今回も前回に引き続きメタ認知を身体的な操作身体的な感覚によってそれらを常に発揮できる方法についてより具体的にその捉え方や考え方これを補足していきたいと思います
まずこのメタ認知という私たち人間が用いている他の動物にはないその思考の能力ですけれども自分というものがいてその自分というものを含めた周りこれらを意識して自分の客観的な状態や状況というものを把握することができる
これは考えている自分をさらにもう一個上の自分が眺めて考えていること自体も考えることができるといういわゆる高次の、高い次元の思考ということですねこれが他の動物にはできないという人間ならではのこの思考方法
メタ認知 メタ思考私たち自身が何を考えていてそして世界をどのように捉えていて自分たちの振る舞いだとか行動これ自体も客観的に見て正しい行動が取れているのかどうか
そして自分たちのその思考だとか考えていることこれ自体も正しいのかどうか世界と適合しているのかどうかということを常にモニタリングをして考えることができるなので考えている自分をさらに考えることができるといった
考える対象に自分も含めたこの世界というものを眺めることができるそれを一瞬思い出したりとかした時にはできることはあったとしても常にどんな状態でもそして特にストレスがかかったり感情的になったりした時に
ついこのメタ認知というものが発揮できなくなりますなので怒りにやられてしまった時には冷静に考えれば自分にとって不利になるような行動だとか何のメリットもないような行動をとってしまったりするその逆もそうですね
嬉しくなったり感情的になってしまった時には合理的でない行動をとってしまうこれは感情的になった瞬間にメタ認知が効かなくなって一気に自分の思考の対象というものが狭まってしまう
これは前回のエピソードで解説をしましたけれども私たちは一生出れない映画館の中に閉じ込められた状態で常にスクリーンに映っている映画をずっと見続けていてその映画を見続けているということを忘れてしまうこれが感情的になった時に起こりやすいことですね
私のエピソードを初めて今回見た人や前回で初めて私のそのメタ認知に関する説明を聞いた人であればそれ以前はそういった発想がない場合はその映画のスクリーンに映っている映画そのものが自分の人生であり
自分であるという風に思って生きてしまうそうした生き方をしてきたかもしれませんが私たちはこの世界をありのままに見ているわけではなくてまさしく映画のスクリーンに映っているようなものを眺めながらそしてそれが自分の人生であり
そしてその中に自分も含まれていますので登場人物として出てきますのでまるで自分の人生は自分の行動によって切り拓かなければならないといったような思い込みこれによって私たちは
その映画の中のスクリーンの映画自体をなんとかしようとしてしまうこれによって私たちはもがき苦しみ結果が出ないことを後悔したり何とも言えない気分になったりするそれを前回はメタ認知というものを使うことによって
映画の中はあくまでも映画なのでその映画の中の物語を直接観客であるあなた自身が手を出して何かをするということはできませんもうその映画というのは投影されて観ている前からある程度決まっている状態でその
映像というものが投影されているだけなのでなので働きかけをするのであればその投影する本体投影機の方投影機の中に入っているデータや投影機にこれから映し出されるであろう
シナリオや脚本を書いている監督だとか脚本家彼らに働きかける必要があるわけですこの写ってしまった映像をなんとかしようとするのは無意味で努力の方向性としては間違っているわけですこれを前回は解説をして
具体的にそれを身体的なイメージとして体の使い方としてどうすればいいかということを一つの例をとって説明をしましたおさらいをしておきますと投影機というのは体の後ろ側にあるというイメージ
場所的にはどこがいいかというと肩甲骨の間です背中でも上の方になりますけれどもその肩甲骨の間の背骨そこから少し離れた位置 さらに後ろ『三つ編み』というものをイメージとして挙げましたけれども
『三つ編み』が私たちのこの後頭部から垂れていてその『三つ編み』の先に投影機が付いている映写機が付いている日頃はだらんとしていて背骨にピタッとくっついている投影機をイメージしてぐっとこう背中から引き離してみる
背中に力を入れると少し背筋が張って胸が胸を張ったような状態になるその状態で投影機が少し背中からふっと離れるというその状態をイメージしてみてくださいその状態でその投影機から前に向かって投影されている
そして前のそのスクリーンに対して投影されているといったイメージを持ってみてくださいそれによって私たちはその投影機の存在をイメージすることができますその投影機に対して何らかのアクション何らかの働きかけをする必要がある
この投影機から映像がどんどんと映し出されているけれども映画というものはコマが送られているその瞬間その瞬間に投影されて見ている瞬間が現実だと思っているわけですそれが時間軸でいくと
過去/現在/未来の中の現在が今投影されているものだという風に見るわけですねしかし現在というのはもうすでに投影されてしまったものになりますのでということは私たちにとっての現在というのは何かというと
投影されている瞬間のものこれを現在とした場合に実は現在というのは過去と同じで変えられないわけですなので未来も過去も現在も実は私たちは直接変えることができないわけです
現在は過去と同じでも投影されてしまっている状態ですのでその瞬間にはもう手を出せないわけですであれば私たちはじゃあどうしているのかというと実は私たちは常に予測をしてこれから起こりそうなものを一瞬早く行動しているわけですね
それによってこの現在に来るであろうコマというものをほんの少しだけ先に何らかの作用をさせようとしている実は私たちというのは高度に予測をするマシンです現在のこの目の前で投影されている映像自体が実は作用させてるわけではなくて
私たちは常にこの映像を予測しているわけですなので実際私たちはまだ映画に映っていないシーンも日頃から予測をして生きていますその予測をするのが実は一瞬早く予測しているんですけれども私たちはそれを予測しているという風に自覚できないぐらい
それが当たり前のこととなってますので脳は予測をしているということを感じさせないようにして錯覚を起こしているわけですそれによって私たちは日頃から予測しているということを意識することもなく
考えることもなく行動ができるわけですね私たちのこの指には筋肉がついてますけれどもこの手をどこまで動かせばいいかという風に考える時に脳は予測をしています例えば私の目の前にコップがあったとします
このコップには水が入っていてこの水をこぼさないように手を出してコップを掴んで私の口元まで持ってくるこの一連の動きをしようと思った場合に筋肉をどこまでどの位置まで動かせば
手が適切な位置に動くのかというのを実は脳はかなり緻密に予測を先にしていますなのでこの手が行き過ぎてコップを倒してしまったりとかもしコップが紙コップであればその握ろうとする時に紙コップを握りつぶしてしまう
みたいなことをしなくてもいいわけですね適切な力のかけ方で紙コップを潰さずにそして掴むことができて持ち上げてそしてまた口元まで持ってくる動きが行き過ぎないそして到達しないといったことも起こらない
脳が事前に学習をした状態で予測をしているわけです生まれたての赤ん坊などはこの予測というものがその元となるデータや情報が揃っていないこともあってどの程度体を動かせばそのような動きができるのかという元となる情報が少ないんですね
ですので予測ができない予測がほとんど役に立たないなので体をうまく動かすことができない私たちはその成長の中でその予測の精度がどんどんと上がっていく
データが溜まってくるので予測をすることが上手くなってくるわけですですので こぼさずに食べたり壊さずにコップを手に取って口元まで持ってきて飲むことができる
実は私たちにとっての現実私たちにとってのこの現在というのは実は少し先の未来なわけですこれが面白いことで私たちは映像を見て現在を見ている
この投影されたスクリーンの現在を見ているんですけれどもしかし実際には少し先を予測しながら見ていたりするわけですこれは会話でもそうですけれども相手が次に何を言ってくるかというのを実は私たちは予測しながら話を聞いています
それに応じて私たちも何を返せばいいかというその返答自体も予測をして考えていますですので実は私たちは現在を生きているわけではなくて少し先の未来を予測していて予測しているその時間
予測している部分これが私たちにとっての実は現在だったりするわけですねですので私たちにとってみて働きかけをしなければならないのはその少し先の未来というものが実は私たちにとってみて動かす可能性があって
働きかけをするための時間軸なわけですこれが現在本当にこの今たった今のこの瞬間スクリーンに映った映像の映っているこの瞬間に働きかけと思ってももう遅いわけです
それは過去と同じなので作用をしようにももう変更ができないですので私たちは常に予測をし続けるマシンでありそして予測をするからこそその後のそのこのスクリーンに映るであろう映像に
何らかの作用を及ぼすことができるかもしれないと思える投影機(映写機)を背中にあるイメージを持ってそこから投影されているこのスクリーンの映像を変えようと思ったら今この瞬間写っている映像を変えるのではなくて
これから先 次に映るであろう映像これから先 映ろうとするようなものこれをどう予測をして変更をかけようとするかということを考えるわけですねこれがメタ認知を使った
さらにもう少し高度な働きかけの仕方ですねなので現在のこの瞬間に起こったことに反応していく、だと常に遅れるわけですすると物事を変更していくというよりはその起こった出来事に
後手後手でただ対応していくにしかなりませんしかし私たちは次にこれが起こるであろうということをこんなシナリオが来るだろうというのを想定しつつもこういうシナリオになった方がいいんじゃないかという風にしてシナリオ変えようとしてしまうわけですけれども
私たちはあくまでも観客なのでシナリオを直接変えることができませんその投影機の側では次から次にその現実らしきものをストーリーとして作ってそして投影していくわけですね
観客である私たちそして後ろで控えているその投影機に働きかけをしている脚本家とか監督は観客である私たちの反応を見てはいます私たちがある程度解釈ができるようなシナリオでなければ
そこで投影されているスクリーンの映像というものが意味がないので観客が理解できるもの観客がわかるもの観客が期待しているものを投影しようとするわけですねすると観客である私たちはどうすればいいのかというと
どんな映画を見たいのかということをリアクションしていくわけですその映像の中で流れている映画の台本シナリオを事細かに選択していくという意味ではありません私たち映画を観るときに
映画を観る前から初めて観る映画のシナリオがあらかじめわかっていたらつまらないですよね私たちは映画を選択することはできてもシナリオは選択できないわけですなので映画がどんな映画なのか
SFなのかコメディなのかヒューマンドラマなのか様々な映画のジャンルそして大まかなそのモチーフだとかテーマだとかこういったものは事前の映画の選択の条件として選べることができるわけですけれども
どんなシナリオで展開されるのかという事細かなシナリオまでは選択できないわけですなので私たちがこの世界を生きる上で事細かに1秒おきにどんなことが起こるのかというのを事前に考えたり
そのようなシナリオを作ってくれという風にお願いをするようなことはできないわけですけれどもただどんな映画を見たいのかと言ったことは選べるわけです私たちは観客ですのでどんな映画を観るかということを
別の上映室に移ってみるということは可能なわけですけれども実はでもその映画の今座っている席から立ち上がって隣の上映室に動くというのは実はかなりのエネルギーがいるわけですそれよりも今流れてる映像をそこに座って
じーっと流れてくるものを観た方が楽ですよねなので現状を変えるというのはそれだけエネルギーが必要なわけです立ち上がってそして別の部屋に移るわけですけれどもその場合にそこで上映されている映画が
自分が見たいものなのかどうかというものも判断しないといけないその映画は無限にあるということです私たちはどんな映画が今上映しているのかを知らない状態で移動していくわけですけれどもその際に入って少し見てみたらこういう映画かもなと予測をして
でその際にそれぞれの映画というのものは連続性があるので自分たちが見たい映画というものがこれだっていう風に決まったとしてもその通りの展開に本当になるのかまだわからないわけですねですのでそういう意味で私たちはその映画を見ながら予測をして
これは多分後半の展開はこうなるかもしれないなという風にして予測していくわけですしかし私たちはその映画を見る時にシナリオを一応見てはいますけれどもシナリオだけで結末をこうだと決めつけたりしないわけですよねその映画全体が持っている雰囲気とかテーマ性だとかこういったものをかなり引いた状態で映画を見ていると思います
映画の中の登場人物に感情移入をしたり映画の中の些細な出てくる小物だとかあるいは登場人物のセリフだとかこういったものも受け取って参考にはしていきますが全体としてこれはホラーだなとかこれはコメディーだなとか
というものを見ながら自分はコメディーが面白いなとコメディーを見たいなと思っているそれを期待して見続けていくわけですよねなのでその出てくるその映画の中の登場人物の一つ一つのシナリオが気に入らないからじゃあ他の映画を見ますと言ったことよりも
それらもひっくるめて全てが自分の予測通りではない思い通りではないけれどもおおむね大まかにこの映画が訴えかけしているテーマだったり大きなナラティブ(文脈)は自分は望んでいるものだ見たいものだという風にして選択していくわけです
映画を選択していくという観点から考えるとかなりメタな視点が必要なわけですねもうすごく狭いところの視野で物事を判断するのではなくてもっと大きな映画全体でいくとこの状況がどういう展開として必要なプロットなのか
もしかしたら全く必要がないプロットかもしれませんがそれは後になってみないとわからないわけですよねなのでいちいちいちいち一つ一つの小さな出来事に対して視野がすごく狭くなってそこに反応してしまうのではなくて常に引いた視点でメタな視点でその物語全体を見ながら
別の物語、別の映画にした方がいいなとかという形で私たちは選択をしていくぐらいしかできないということですこれを何とかして頑張ってこの映画そのもののシナリオやストーリーを変えようと頑張ってしまうこれは努力が無駄になります
なので努力という意味においては何かに対してやはり効果のある努力をしましょう良い努力 悪い努力というものがあるこれはシナリオそのものを変えようとする努力というのは効果がありません
これは上映を見ている観客が観客でしかないのに映画の中のシナリオをなんとかして変えてやろうと頑張るようなものですねこれは無駄な努力になります有効な努力というのは映画を変える 別の映画を観るという風に切り替えて
席を立って別のところに行くこれが私たちが本当にできる努力なわけですねなので私たちはこの努力が有効かどうかというのを見極める際に常にメタな視点があるかどうかというのはとても大事なわけですこのメタな視点がない状態で努力をしてしまった場合
その努力が結果的にうまくいくという風に展開されることもありますでもそれはその映画の中のシナリオがたまたまそういうシナリオに流れていっただけであってその観客であるあなたがその観客として例えばシナリオのがもうあらかじめ決まった映画の中の登場人物に対して
何か大声で叫んで それによって本当に登場人物が映画のスクリーンからカメラ目線で振り返ったとした場合それはきっとあなたの出した声に対して反応して振り返ったように見えますよねただでもそれは偶然なわけですなので努力を必死にしたからといって必ずシナリオが変わってくれるとは限りませんし
それはもし変わったとしても偶然なわけですなのでメタな視点というものがない場合はほとんどの行為というのが偶然に任せてしまうことになりますそのあらかじめ決まったシナリオ通りに進んでしまうそれに対して何とかしてシナリオを変えてやろうとすること
これは努力が結果的には実を結ばないということになりますので私たちがやれる本当の努力というのはそれではなくもっと大きい視点で広い物文脈を捉えた上で取れる行動というものは選択をするそしてその場合は目の前のスクリーンに対して
何かしてやろうでなくて映画そのものを変えるという選択をできるかどうかですねこの場合は映画に夢中になってその中に自分の感情が入ってそしてその登場人物かのように自分がその映画の中に夢中になって取り込まれている状態ですと
そのメタな視点というのは持ちづらくなってしまいますのでなので前回のエピソードではそのメタな視点を常に瞑想状態でもなく日頃の活動をしている 起きている 覚醒している状態でも持ち続けられるような身体操作というものを一つ例としてあげました
私たちがこのメタな視点をちゃんと持てるかどうかによって物事を変更するのに感情的になることがいかに危険か感情的になってしまうとその映画の中のシナリオに自分が入っているかのようになってしまって自分がその映画を観ている観客であることをすらも忘れてしまって
その中に取り込まれてしまうわけですね映画は巧妙に作られた映画というのは私たちをついつい観客であることを忘れさせていきますそれはよくできた映画ですよねですので他者が書いた 誰かが書いた
そのように仕向けられた映画に対して観客ということを忘れてしまうぐらい没入させられるほとんどの人がその観客であることを忘れてもしかすると生まれてからずっとその観客であることを疑いもせず自分はその映画の中の登場人物なんだと思い込んで
生きている人が大半かもしれませんなので私たちは映画館にいて映画を観ている観客なんだという風に自分でまず気づくこと まず目覚めるということ目覚める上でただその映画館から一生出れないのでであればこの映画館の中で生きていく
自分たちの人生をいかに楽しく有意義に過ごすかとなると映画を選ぶ 映画をチョイスしていく変更していくということを考えて生きていけばいいんじゃないかなと思いますこのメタ認知というものを日頃から鍛えるという意味でも
そのこの映画がちょっと変だなとか気に入らないなとかここから先の展開を考えてもこれはきっとつまらない退屈な展開だなこれは自分にとってここから先は楽しめない映画かもしれないなと思った場合はその映画のシナリオそのものを変えようとするのではなくて
観ている映画自体を変える席を立って別の上映されている映画を楽しむといったような形で少しエネルギーが必要ですけれどもそのエネルギーを無くさないように日頃から意識してもらえればいいんじゃないかなと思います
そのうちその上映されているシナリオというものはそれは当然この後ろの映像を作っている映写機に映像を作って流している監督や脚本家はあなたの行動を見てますのでするとそのあなたが席を立って他の映画を見に行くんであれば
やはりそれに合わせて作らないといけないわけですねこれがあなたが席を立たずにその席に座ったまま不平不満をスクリーンに向かって言ってるとしてもあなたがその席を立っていないということはその監督や脚本家は
とは言っても席を立たなかったのでこの人はこの映画を最後まで見ようとしているとなのでこの人は楽しんでいるんだと思われるわけですねこれはあのこの私が作った動画YouTubeやPodcastやテレビの番組でもそうですけれども
視聴率というものがあります不平不満を言って文句を言っているけれどもその人は見ているわけです最後までこれは最後まで聞く見たということはその人にとってみて
そのコンテンツは望まれていたと判断されるわけですねなので1番はチャンネルを変える動画を別の人の動画に切り替えてしまうあるいはもう画面を切ってしまうこれが本当の意思表示なわけです
このシナリオは気に入らないと言ったことを決断してそれらを見せる方法ですねですのでこのシナリオが気に入らないとかこの流れが気に入らないと文句を言うのではなくて席を立って別の映画を探しに行く
そしてその別の映画もまた自分に合うかどうかというものを見ながら予測をしていくといったことを検討して行動に移してみてください現実を変えるというのはそういうことで私たちは事細かに全てのものを変えられるわけでもなければ
コントロールできるわけでもありませんせいぜいそのようにして意思表示をして別のシナリオ 別の展開があるような映画それも事細かなシナリオという意味ではなくて大枠の大まかな「私はこういう映画が観たい」
「こういうテーマのものが望ましい」とそして最終的なそのエンディングというものは「こういうエンディングになるようなものが観たいんだ」というそれぐらいしか選択の余地がないわけですなので途中過程としてどんな展開をするのかとか
どんなシナリオなのかということまでは選択もできなければ影響を与えることもできませんそういう意味では私たちは引き寄せの法則といったような結果に対して何かを求めていくという大きい文脈に対して
行動を起こして何かを手に入れるということはなんとなくはできていくわけです選択として行動をしなければいけませんのでそういう意味では回数というものは当然必要になる何もしなくても ぼーっと映画を見続けていれば
自分が見たい映画がいずれ流れるみたいな受け身な状態で映画をただただ見る観客としてそこに座り続けていればあなたがそこに座り続けているということはそれはその投影機(映写機)に対して
映像やシナリオを作って流している監督や脚本家からすればあなたが望んでいる映画だとだったという風に判断されますのでなのでその映画見させられていることにも気づかずにただただ不満や文句を言っていたとしてもそれはその映画のシナリオに対して反映はされません
ここが気づいてもらえればメタ認知というものをいかに有効に使ってそしてそのメタ認知がいかに強力でいかに重要か私たちの体を元にしてトリガーとして発動させるというそういった習慣を持ってもらえるといいんじゃないかなと思います
そうなるといずれ体が習慣づいてくるとわざわざ体の特定の部位を意識するようなことがなくてもメタ認知が発動できるようになってくればこの世界を捉える時に私たちがどう行動してどう振る舞えばいいのかというものも
2歩も3歩も先の予測まで先回りして行動するみたいなことが当たり前に普通にできるようになってくれば自分も望む生き方や望む世界というものを構築していくことができる私の著作『超える技術』まだ読んでない人はAmazonでポチって買って読んでいただければと思います
そして他にも著作いくつか出していますのでもし良ければAmazonで買っていただければと思います小説も今2つ出してどちらも思ったよりもまだあの反応がもらえていないのでぜひ読んだ人は感想等いただければと思います
ディストピア的なSFがどうしてもこう続いたので次はちょっとしたコメディとかちょっと変なテイストのものを書いて私自身もそういういろんなジャンルを書いてみたいなと思いますので私自身もちょっと挑戦してみたいと思います
本日もお疲れ様でした
