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【❌言語化神話崩壊】⭕️ビジュアルシンカーが未来を変える:視覚思考の鍛え方 [ ポッドキャスト 自己啓発 成長 目標達成 心理学 podcast 人間関係 ChatGPT ]

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ビジュアルシンカーが世界を変える! 視覚思考者(ビジュアルシンカー)が社会でどのように活躍できるかについて考察するエピソードです。私たちの社会は、言語思考者に有利な構造を持っており、視覚思考者が評価されにくい状況が続いています。しかし、視覚思考者が持つユニークな視点や能力を最大限に活かせば、より良い社会を築くことができるはずです。 今回のエピソードでは、過去のコンテンツを再編集し、視覚思考者に対する理解を深めるための内容をお届けします。前半は視覚思考と言語思考の違いや、それぞれの特性について詳しく説明します。後半では、視覚思考者が社会で力を発揮するための具体的な研究や取り組みを紹介します。
文字起こし

ビジュアルシンカーがこの世界で活躍するために私たちの社会というものは一歩ずつ前進をしていますビジュアルシンカーがこの私たちの社会にもたらす大きな影響この成果を最大化すればもっとこの世界は

より良くなるはずです私は前回資格思考言語思考このそれぞれ私たちは人間として両方の能力基本的には一般の人たちはどちらかの能力をより優位に持っていたりするわけですけれども極端に資格思考に

偏っているあるいは原語化思考に偏っているこうした場合は言語化思考に偏った人の方が私たちの社会はより高い評価を得るという特性がありますそのせいによって資格思考者ビジュアルシンカーが評価され

にくい社会構造になってしまっているせいで学業だとかあとは会社の中でも評価こういったものも取りこぼされてしまうという社会的損失があるという話をしました今回は前半は過去の動画を再編集して私はあの

ビジュアル進化に対して擁護するような内容でま言語化能力を過剰に評価することを批判しましたがしかし動画自体は私が一方的にずっと言語を使って説明するというスタイルで全く資格試行者ビジュアル

シカに優しくない構成になっていましたのでまその辺り少し再編集してまビジュアルシカよりにとは言ってもまほとんどが私の一方的な語りで言葉で説明していますので完全なビジュアル進化のためだけという

ような形には全くならなかったですけれどもまそれでも育分化前回え作った動画よりも見やすくなってると思いますがそれらを前半に持ってきてで後半にはそしてさらに資格試行者と言語試行者の違い一体どう

いったところにその能力の違いというものは出てくるのかえその考え方とか頭の使い方が何に由来するのかといったようなその2つの比較に関する説明とさらにこのえビジュアルシンカーがより社会で力を発揮

しやすくなるために様々な研究や実験そして取り組みというものがもうすでに行われていますまそうした研究の紹介も踏まえて動画の後半に入れておきたいと思いますですので前回の動画をもうすでに

見られた方はま後半から見ていただいて新しいえ更新部分を見ていただいてもいいかなと思いますしえ今回のこの動画が初めてだという人は頭から最後まで見ていただければいいかなと思いますそれでは

前回の動画の再編集したものをご覧ください資格思考と言語思考この違いについて解説したいと思いますえ巷ではえ言語化できなければ意味がない言語化が全てといった書籍がたくさん溢れています

これらは言語化することが優位であり言語化できないものは劣っているといったようなあ言語の万能感を角に煽り立てるえ結果かと思います私たちは言語を操るがゆえに他の動物に対して私たちが優れている点は

言語を操ることであるという風に極端にこの言語というものを課題評価している嫌いがありますしかし私たちが持ってる才能やあ実際の実生活におけるアウトプット成果というものは実は言語化

できることによってもたらしているもの以外のものの方がはかに多く実際に言語化したことによって得られたアウトプットというものはそれほど多くないという事実がありますにも関わらずこれほどまでに言語

化することが課題評価されて言語化できる人と言語化ができない人この2項軸に分けることによってえ多くの人をより言語化できる能力を身につつけるべきだと迫るそういったことによってこの社会という

ものが徐々に崩れつつあるこれは最近の話ではなくえ過去からずっと続いていることではありますがしかし昨今の技術確信によって徐々に言語化できることの優位性というものが崩れつつあります今回はあ今後

未来を見据えるとこの言語化できるという能力があ今え今まで以上にえ能力を失うことになりえ成果もそれほど評価されなくなる未来というものがやってくると思いますそうなると言語で考えているえ言語

思考よりも資格ビジュアルですねええ見たものや映像で物事を捉えるという資格思考の人間の方がより多くの成果をもたらしてあろうという未来予測のもにえ今後の展望や私たちがいかに言語というものにえ過に

信頼しているか過剰に評価を頼りすぎているかという点の問題点について解説をしてみたいと思いますえ昨今のま言語化思考言語化進行ですねえ言語化できるのが偉い語化するべきだえビジネスパーソンは皆

言語化できるべきで言語化ができない人は劣っているといったようなことをま煽るようなビジネス書が書店にはたくさん並んでますしまそれが書店に並んでいて多く売れているということはまそういった本を

買う人はま言語化を求めている言語化が評価される社会というものにま共感しているといったような現れかなと思いますでこれはまあのちょっと1歩引いてみればま当然のことかなと思いますそもそも書店に

行ってえもう文字だけで書かれたそういった書籍をあり方がって読む人ま人文学系の本を読む人というのはそもそも言語化能力が優れていてそしてその言語化能力が優れているからこそえ言語化できなければ意味

がないというそういった自分自身のま優れた能力を賛美してくれる評価してくくれるものに当然共感しますなのでその言語化が全てだとか言語化ができなければ意味がないといった本を買う人とというのは

そもそも言語化できる能力に自信がある人言語化できることが高く評価される社会に共感している人ですしかし実際の社会はどうなのかこの世界は一体どういう仕組みなのかということをいろんな研究から考え

てみますと私たちはいろんな才能やいろんな能力を持っていますが思考する時考える時ですねえ何かを記憶したりえ何か表現をしたりそしてえインプットとして得られた情報を元にそれを理解したりする際

に言語というものにどれほど重要性があって言語というものがいかに私たちの思考やあ表現にえま道具としてえ万能であるのかどうかという観点から考えてみますと実は私たちの理解や思考には大きく分けて2つ

のパターンがあるということが研究で分かりましたでそれは言語で考えて理解するという人とええ資格情報ビジュアルやあ図やイラストそういったもので考えて理解する人という風に大きく2つに分かれ

ますでえこの2つの2種類に分かれる完全にばっかり分かれるわけではなくてその間もいますのでなのでそれは度合としてま程度としてですねえどの程度を言語で考える方の能力に偏っているのかあどの

程度を資格で考える人にえ分類されるのかというまこのスペクトラムこの2つの間の度合いでえそれぞれが分類されることになりますがもう完全な言語で考えて理解する人え言語のみでえ考えて言語のみで

理解して言語のみ表現として言語のみを用いるといった人はま全体全人類の全体の4程度となりますでえ資格で考えて理解するというような人完全にま資格にえ大きく偏っているえ何か理解する時や表現

しようとする時には真っ先にえ資格情報映像だととか絵とか図だとかえ空間の立体構造だとかこういったものがまずイメージされてえそれを元にして理解しようとしたり表現したりしようとするという考え方

ですねえの人というのはそれに大きく偏った人というのはあ全人類のうちのま3大体1/3ぐらいと言われてますでその中でもその資格情報で理解する人の中にも大きく分けてま2つの理解の仕方があってま1つ

はあ空間資格空間として理解していくというこれはあの物事を理解する時にま大まかな図大まかな立体構造として理解していくというようなタイプの人でえこういった人は

数学者やプログラマーあるいはチェスの選手パターンを見出すことが得意ですのでまエンジニアリングに向いていたりしますでえもう1つの資格でえ思考するタイプの人はあ物体四角これはえより詳細に写真の

ようにあるいはビデオカメラで撮影した映像かのようにえディティール詳細なあ部分にまでえ記憶をして理解して頭の中で再現していくという現実リアリティのあるものをそのまま把握してそのまま頭の中で

再現していくといったタイプの人でま写真のように覚えて考えるといったような人ですねでこれはも極端にえこちら側に偏っている人というのは自閉スペクトラム症まあの通称ま自閉症と言われるような診断

結果が出たりしますがまこの自閉スペクトラム症これはあの元々昔はこういう診断名がなかったのでえそれがあ自閉スペクトラム症であるという風に言われなかったかつての偉人たちというのは

たくさんいるみたいですけれどもま最近は診断名がつきましたのでまそれがあのその子供の個性のうちの1つであるといったような形でま診断が下されることがありますがあこの自閉スペクトラム症の人は

ですねえま図形を探す能力が非常に高く資格能力が非常に高いとその反面え社交性だとか社会的なルールだとかあ他人の気持ちを組みとるとかといったようなあま言語で理解していく社会的なルールを理解

していくということがとても苦手だったりしますなのでえ概念だとかあ中小的なま哲学だとか社会的ルールだとかあこういったものに関してはなかなか理解が進まない反面現実の世界でえま手に取れるもの

触れるものあるいは直接観察ができるもの見れるものこういったものに対しての理解だとか興味が非常に強いという傾向がありますなのでこういった人には発明化とかあ技術や実際に手を動かして物を作るといっ

たようなことにたけているえ人が多くまかつての偉人もですねえ今であれば自閉スペクトラム症と診断されるような人というものが歴史的にはあたくさんの異業を成し遂げた人というものがいますでえこの

極端にえま資格でえ理解していくという能力に偏った人というのはあまディスレクシアといってま失語症ですねえ文字が読めないあるいは言語の習得話し始めるのが遅いといったようなそういった

特徴がありえそしてまそのディスレクシアであるということをま公言しているま会社の経営者だとか偉人もたくさんいますIKEAの創業者とかあとはあバージンえバージングループの会長のリチャード

ブランソンとかあとは俳優のトムクルーズとかでピカソもそうですねであとはアインシュタインえでアインシュタインも6歳からバイオリンを習っていてでえ思考したりえする際に行き詰まった時にはもう

バイオリンを引いてえいろんな考えを巡らしているともうアインシュタインははっきりと言ってますねえ何か新しいそういったアイディアを思いついたり考えたりする時に言葉から考えることはまずないと

自分の中で図形だとかイラストだとか記号だとかなんかそういったものでえ新しく何かを理解しようとしたり自分の中で組み立てたりしていくものだといういう風にえ公言してますでえこういった今言った

偉人たちは子供の頃というのはあのま学校の学業の成績が悪くま学校ではあこの子は問題人になるあるいはま勉強についてこれないのでえま学校では面倒見切れませんと言ってえま落大者という風にえ評価された

偉人たちもえ少なくはありませんでえその中でもま特に有名なのはエジソンですねえエジソンはあ葉を話すのが遅くそして社交性も低くえ何か新しくものを覚えるのもま学校の事業としてはあま点数があまり取れ

ずで問題ばかり起こすのでえ学校では面倒見切れないということでもう学校の教育とは別でですねえ家庭学習やあとはあの電子技士の元でいろんなことを学んでいく実際にあの電信を触らしてもらったりとか

いろんな実験をさせてもらいながらあ自分で手の触れられるもの実際に自分の目で観察ができるものこういったものから興味を持ちながら実際に理解していくとでその理解に対しての執着心や興味の度合いと

いうのが非常に高くそこにもうのめり込んだらもう徹底して理解していこうとするというような傾向があったということでえそういったあまかつての偉人たちはま運が良くと言いますかそれらをサポートして

くれるような環境やあ人物との出会いというものがたまたまあったおかげでその才能を開花させることができたということですでえこれはあの何を私はじゃ今回えこれが問題だという風に言いたかったかと

言いますとえこの資格思考者というのがある一定の割合でこの世界にはいてそしてえその人たちがあ自分たちの能力が生かせるような教育やあ仕事の機会というもの与えられていればあ今説明したような

偉人たちえのような成果がもしかすると出せたかもしれないえそういったチャンスがあったかもしれないにも関わらずえ実際にはですねえそういった人たちは今の教育制度や社会制度の中では過に言語化すると

いうことが評価されすぎる社会のせいでえ学校教育の中では落大者と言われそして社会的支援を受けられずそしてえ自分たちのに適し仕事にもつけずえ低い評価のまま行きづらさを感じて能力を埋没させて

しまうといったようなことが起こっているんではないかと思いますで言語化して理解していく言語化をおま重視している人というのは世の中でいけばま営業職の方が多いわけですねで言葉でえ相手と

コミュニケーション取りながらあ言葉で正しく説明するだとか相手が言ったことを言葉のまま受け取ってえその言葉によっての理解をしようとしていくといったいわゆるえ最近の言葉でいうビジネス

パーソンというやつですねえがあこの言語化というものに過度な期待をしておりそして過度な評価を下そうとするそういった社会構造社会システムになっているでこれは学校教育の現場でもそうですねえ

言語化できるもの言語化によって学校のテストやあそういったえ理解度能力を図る際にも言語化できる人言語化する能力がえ優れている人の方が有利ですね点数が取れますでそういった人があ優秀な大学や教育

のチャンスを与えられそして評価が高いので就職の際にも有利になるといったような形でこの社会全体があえ言語で考えて理解するといった人に対してま過度に有利になっている評価されすぎるという社会構造

になっているということでえ本当にこの世界において様々な才能や様々な能力を持っている人たちが本当はいるにも関わらずこの社会が偏った方面でえ評価してしまうような社会になることで取りこぼし

てしまうわけですねこれは社会全体としても非常にもったいないですしあと人々が自分たちの能力にあった適切な評価を受けられてかつえそれらを生かせるえ幸せな生き方が本当は望まれるわけですけれども

思ったほどにえまダイバシティ多様性というものが実現されてないとで昨今はこのダイバシティというものがあま性的思考性とかあとは人種とかあとは出ですねえ生まれた国だとか文化民族こういった意味

でダイバシティは使われますがこの能力という面におけるダイバシティというのはまだまだじゃないかなと思いますでえこのま資格思考者まビジュアルシンカーというものをですねえがあ実際には社会的な様々

な貢献を本当はたくさんしているんですけれどもそれ自体があそもそも正しく評価されておらずえ学校の教育や社会制度自体もそうした人たちをよりえ強化していくような支援や教育プログラムというものが

用意されていないのでほとんど取りこぼしている状態ではないかなと思いますでえ過去の事例を見てもこのビジュアル進化資格思考者が単体で何かを成し遂げたというよりはその方たちはこの社会で評価さ

れにくいえ中で生きてきてますのでえどこかの別の能力を持った人とペアとなってえ社会をの中で評価されていくといったような成果を出すというパターンがいくつかあったりしますそういった意味では思考

タイプをま混合したあチームとものが本当の意味でのダイバシティかなと思います多様性を重視した多様性を尊重したチームでないかなと思いますでこの組み合わせとしてはま有名なところだけをざっあげたと

してもえまAppleの創業者のスティーブジョブズえスティーブウォズニアックのペアそしてえMicrosoftの創業者であるビルゲイツとあとポールアレンえあとは

Googleの創業者のセルゲイブリンとラリーペイジそしてえFacebookの創業者のマークザッカーバーグとエドアルドザベリオてィのあるもので考える物体試行

者あこの組み合わせですねえなどでえ成果を出していくということでえ実際にはですね今あげた2人のペアでもこの2人のペアだけでえ会社を作って乗り切ってるわけではありませんのでえそこにもさらにえ言語

化が得意なメンバーがいたりえ空間思考の得意なメンバーがいたり物体え思考のま得意なメンバーがいたりというのでそのメンバー同士でお互いの得意なところというものを補い合っているというような

組み合わせでえま大きな異業を成し遂げたというようなあ現実がありますで私があのこの後ですねこの未来見通すとどうなのかというとこの言語化に関してはあやはり今AI生成AI言語を操れるような生成AI

が出てきたことによってもう私はその言語化できるという能力はどんどんと評価されにくく今後なっていくんじゃないかなとこれは今までが過剰に言語化できることが評価されすぎた社会だったことによってえ

こういった言語化できるという能力は実は生生AIを含めえそんなに大したことはないんじゃないかと生AIがやっていることというのは現実のリアリティのあるものを言語にしているわけではなくて言語

自体を操ったことによって現実の世界とは全く別の言語空間における中での表現方法というものが複雑になったりそこでの論理やロジックというものは通っているだけであってその実は現実いわゆるリアリティ

そのものを反映したものでなくても言語評価や言語能力というものがあま過剰生産されることによって言語のに対する言語化能力というものはもはやあ現実を完全に表しているものではないという限界を見せ

てくれているんだと思います私たちは今までは現実の世界をどう言語として表現するべきか表現すればいいのかということに不信してきましたがこの言語というものを考えてもそもそも言語というものはあ

かなりえこの限界のラインというのが低いところにあります現実のリアリティに対して言語は全くその全てを表現するにはあまりにも脆弱すぎるわけですね例えば味を言語化して伝えようとしたところでえ

その味の言語化を聞いた人の頭の中あるいはえ体の感覚としてその味を再現できるでしょうかその人がいくらいろんな例えやいろんな表現を使ったところでその言葉が味という感覚を早期させるわけでは

ありませんよねあくまでも言語としてこういう表現でこういうものだったというものが入ってくるだけであって例えば私がラーメンを食べてこのラーメンの味があ豚骨の味でえとても甘くてとてもおコが

あってそしてえ少しえ塩の味が効いていてで少し酸味もあってえとても美味しいですとこの言葉を言ったところで例えば豚骨ラーメを食べたことがない人がこの言葉を聞いて私が感じたこの味を再現できる

でしょうか脳の中でえこの聞いた感覚をあるいは下の味覚としてえ再現できるでしょうか私がこの味味覚情報をこれをえま言語としエンコードしたものを聞いた人言語を聞いた人がそれをデコードして自分

の中でその感覚をえ再現できるかどうかですが私はできると思えないわけですえで例えばこれは色の問題もありますが例えばあれが赤だという風に認識している私の赤と感じたこのの感覚を例えばその色を見た

ことがない人見ていない人に対してえこの赤はとても赤くて素晴らしいですみたいないかに言語化としてその言語としてやろうとしてもその赤そのものの色はその人の頭の中であるいはその人のえ赤を早期させる

イメージングの中で綺麗にイメージできていてかつそれが私のイメージ私が見た赤と一致しているかというものはま確認の仕様がないですがあ完全にえ再現できるとは思えないわけですねででえこれはあの言語

化要は言語そのものの限界であり言語はあくまでも言語という空間の中でしか実際な取り扱いができないものであって私たちが言語を使って何かを伝えられると錯覚しているのはこの言語をやり取りする私たち

の中で前提となるものがある程度共有されているからなんですよね赤というのはこういった色でそして豚骨ラーメンというのはこういう物体でこういう味がするようなものででこういったものでってのが

あらかじめお互いに共有されているのでそこに言語化というものを入れて言語というもので伝えようとした時にある程度情報圧縮できてそしてえ小さい情報量でえ伝達させることができるとなのでこの前提

となるものがそもそも共有されているというようなことが合意されていなければいくら言語化して伝えたとしてもそれが相手の中でうまく復元されることは期待できないわけですねなので言語化しなけれ

ば意味がないとか言語化が全てだという発想というのは私たちは画一的な前提を理解していてそしてえ同じような価値観でそして同じような世界に生きていて要は何の特徴もない平凡なそしてえコピーのよう

な同じような体験や同じような人間であることが前提でえそれいった中であればあ共通的な言語を使えばそれによって同じような体験や同じような感覚というものがその言語を通じて相手に伝わるだろうと

いう前提なわけですねここはあのその言語語でえ言語を頼りすぎるというこの考え方自体が私たち人間はあ特に個性もなくそして同じようなえ経験や同じような体験同じような価値観をそもそも全員が持って

いてということが前提になってますよねこれって大体可能で取り替えが可能な道具であるという風に人間自体をえ見なしてますので今回の生成AIが出てきてえ言語があ色々出せると人間と変わらないような言語

の取り扱いができるなんだったら人間よりもうまい文章やうまい表現というものでえ長文をどんどんと短時間で吐き出してくるという事態を見ますと私たちは一体この言語というものに過剰な信頼を寄せていた

けれども肉体を持たないそして現実とのリアリティの接点が持たないマシンで言語化できてしまうこれをまの当たりにすると言語というものはあくまでも言語空間言語が通用するえ情報空間の中でしか威力を

発揮できず現実との切合点を持たないものであれば全く意味がないということに気付された私自身は少なくともそういう風に感じ取りましたなので私たちはあくまでもこの現実空間の中でリアリティとしての

切合点肉体を持ってそして体感覚がありえそういった中でえこれらをどう言語として置き換えていくかということをやっているにしか過ぎずであればそれらは資格情報であればそのまま写真を撮ってしまったり

映像を撮ってしまったりあるいはずイラストやあそれ以外の音楽でもいいですしえ体感覚を伝えられるようなそういったメカニズムでもいいですが他の情報のあり方表現のあり方でえ伝えることが今後の

テクノロジーの進化でできていくんであればま少なくても今回え今もうすでにですけどもこうやってYouTubeやポドキャストや様々な情報媒体で音で伝えられたりとかあとは映像で伝えられたりという

ことがえ今まで以上に安価でそして早くできるようになっきていますインターネットの普及によってより多くの人にえ情報を今までの文字テキストベースや言語以外のものでも伝えられるように

なってきたわけですねそうなると今までは情報として伝える電波効率を考えると言語や文字こういったものがとても電波効率が良かったわけですそれ以外に伝搬させる方法がほとんどなかったのでえその情報

効率を考えると言語という選択肢しかなかったわけですねしかし今はそれ以外の情報の伝達の仕方が普及してきましてえそしてそちらの方が実は情報量が多くえかつ安価でえ瞬時に届けられるといういう

時代に入ってきますともうそのテクノロジーというえバックグラウンドがあることによってそのプラットフォームがあることによって言語が優位であるという未来は崩れようとしてきていると思います

特にえ生生愛が出てきたことによって言語自体はそれほど特権的にえ優れているということでもなかったんじゃないかという風にえま社会全体が気づいてくると思いますとなるとこういった中でえまAIが

どんどんと進化していく中でえ社会的にもその役割が徐々に大きくなっていく未来においてどういったじゃ能力が生かせるのかと言いますと私はこの資格で考えて理解するというビジュアルシンカーの人たちの

能力がむしろよりえ価値を持つえ評価される社会という風に徐々に変容していくのではないかなと私は思っていますとなると学校教育の中でえこのテストやあるいはその能力を育成するための教育のあり方や

評価の仕方も変更されるべきだと思いますしかし旧来のまま今までのえ評価のあり方のままでいくのであれば社会で役に立たないような能力や社会で評価されないようなスキルを持った人たちが大量生産されえ

これは学業の世界ではえ成績が高く評価が高かった人が社会に出た瞬間に役立たずえ全然価値を生まないという風な評価の逆転現象というものが起こってしまうというえ学業やあ学校の評価と社会

で価値を生み出すというところの回り現象が起こると思いますなのでま今もすでにそのような現象が起こってるかなと思いますがあ中高大学と学校の成績がよく自分はエリートだと思っていた自分は頭がいい

方だと思っていたしかし社会に出た瞬間に実際のえ仕事になると営業食ぐらいしかできなくてそれ以外の例えば法律を扱うとかであればま多少はその言語能力で評価されると思いますが実際に意味のある何か

価値のある発明をしろとか新しいプロダクトを開発しろとかあ社会を変えるようなイノベーションを起こせとなった瞬間に全く立ち行かなくなると言語能力で何かいろんな説明をするもののそれは実際

にじゃあそれを形にしてえ何か意味のあるものを作ってくださいとなっても作れるはずもなくそしてえビジュアル進化あ資格情報で考えてる人の思考形態が理解できないえそしてえそうした人たちが実際に

何かをしようということを手伝うことすらできないといったような形でまこんな発じゃなかったということが起こるかなと思いますなのであの学校教育自体が今後まどれぐらい変わるのかというのは私は

そんなに期待はしてはいませんがあもしま皆さんのお子さんやあるいは今あのこのポドキャストを聞いてるもし若い世代の人でえその言語化があまり得意じゃないという人がえいたとしてもですねえ希望は

捨てる必要はないかなと思いますえビジュアルで考えて映像で考えてあるいは音で考えてえあるいは体感覚で考えてえ何かえ理解をしていったり表現をしたりということにえトライをしてみればいいん

じゃないかなと思います私もあのえ芸術家やアーティストが作品を作って美術館でえま開何かがそういったアーティスティックな作品を世に発表したりま古典を開いたりというものを見に行ってでその作品自体に

何か大きなインプレッションを与えられた場合でもなんでこれがこうなのかというえ言葉による説明を求めても実際にその作品を作った人が何か言葉で何か説明しようということ自体をおまうまく説明できない

あるいはそれを避けているという現象が起こっても私はその作品のすさや作品かられってインスピレーションがなんら既存されるものではないと思います言語ができたからこの作品が素晴らしいあるいはこの

作品を理解するのにわざわざ言語化して理解させようとしなくてもいいと要はその作品が芸術作品としてそのままダイレクトに何か私たちの互感や完成あるいは概念こういったものに訴えかけてきてえ私たち

がそれを見たことによってえ何か新しい発想や着眼点が得られたのであれば私はもうそれだけで十分その芸術作品は価値があると思いますそこにいちいち言葉でえこの作品の背景が何だとかあこれはどう

いうどうこしているものだという言語でわざわざ解説や説明や批評などを付け加える意味もないと思いますしかし現代はなぜかそこにそうした言葉による評価や言葉による評論やあ何か言説説明

みたいなものが追加されなければあこの芸術作品はあこの世界で評価されない広くルフできないみたいなあ現象が起こってますこれはメディアがその芸術作品を取り上げた時にですねえそこに何か

付け加えて言葉をキャッチコピーやフレーズを付け加えてルフするといったようなこのメディアを含めた私たちがあま言語化することにあまりにも頼りすぎているせいでえその言語化されないものは

このように存在しないかのようにあるいは評価に値しないかのように私たちのこの仕組みシステムが出来上がっているせいで言語化できないものはどんどん無視されていくといったようなことも起こり得るかな

と思いますしかしそれもこれまでの社会システムであればそうだったということで今後はそれらがまもう映像として直接いろんなところに配信ができるあるいは音としてそのままダイレクトに伝えることが

できるといったようなテクノロジーの進化によって表現の仕方や理解の仕方も多様性が生まれようとしてますのでなので今までみたいに言語化できなければ意味がない価値がない評価に与しないといったような

風潮やあ現象というのは徐々に弱まってくるかなと思いますそういう意味では今まで言語化が得意だったことでま不当に評価されすぎていた人たちやそれによって利益を得ていた人たちであとはその言語が

できることが大事だという風に煽っていた人たちは今後はその利益が得られなくなっていく評価もされにくくなってくる社会になってくるんじゃないかなと思いますこれは決してえその人たちがあま損をを被ると

いうことではなくてえ今まで不当にえ言語化する能力の方が評価されすぎていたのがあ徐々にま適正なあま中立的なあ公平な形になっていくえよりえま資格施行者の不当な扱いがま是正されてえ今までえ評価され

なかった人たちも評価されるようになってくるということかなと思いますのでそういった社会全体の変化というものが今後は入力に現れるんじゃないかなと思いますなのでえ今このポドキャストを聞いている人

の中で自分はあま資格思考者じゃないかと思う人はあ今後の未来に含めてえ自分の得意なところというものをちゃんと生かしていくようなフィールドや生かし方というものを色々試してですねえその能力を

磨けるような環境そしてえそれを社会の価値のあるところに転化していく可能性に関してえ引き続き模索していってくれればいいかなと思いますしあと逆にですねえ自分は言語家が得意でえ言語家が全てだと

思ってるの人がいればそれはあこれからの社会は思い上がりであったという風に思い知らされる可能性が高いですなので言語化が全てではない言語化することというのはこの世界全てをあの言い尽くせる

わけではないといったようにま謙虚になる必要があるかなと思いますで私もえこのえま言語化が得意な方だと思ってたりしたんですけれどもただいろんな研究見てるとその言語化が得意なのかあ要あの言語思考

なのか資格思考なのかということを色々あの実験でえ試すようなあそういったあま自己診断ですけれどもそれを受けてみますと私は実はあの資格試行者でしたでしかもそれはあの空間資格試行者ですねえなので

え私はあのプログラミングとかあチェスとかああるいはゲームとかですねえそういったものパターンを認識するものがあ結構昔から好きでえでそういうものは何の苦労もせずうまくできたという記憶がありますで

言語家も私は言語自体は嫌いではないんですけれども確かに小説を読んだりあと文章を読む時も頭の中で常にイメージをしてます映画を見てるかのようにえその読んだ文章がそのまま自分の網膜の中で映像化

されてその映像を見ているような感覚で理解しているというのがあまこういった研究を見ると自分は改めてそうだったなとなので私はこうやって今喋ってます言語つって今こうやって皆さんの前で喋ってます

けれどもこれ喋ってる時にえ自分の中で映像があったり具体的なあ何か形のあるものやあまパターンみたいなものを自分の中でイメージしながら喋ってますでただこの言葉が私は長年言葉をずっと使って

ますのでえ無意識のうちに自然に出てくるような領域もありますなので私は完全なあまえ資格思考者あではないということでまスペクトラム的にはあ資格試行者よりではあるけれどもま完全にあのそっち側という

わけではないと言語で考える言語のま良さや言語でのこういった表現の仕方理解の仕方もある程度はあるという意味ではま真ん中から少しえま資格試行者よりぐらいかなといったようなあ私の能力の特性かな

と思いますなのでまそういう意味で私はあのある程度能力がま両方にまバランスがあるといえばあるのかなと思いますがまそういう意味ではあのまどっちでもないみたいな平凡な人間だったなというような

ことかなと思いますえま私があの天才的な何か特殊な能力をずば抜けてえ偏ったような能力を持っているというわけではないけれども完全な社会不適合者でえま社会に全然適合できないというほどのま

ハンディキャップを持ってるわけでもないというま普通の平凡な人でえまそれをうまくま努力と言いますか訓練によっでえそれぞれをま平均よりもちょっと高いぐらいの能力としてえ維持できている

あるいはあそれらをま訓練努力によってえ能力をさらにこう上回していきながら積み上げていってえあの多くのま価値を普通の人よりも多く出そうとしてきたといったような形でえ今のこのえ私のえま

成果ですね価値を出すという能力ができて出来上がってきたのかなと思いますなで生まれつきの能力は実はあの言語特性が強いというよりもま空間や資格情報によって理解していくというまビジュアル進化

よりかなと思いますでま私がその自分自身がそのビジュアル進化よりだったから云々というよりも私はそのま言語があまりにも言語化できることに対してそこが強いま信仰というほどえ言語化されることていう

のがあま神話化されてる神格化されてしまっているということに対してえま少し気をつけた方がいいというま継承を鳴らすつもりでま今回えそこういったテーマを取り上げてえ解説をすることにえしました

でえ私が話すポドキャストでのテーマというのはこういった何らかの継承を鳴らすというような立葉がでえ何かテーマを決めて話すことが多いですけれどもこれはあの私自身より戒めでもあって私もま今まで

インターンシップ制とか人を採用するといった時にえ私自身がそういったま言語を操れる人え言語化能力が強い人をやはりあの不当にえ高く評価してえ採用する時の決め手にしていたなという反省もあります

こういったものってあのなかなか面接では見抜けないですよねえ面接ではやはり言語でやり取りする方が効率がいいですしそういったやり方がやはり長く定番化されていますので言語化しない方法で相手の能力を

図るというのはなかなか一般的な採用面接や採用試験の中では持ちにくいと思いますなので私自身も多くの才能を取りこぼしていたなという反省がありますのでえ私自身への戒めも込めてそして次の世代にはそう

いったあえまもう私のような古い価値観を次へ継承しないためにもえ私自身が得た反省をちゃんと伝えてえそして次の世代はまた違った試験やあ違った評価方法でよりえ多様なですね能力があってえそれらをを

ちゃんと見極めて評価できるような仕組みというものを社会全体で考えていきましょうというまそういった前向きな提案としてえ捉えてもらえればいいんじゃないかなと思い

ますここからが今回の更新部分となりますえビジュアル進化は資格で考える資格思考者であるとなので物事を判断する理解するのに資格的な要素を使って理解していく方が理解がしやすくそしてアウトプットする

時も資格的な要素というものをしてアウトプットする方がより高いえ成果生産性の高いものをアウトプットできる傾向にあるとでそれに対して言語化能力の高い人言語思考者は言葉を使って表現したり言葉

によって理解をするそういったことが得意ですのでそれぞれは得意な領域が違うわけですねとは言っても私たちはこの両方の能力をそれぞれ持っていますでスペクトラムでどの程度どちらに偏って

いるかという程度の問題であってやはり両方の能力を満面なく教育の中でえ学習として用いる方が私たちが持ってるポテンシャルを全て生かすという意味ではその方がずっと生産的な学習ができると

思います言語化能力の非常に高い人は旧来の学校教育テキストを文字を言葉を使った学習によっても十分な成果を出せたと思いますしアウトプットもできたと思いますがまその以外の能力資格思考的な能力も何

パセとかあるかあるということを考えますとそちらの能力も使ってアウトプットできるとさらにいい成果出せる学習の理解度が上がるということを考えますと完全な言語有意者であったとしてもこの資格思考

的な学習というものを取り入れるメリットというのは十分あるんじゃないかなということで今資格思考者向けの学習というものはどういうものが効果的なのかということが様々なところで研究され実践されてい

ますでまずはこの資格思考者と言語試行者この両者がどういった認識をしながら私たちのこの住む世界を理解しえ把握しそして表現として用いるその能力や捉え方何が違うのかと言いますとまずあの資格

思考者はまこれもあの動画の中で言いましたが空間として理解していく把握していくそして物体として理解していくこれらが認知の能力を使う際に捉え方の特徴となりますなので資格思考者は物事を立体的に

捉えたり構造を捉えたり物体の物体の関係だとか物体そのものの質感だとかそういったものから理解をどんどん深めていくといったことでリアリティのあるものこれから理解を深めていくという特性があり

ますですのでえこうした資格思考者の方は言語によって抽象的な概念というものが理解しにくいというそういったまデメリットがありますので旧来の学校教育のような言語優位によって言葉によって

どんどん説明を展開していくといったような学習スタイルには染まないというのはこういったところから来ているわけですねでそれに対して言語思考者に関しましではじゃどのようにして世界を理解しているか

どんな能力を使ってるのかというと時間認知時間の流れを実は把握しているわけですねなのでこの言語思考者は言葉を操るというその一点ではなくて実はこの言葉は物語を紡いでいる特性がありますので物語

の前後関係とか流れとあそして因果関係そういったものをこの時間の認知という中でえ言葉という形で理解しているという特性がありますですので物事を論理立てて筋道を立てて理解していくというスタイル

の中で自分の中で時間的な変化とか時間的な連続こういったものを把握しながら理解している人こういったものが実は言語思考者の特性だったりするわけですねですのでこの言語試行者の人の方がこの時間の立ち

方とか時間の変化みたいなものに敏感でその言葉言葉の間の連続しているこの説明の中にも何かこの連続を遮るような単語とかキーワードみたいなものが入るとそこに違和感を感じてちょっとさっきの言い方は

変じゃないかなとかその言葉は適切じゃないんじゃないかなといったような反応ができるわけですねなのでこの時間的な認知というものを用いてこの言語思考者というものは物事の理解を捉えようとしますです

のでこの時間の認識の仕方というのが理解をする上でえ優位に立っているのが言語試行者そして空間だとか物体といったようなものに対して何かを理解していこうという風にえ概念として用いているのが資格

試行者となります私もかなり本を読みます本を読む中でま小説とかはこの言語試行者的能力を使って小説は読んでましたこれはあのストーリーがありますので時間的な流れを自分の中で把握するにはまず

ストーリー展開を順に時間という流れの中で追って展開していく必要がありますしかし私がま最近読んでいるような人文系だとか学術書だとか科学書などを読む場合は資格思考者的な読み方をしてます普段本

を読む時は紙の本も呼びますけれどもKindleの電子書籍のような電子媒体ですねでえiMacこれは4.5Kのディスプレイにえ画面いっぱいにしてえKindleをフルスクリーンで表示し

ますと1ページに大体この1つの画面にえ1回で56ページ表示できちゃうわけですねでそれをバッと見て理解していくという形でえそれはもう形として理解しようとしていくわけですねなので文字を順番にえ

流れを折って読むというよりはその文字が持つ形これをもう物体として認識しながら次のページ次のページという風にどんどん読んでいくわけですねなので物語的に理解をしているわけではなくてこの話の構造だ

とか仕組みみたいなものを瞬時に判断しているという形になりますのでこの本が何を言おうとしているのかこの本の構成はどうなっているのかそして重要なところとそれらをつなげている関係性みたいなものを

瞬時に見ながらいったり来たりしながらあ本を理解していくというスタイルで本を読んでますなので頭から順番にこう順をで飛車が書いた通りに読んでいくというよりはパーっと見ながらまたパっと戻ってまた

次へ行ってといった形でえその瞬間瞬間の構成や構造というものを資格的に把握しながら行ったり来たりしていき自分の中でえ知識や理解というものを構築していくということをえ本を読むというスタイルに

なってますこれ紙の本でもできるんですけれども紙の本だと1ページのあの文字の量がどうしても少ないので何ページもめくっていく間に見逃してしまったりあとはま疲れるというのもありますのでま最近

はキルでえ全画面表にして一気に見るというのが最も効率がいいというのに気がついてえまその方法で本を読むようにしてますまそれをすることによってかなりのスピードで読めるようになりましたのでま

自分はこのえ学術書だとか人文書を読む時は資格試行者的な理解の仕方を用いて文字を読むとしかしえ小説だとかSFこういった創作物のストーリーがあるものストーリーが重要なものに関しては時間

認知を使ってえ順にその流れだとか因果関係というものを把握していくということを用いますなので何か自分の中でそういった切り替えが多少あったりあとえこれらを組み合わせて読まないと読めないような

ものというものはやはり難しいですねえ哲学的な文脈を用いたようなしかしそれがドキュメンタリーとして書かれているとか歴史的な背景をちゃんと説明しようとしているといったような時間的な流れという

ものがそこに工作されているようなものこれは結構読むのが難しかったりしますどっちかの能力だけに振り切って読むことができないのでえそういった書物はなかなか時間がかかったりしますあの古典

的な読み物は基本的にそういった構成で書かれてたりするものが多いのでなのでやはり1冊読むのにもなかなか時間がかかりますそういう意味では私はま両方の能力をま知らずと使い分けていたかなと

思います学校教育の中でも両方の能力を使えた方がやはり学習の効率は上がると思います理解のする理解度も変われば理解するスピードも変わると思いますのでま最新の研究ではあこういったものをまどの

ようにしてえこの資格試行者的な学習のスタイルというものを提供できるかという研究が様々なところで展開されてます資格的なあまパズだとかあるいは手で触れるようなブロックなどを用いてえ数学を理解

させていくこれはあの小学校1年生とかであればおはじきとかですねあとはソバとかこれ物体を実際に触らせたりあとちゃんとカウントアップできるようにえ並べて2+3は5ですよっていうのをこう物としてえ

自分でこう指で触ったり数えたりしながら理解させていくというなことをやったりもすると思いますがそれをさらに高度な数学においてもまそのような形にによって理解させていくというようなあ応用方法という

ものがありますでえ最近はマルチメディア環境というものが学校にも安価でえ手軽に揃えられるようになったと思いますのでまパワポイントだとかあるいはグラフィックツールなどを使って具体的にこの数式に

よって何が計算できるのかどういった計算で用いることができるのか実際のリアルの世界ではあこれらがどのようにして作用するのかというのをま実際に動くグラフみたいなもので見せていく例えばあの微

積分の計算とかでもま加速していく新幹線のスピードというものをまメモリに置いてグラフを書いてみるみたいなことをするとどんどん加速していく新感線とあとそのグラフの加速していくそのグラフの変化

みたいなものも同時に見ることができればまこれらを計算で用いるのが積分ですよとかそういったことをま見せることができればより理解が進むといったことにえ繋がりえそした研究そうした具体的なツールと

いうものが色んなところで開発されていたりするわけですねであとは四角試行者ならではえ自分の見たものとか触れたものこれらをそのまま感性として感じとるにとめるんではなくてやはりあの言語として

言語化するのは苦手であるという特性がありますのでなのでであればそれを逆のプロセスとして鍛えてあげる方法としてアート作品を見てそして言葉で説明するといったことをさせますえそれによってはめ

はうまく説明できない最適な言葉が見つからないとか言葉が出てこないといったことが初めは起こりますがそれによってま先生が手本を見せてフィードバックをするでそしてまたアート作品を見て言葉で

説明するこれらを繰り返すことによって言葉のボキャブラリーとか表現の仕方みたいなもののレパートリーが増えることによって言語能力っていうのものが向上していくといったような研究もありますこの

世界で生きていく以上言語能力がやはりある方が行きやすいですしえ最低限えあった方がやはり成果も出しやすいということもあってかあそういった意味では言語化能力があまりにも低いからといってえ全く

諦めてしまわずにやはり少しはは伸ばしてあげた方がいいということでそういった取り組みをされているという学校もあります漫画を用いてえ資格的空間認識能力というものをうまく使ってえそして理解を

するその対象を漫画として表現したものこれらによってどんどん理解を深めていくそれによってどれぐらい理解力が変わるかということをえ研究しているというものもありますこれはまだ実用段階に行ってない

えものなんですけれどもしかし実際にあのこれによって認知能力がかなり向上すると理解力が上がるといったような成果が出始めているということでナの展望も今後期待していきたいなと思いますで私たちは

こういったマルチメディアツール今あのこのまYouTubeだとかポッドキャストだとかま音声そして映像様々なものを使うことによって旧来の紙に書かれたインクのシミの文字だけではなくてえ

いろんな方法でこの世界を表現して伝えることができる時代になりましたのでこれからの時代はこのビジュアルシンカー資格試行者の人たちにも大きなチャンスが出てくるかなと思いますむしろまだそこそこは

未開拓な領域で私たちもそこに対してあまり社会的な投資というものをしてきていませんなのでもしかするとこれ以降ですねえそこに対してま大きな教育的な投資をしていけば今までは評価されなかったよう

な能力の人たちが高い成果を出してそして高い評価を得るという時代が来るかもしれませんそういう意味では私たちはこれからの時代の変化に対して今まで不遇を受けたビジュアルシンカーの人たちの事態という

ものが到来し言語化する能力というものは実はあまり意味がなかったんじゃないかというはま古き遺産のようにですえ変化していくかもしれませんまその時代の先行きはですね私もにはあの把握できません予測

できませんのでなのであくまでも1つの選択肢として1つの未来のあり方としてまそういった展望もあるんじゃないかなと思っていますですのでこのビジュアル進化の人たちが将来的に優位になるむしろ

メインストリームに立つという時代が来た場合はもしかすると私のこの発信しているポドキャストも時代遅れになってしまうかもしれません当時これだけの言葉で表現をしようと試みた人がかつてにはいたと本が

尊かった時代本を書く本を読むというのがごく一部の人に限られていた時代から私たちは式事教育を受け誰でも文字を読み書きできるはずの社会に変容変貌しましたがあしかしその中でもやはりまだ

文字を読むとか文字を書くといったことに対しては私たちの能力のさいものがありそして本を読める人文字を使いこなせる人言語化できる人が優位な社会というものが長らく続きましたがあこれこれからは今度

はその言語化に縛られない様々なアウトプットや思考というものを駆使する人たちというものがむしろ優位になり評価を受ける時代に変化していくその今過にもしかしたらあるのかもしれませんそう

いった意味では私のようなこの言語で何かを残そうと試みたこの期間というものは非常に短いごく短期間に起こったパラダイムシフトのその真中で作られたコンテンツであるという可能性も十分に

ありますなのでそういう意味では私のこのコンテンツは時代の変化の中でもしかしたら大きく取り残されるコンテンツになる可能性もありますがまた私もそれでえどこかでビジュアル進化よりのですねもう

ほとんど言葉を使わないような表現方法で何か知識や経験こういったものを次の世代に残せるようなアプローチというものもどこかで取って見ることがあ必要とされるかもしれないのでまたその機会があれば

ちょっと試してみたいかなとは思います私の著作コール技術まだ読んでない人はAmazonでポチって買って読んでいただければと思います今日もお疲れ様でした

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