能させたりその中でうまくいく方法を見つけたり発想を変えて視点を

変えてそこから新たなことを学んで吸収してそして成長してえそして社会をまたうまく作っていくということをやり続けれることこれが本来の人間らしさ人間としての人生を豊かにしていく生き方なのでは

ないかなと思いますこれを清潔社会という風に呼んだ人もいます私たちのこの社会が誰もがこの清潔な社会というものを望むことによってそれが過剰になって行きすぎると潔癖な社会になってしまいます

そうなるとこの潔癖な社会では他者とのコミュニケーションが基本的に取ることがありませんなぜならその他者に対してのコミュニケーションというのは相手がどう感じるかというのは事前に予測ができない

のでなのでよかれと思って何かを言った時にそれをハラスメントと受け取られかねないのでなので下手に声をかけない方がいい下手に関わらない方がいいそして自分も下手に関わられたくないえなので自分

たちは事前に用意された選択肢そしてその中で安全でかつ自分が楽しめるもの快適だと思うものの選択肢の中だけをピックアップして取っていくとそうなると私たちはこの環境だとかから学ぶことも

なけば人生にとってみて偶発的な自分の内面や過去に経験をしていないまだ知らない世界というものを知るチャンスもなくなってしまいますそして自分たちが適用していく問題を解決していくそうした

能力というものも養われなくなりますそうなると私たちはどんどんと脆弱化していき人々も繋がれなくなり連帯できなくなりそして助け合うこともできなくなります助けて欲しい時に助けてくださいという

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ことですねそうなるとおせかとして困ってますかということを聞くこともできなくなってきますもし相手が困っていないのであれば困ってますかて時に俺の俺のどこが困ってるように見えるんだよという風に

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ますなので全ての人に同じ声の書き方をした場合に必ずそれを不快だと思う人出てきますなのでどうすれば相手を不快にさせずに声をけられるだろうかという心配そのものが意味のない心配なわけですね不快に

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社会というものを生み出してしまったわけですねなので匿名で自分が何者か分からないそして相手も何者か分からないまこういった状態であれば遠慮なく相手が何を考えてるかなんてものを考える必要があり

ませんのでえそうなるとむしろ逆に先鋭化してしまい相手がどう思うかなんて考えずにいくらでも踏み込んだことに言えてしまうということを欧州としてこうお互いにやり合ってしまうわけですよねそうなる

となおさらお互いに助け合おうといったような意識は生まれなくなってきますのでこれはまた別のエピソードでも言いましたけれどもまクソリプがついてしまうわけですねそうやってこうクソリプの欧州と

いうものが始まり何の生産性もなくただただ見ている人を不快にしそしてお互いにも感情で疲弊していくといったことが起こっていくわけですねですのでま今回のこのエピソードを最終的にまとめますと

私たちはもう少しお切開をするべきでえそしてその最てるものは実は営業食なわけですけれども必ずしもこのお切開は害悪でははありませんえ他者に対して迷惑をかけるかけるわけではありませんこれは

迷惑だと思う瞬間があるかもしれません不快だと思う瞬間があるかもしれません例えば困ってますかと声をかけられてその瞬間もし困ってなければわざわざそんなことを聞かれて鬱陶しいなめどくさいなと

思うことはあると思いますしかしそうしたちょっとした他者に対するいわゆるお切開介入ですねが常にえ必要ではありませんがまある程度のこうランダム性を持ってえそうしたおせかや介入というものをして

いけばもう少し私たちは他者と繋がれてえそしてそうした選択できない関係性というものから色々学べることがあるんではないかなと思います多様性を尊重しましょうとかえ他者の様々な価値観だとか感じ方

そして自分たちが知らない体験していない知識をまだ持ち合わせていないえ考えもしなかったような世界観あこういったものに触れる機械というものは偶発的なものでかつこう押し付けられたものから得られ

たりもしますでですのでえそうしたものもま積極的に受け入れてえそしてえその中で多少の我慢だとか不自由さ不快こういったものも受け入れて我慢をしてそしてえその先にあるものその次に得られるものセット

で得られるものを楽しめるようになればいいんじゃないかなと思いますこれはあのどこかの誰かが言ってましたが今の日本人はそうしたことその自由を王化したい自由を選びたいといったような生き方がかっこ

いいという風に思うようになってしまったその裏それは不自由さんに耐えられない不快に耐えられないという軟弱さゆえにえそのような考え方を持つようになりそして自らのその軟弱さというものを逆にえ

かっこいいとそれが人生を多価する生き方としてえ素晴らしいという風に肯定することによって自らの軟弱さというものを逆にファッションにしてしまうことによって自分たちが軟弱になってダメになっていく

ということを逆にいいことのように見せることができてしまうようになってしまったということを言ってる人がいました私たちはこの文明やこの社会というものを反映させることだけが私たちの人生の目的では

ありませんがこの不快を楽しめない不自由を受け入れられないというその先には実は私たちは多くのことを犠牲にしてしまっているかもしれないというそうした視点を持っていただけるとこの世界の理不尽さや

そして選択できない関係性というものにも強い価値があるこういった視点を持てるんじゃないかなと思いますそういった意味では最終的には私たちはこの家族的なものというものを求める傾向にあるんではないか

なと思いますし私たちのこの社会を構成しているま基本的な概念基本的な単位というものもある種加速的なのかなとも思います学生時代の方が友人ができるというのはそういうことですよね学校に入った時の

クラス分けというのは自分で選べてません半ば強制的にそのクラスの一員として迎え入れられえそしてそこでえ出会うクラスメイトも学校が一方的に決めたものですのでこれもある種え暴力的な関係の

スタートですよねなのでそういう環境そういう状況だからこそ友達ができるわけで社会に出るとある程度私たちは選択肢を持ってしまう選択権を持ってしまうことによって嫌な人たちがいるように見える会社

にはそもそも就職ししなかったりそしてその就職した中でもま少し嫌な人だなと居心地が悪いなと思えばやめて別の会社に転職するという選択肢も持つことができてしまうようになりましたあそういう意味で

私たちは選択肢を持つようになれば一見え自由を手に入れたように見えてえ私たちが本当のに心から求めている生き方というものになっていかないそこから結果的には遠ざかってしまうとこともあり得るという

ことをま今回のテーマにあげたこの中この私の視点と結びつけてえ今日はちょっと終わりたいと思いますでちょうどこの話はあのえ前々回ですかねのエピソードで喋ったことをまもう少しこう体型化と言います

かままとめてあのノートの方にえ記事としてえ書いてあげてますでえその中のまある1部分ですねを今回はさらにえテーマとして取り上げて解説をしてみようと思って話してみました私の著作こり技術まだ読ん

でない人はAmazonでポチって買って読んでいただければと思いますそして書籍Kindleの方でえたくさん出てますので興味があるものがあれば読んでいただければと思いますIT系が多いん

ですがITにあまり興味がないと疎いという人であれば小説もありますのでえそちらの方も読んでいただければと思いますで今まだあの他にも執筆中のものが何何冊かありますのでそちらも出ましたら

告知しますので読んでいただければと思いますでは今日もお疲れ様でした[音楽]

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