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【❌『褒める』は逆効果】尊敬が通用しない時代のコミュニケーション術!褒める・叱るはNG [ ポッドキャスト 自己啓発 成長 目標達成 脳科学 podcast 人間関係 Z世代 アドラー 心理学]

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今回は「褒めるのも叱るのもダメになった時代の他者との向き合い方」について解説します。かつてはコーチングやマネジメントにおいて、褒めることや叱ることが効果的でしたが、現代ではそれが難しくなっています。その理由と、どうすれば他者とより良く向き合い、経験を積ませたり、前向きに行動を起こさせることができるのかを探ります。 エピソードの前半では、なぜ褒めることや叱ることが難しくなったのかを説明し、後半では具体的な対応策について考えます。キーワードとなるのは「承認欲求」。SNSの影響で承認欲求が暴走する現代、褒める・叱るというアプローチの限界が見えてきました。 褒めるや叱るには上下の力関係や信頼が必要
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今回は褒めるのも叱るのもダメになった時代の他者との向き合い方について解説をしたいと思いますコーチングやマネジメントをする際に褒めるあるいは叱るこういった旧来のやり方によって

私たちは先人たち親や先生そして上司先輩こうしった方たちから指導を受けたり私たちの持っている経験そして能力成果それらを引き上げてもらうようなそうした指導というものをかつては受けていました

しかし現代ではそのようなスタイル褒めるしるということができにくい時代になってきていますむしろはっきり言えばそうした褒めるもしるもダメな時代になってます前半はなぜ褒めるしるがダメになったのか

そしてえ後半はではどうすればいいのか私たちは他者と向き合う時に褒めることも叱ることも結果的にまずい状態を引き起こしてしまうという時代になったからこそではどのようにしてえ他者をより

経験を積ませたり前向きにさせたり行動を起こさせたりすることができるのかそうした観点から今回は前半と後半に分けてえ解説をしてみたいと思います今回はこの褒めるしるでキーワードに

なってくるのは証人欲求これらが少し複雑に絡み合っているこの現象についてまず解説をしながらでは現代ではどうすればいいのかという考え方についてもつなげられればと思いますまず証人欲求という

ことですがこれらはSNSにはまっている若者たちをやゆする文脈でよく使われますが多くの方はこの証人欲求というものが悪いものだという風にえこの文脈の中では用いられることになりますが実際のこの

証人欲求というものはいいものもなければ悪いものでもありませんただ私たちが持っている欲求なので使い方次第なわけですなのでこの証人欲求がない人の方がまずく証人欲求は誰でもあるもので私たちが生存

していく上で必要な欲求なわけですこの証人欲求の捉え方が間違えているネガティブな文脈の中で使われすぎているせいで証人欲求そのものがダメなんだということで証人欲求を持っている人を批判

したりするそうした傾向がありますこの証人欲求というのは他者から無視をされることを嫌うということですねこれはあの別のエピソードでも言いましたけれども私たちは社会的な生き物ですのでこの集団

から嫌われるとか集団から無視されるというのは生存上不利なわけです死を意味しますですので私たちはこの集団から認められる必要がありそして自分は重要な人間であるということを自分自身でも感じて

おきたいわけですねこれはあの他人の気持ちや他人が考えてることは正確には分からない分かることができませんのであくまでも自分がどう思うかでそこを頼りにするしかありませんので自分が他者から

どう思われているのか無視されていないかどうか無視されずに注目をちゃんと集められているかどうか周りから注意を払われているかどうかここを気にするすることになりますこれはあの孤独感ともつながり

ますがこの孤独感を何とかして事前にですね予防として周りから注意を払われているというところまで事前にそうした状態を作りたいというこの欲求これが承認欲求なわけですねでこの承認欲求というのは実際

にはかなりえ強いものがありまして無視されるぐらいであれば悪いことをしてでも注目されるということを優先したりします小さい子供であれば親から無視されていると思うと悪いことをしていたずらをして

あるいは大きな声をえ発してあるいは泣き叫んだりしながら親の注意を引こうとします大人の注意を引こうとするわけですねこれは子供にとってみれば無視されるというのは苦痛なのでなのでなんとかして

注目を集めようとするわけです2人目の子供に親がつきっきりになることによって1人目の子供が赤ちゃん帰りをするというのはこのまさしくこのパターンですね親が今までは自分に対してずっと注目を払って

いたものが次の子供に対して注意を向けるようになったこれを子供は敏感に感じてこれはまずいと生命の危機だということで自分も同じように手のかかる子供だという風に暴れたりえ声を上げたりすることに

よってえ親の注目を引き直すとするこれは本能ですとしてえ持っていますですので好きな子にいたずらをして意地悪をしてえ気を引こうとするのと同じで無視をされるぐらいであれば自分の存在というものを

まず注目させたいという思いがありますこれはあの迷惑系YouTuberとかもそうですね何もアテンションが取れない誰も自分の動画を見ないぐらいであれば世間に迷惑をかけたり騒ぎ散らしたりえみんな

の気になることこれがネガティブなことでも結構ですのでえま炎上炎上上等で社会に対してま不満を撒き散らしたりあるいは普通の人がやらないような変なことをやってみたりしてそして注目を得ようとして

いるわけですねなのでこれは証人欲求というものが悪用された場合あるいはあこの証人欲求を逆手に取ろうとした場合に問題が起こるわけであって私たちはごくごく自然にこの証人欲求というものを

持ち合わせていてえ健全な使い方をして私たちは生存をしてきたわけですですが昨今このSNSというものが出てきたことによて私たちのこの証人欲求が暴走するという事態が起こっているわけですねえなの

で証人欲求が強いか弱いかではなくその証人欲求を一度悪い形で使うことを覚えてしまった場合にそれらが暴走しやすい環境になってしまったということになりますでここで褒めるや叱るというものがダメな

時代になってきたというこの解説をここからしたいと思いますがまず褒めるというのはその褒める対象と褒める人これが上下としてえパワーバがまず必要になります褒める側の方が上に立ちそしてその褒める

相手ですねえはその下にあるということで上から目線でえいいことを言う場合は褒めるそしてそれを悪いこととして言う場合は叱るというそういった構図になりますでこの上に立つ人と下になる人という

のはこれはあの心理的な状態ですのでえこのえ褒める光がうまくいく場合というのはこの上に立つ人がこの下に褒められる人や叱られる人がこの上の人を力関係的にちゃんと上だと認めている場合にしか機能

しませんこれはえ権力的にもそうですしえ心理的な上下関係ですのでえ信頼だとか尊敬あるいは異父こういったものを持っている場合に機能をしますこれはま能力的にだったり親しみだったりあるいは権威だっ

たりするわけですけれどもこれは受け手から見てどうかということですねえしかしなぜ最近はそれがうまくいかなくなっているかと言うと受け手側がその上に立つ人を尊敬しなくなってきた信頼できなくなっ

てきたそして能力的に優れてと思えなくなってきたということがありますこれは今は情報がたくさんいろんなところから取れます例えば学校の先生の教え方1つにとってもYouTubeを見ればもっと優秀な

綺麗に教えてくれる先生や面白く教えてくれるコンテンツというものがありますそれらに比べると今目の前にいる学校の先生担任の先生の教え方があまりにも稚拙でえ教え方としてつまらないという風に

受け取りますその先生自体の能力はそのえ生徒に比べると能力ははかにまさっているにも関わらずその象者として他の先生要はこれはえ直接会ったことがないえ人までえその比較の対象に入ってきてしまうこの

現代の情報化社会になってしまったことによってその目の前にいる先生のことを尊敬しづらくなってしまうといったことにが原因に挙げられますかつてはこういったものがなかったのでえ上に立つ人という

ものは有を言わさず俺の方が偉いんだということをその環境の中では発揮できたわけです例えば昔は体罰がオッケーだったといったこういった言文をよく聞きますで今後も体罰は必要なのかという議論に対し

て体罰は必要だという風に体罰を擁護する意見というものはえ彼らはそのようにして教え込まないとダメなんだと言ってますがかつてではなぜこの体罰というものが機能したのかというと学生側と先生側の間に

圧倒的な力の差があるこれは暴力という形によってその精神的な力の差というものを常に見せつけ続けるということですねはえば力暴力によって制されるそしてその暴力を使っていいのは上級生や先輩あるいは

その顧問の先生だとか学校の先生担任の先生やその他の大人たちが暴力を発動させる権利がありそしてそれに逆らってしまえばより多くの暴力をまた繰り返されることになるとこれは精神的ないわゆる

マウンティングであってえそれらが許される閉じた環境ですのでそれらがまだいわゆる恐怖という形で力関係というものを維持できたわけですしかし現代はいろんな情報が手に入りますしそしてこの

閉じた状態の情報というもの外に拡散できてしまいますですのでえ先生側が何か暴力や力によってこの力関係というものを保持しようとした場合それらが外側に発散されることによってその閉じた環境という

ものが維持できなくなってきていますですのでかつては体罰というものが有効になってしまった理由は閉じた空間というものが作れたからですねしかし現代はもうその閉じた空間というものはありません閉じる

ことができないわけですですのでえこの体罰によって教えることが必要だと言っている意見というのはたまたまその閉じた環境というものが維持できた時代がわずかながらあった時代の名残りとしてそれを

擁護しているわけですで私はこの体罰がいいと言っているわけではなくてなぜじゃあ体罰がいいという人たちの意見が未だに根強く残っているのかというその理由としてはその閉じた環境の中でそれら

ができたあそれらを懐かしんでいるでそれによって教えられた生徒や部員は成長したという風に後になって感謝することもあると言ってますが基本的に人は自分が時間を投じたり経験を投じたものを後になって

美可する傾向があります自分の高校の貴重な3年間を費やしたその思い出が後になって無駄だったと思いたくないのでその中でも何かを得たという風にすれば自分の3年間は有意義だったと思い込む方が自分の

精神衛星上健全ですよね自分の人生は無駄じゃないという風に思い込むことができますなので私たちの持っている思い出というのはとかく美化されやすいわけですなので体罰がいいか悪いかというのをその

卒業生やその体罰を受けて育った人たちの意見を聞いてもあんまり参考にはなりません彼らはどんなことをその3年間で起こったとしても自分の人生自分のその3年間の生活は良かったと答えると思いますなので

体罰をされようが体罰をされなかろうが結果的にえ良かったという風にえ答える状態になるわけですねなので体罰を擁護する人は体罰をした場合と体罰をしなかった場合の比較を客観的な比較というものを

行っていません当然体罰をすることを擁護してきた人たちは体罰をして指導をするということに特化してえ自分の技術やスキルを磨いてきていますので体罰なしでその若いえ人たちに教えるというその

テクニックを磨いてきていないので体罰なしで教えてください指導してくださいと言うと当然増えてですよね教え方がむしろ未熟でえ体罰なしのやり方というものに不慣れなわけですからそうなると当然

教わった側はうまく機能しないえうまく成長しないとなるとやっぱり体罰があった方が良かったんだという風になるわけですねそれは体罰というものがうまく機能しているではなくて教える側の問題なわけです

体罰を使わなければ教えられないというその能力の不足えこれが本来の問題であってあくまでも自己擁護してるにしか過ぎないわけです自分は体罰をすることが今まで自分のスタイルであってえそれで

うまくいったんだだから今後も体罰を許可してくれという風に言っているだけでもう使い物にならなくなった役立たの技術を未だにそこにしがみついて時代の流れについていけてないといったこととも少しえ

リンクしてくるかなとも思いますこの圧倒的な尊敬だとか信頼というものを勝ち得るというのがこの時代いかに難しいかというのがこのSNSや情報方の時代においてえ賢になってえくると思いますがSNSや

YouTubeを見ればすごい人がいっぱいいるような感覚になります普通の主婦ですと言ってえいろんな動画をアップしてその前で喋ってる人を見ればまどこを見たって普通の主婦という風に見えない

わけですけれどもそれでも本人が普通の主婦ですと言っていると見ている側はだんだんと普通の主婦ってこんなにレベルが高いのかという風に思うと自分がダメなように思えてくるわけですねなのでそれは

あの普通の主婦と言っているその人も自分のいいところしか当然出してません悪いとこところやあるはつまらないところ何気ない何ともないようなところをわざわざ動画にとってあげるわけありませんのでえ

その自分のいい面そして発信者として発信するべきところだけを切り取って発信しているわけですそうなると見せたいところは見せますが見せたくないところは見せないとなるとごくごく一面の見せたいところ

だけを見せるすると普通の主婦ですと本人は本当に普通の主婦かもしれませんしかしその普通の主婦でもある特定のところだけを切り取れば普通じゃないように見えるわけですしかし受け取り側はそれを見で

発信者の言葉の普通の主婦ですという言葉を信じてしまうと普通の主婦はこんなにレベルが高いのかという風に錯覚してしまうわけですねそうなって自己嫌悪に陥ってしまうとですごい人はいっぱいいる

んだという感覚になるとこれは普通の主婦だけでなく普通のサラリーマンがとか普通の学生がとかあ普通のおじいちゃんがとかという風なそういった普通のという形容をつけて本人たちは確かにそうかもしれませ

んが流れてくる情報を見るとどう見ても普通ではない一面を切り取って発信しているわけですするとどうなるかというと身近な人身近な普通の人を見ても普通ではないように見えるわけです劣っているよう

に見えるわけですねすると身近な人ですら尊敬しづらくなってきますいいも悪いも近い人は全てが見えますからそうなるとその身近な人のいいも悪いもを見ればそれらをひっくるめて画面越しに見る

インフルエンサーやYouTuberあるいはSNSで発信をしている人たちのいいところだけを切り取ったここの比較をすると当然身近にいる人たちがしょぼく見える尊敬しづらくなるということが

起こりますもっととすごい人がいるからという風に思ってしまうわけですねそうなると今度は自分にも向けられます自分自身にお前なんて大したことないよというのを自分自身で言い聞かせることにもなり自分

を含めて周りに対しても尊敬しづらくなってくるということですね自分自身の自尊心というものがどんどんとこう削られていくわけですそれも自分自身で削っているわけですねしかし実際にそうした発信している

人たちインフルエンサー含め実際に会ってみたらどうでしょうかほとんどががっかりすると思います炎上系の人たちとも会ってみればなんだ普通の人でいい人じゃんみたいな感想にもなると思いますこれは

多くの人はやはり平均的な普通の人ですしかしその一面だけを彼らが見せたいところだけを見せているだけに過ぎずその人の360°全ての面においてその見せてるところなわけはないわけですよねする

とこのSNS時代においては平均的な人間も特別な人間に見せてしまうことができるとそして受け取り側もその平均的な人間であるという感覚がどんどんと見ていると薄れてきて画面越しの先にいる人たちは

身近な人に比べてはかに能力が高くそしてえ様々なことを知っていて行動を起こしているという風にも見えますが周りを見ればそんな人はいないで自分の周りや周辺コミュニティはそこまでの人がいないよう

に見える自分がいるコミュニティはダメなんだ自分たちのいる世界はダメなんだという風にこの見せたくないものを見せないということによって私たちのイメージというものが自分たちの中で固まっていって

しまうわけですねでここで真実を言うというのと嘘をつくこの2つで比較をしたとしても実はほとんどがこの間にあります真実を言うのか嘘をつくのかというこの2択ではなくほとんどがこの間なわけです

例えばですが目の前で靴を見せてどうですかと言いますねでこの見せている面は綺麗な面だけをもし見せた場合その裏側はもしかしたら汚れていたり汚かったりあるいはうまく法制されていなかったりして何か

悪いところ不具合なところが見つかるかもしれませんしかし1面しか見せずにそしてどうですかということによってこれは嘘をついているとも言えますしただちゃんと思面の綺麗なところは見せているので真実を

言っているとも言えるわけですなのでこれは結局は本当の意味でえ真実だとか嘘だとかというのは本人発信する本人が決めることではなく客観的に見た人が本来は今まで決めていたわけですねくも目の前でえ

その他人が手に取って裏を見たダメじゃんこれ汚いよっって言えばこの人は嘘をついていたというのが判断できるわけですけれども私たちは今情報を発信する側にその決定権が大きく偏っているわけですね

なので以前までは何が真実かというのを他人や周囲が決めていたわけですけれども今は自分でえ何が真実かというのをコントロールできてしまうとそういったことがありますこのネット社会の中で

いろんな情報を飛び交っていますがほとんどが情報発信者の手によって何が真実で何がそうでないのかというのをコントロールできるというそういう時代に入ってきていますとなると直接誰かと

コミュニケーションを取るよりもネット上でその情報をコントロールして見せ合いた方が発信者にとってみれば都合がいいわけですねとなると身近な人から尊敬や信頼を得るのは難しい時代になってきますこれが

いわゆるメディアの壁ですねメディアの向こう側にいる人たちは煌びやかに見えるそしてそういったあまある程度の飾り立てができてしまって見せたくないものは見せないという隠蔽もできるわけですそうなる

と直接会いたいと積極的に会いたいと思わなくなりますよねもし直接会ってしまえば他人に色々評価され査定されることになりますすると真実を他者が決めることになってしまいます真実を決めるという権利を

自分自身が持っていたのを安々と手放したくないと思うのは当然でなのでこのメディア上で発信をするということを誰もが行えるように気軽に行えるようになってくるとだんだんとこう人と直接会うという

のを避けるオになるということが起こりますでSNSを当初立ち上げた運用した会社というのは当初こうなるとは考えていませんでしたSNSは何のために立ち上げたのかと言と他人の日常を見てむしろ真金

感や繋がりを強化されるそうしたツールとして想定していたわけですですのでえ1番初めTwitterができたばかりの頃のツイートというのは今日これがあったこんなことあったあといったような別に誰

が見ても楽しめるようなものでもなくえWebログというのがブログの始まりですけれどもこうログというま記録を取るという意味でえただただ日常の何かくだらないことを発信したりその辺で撮った写真

をアップしたりということをやっていたわけですねでFacebookもそうですけれども日常的なことを写真に撮ってえそれを投稿して自分の日常っっていうのはこうですよというのをただただあの

垂れ流ししていくだけなのでそれを見た人もあ今そこどこどこにいるんだとかこんなことやってるんだそんなもの食べたんだというぐらいのものでえそこは当初のSNSを立ち上げた会社や立ち上げた人たちは

そうやって人々の繋がりが強化されるだろうと思ったわけですFacebookもずっとそう言ってましたえ世界中の人たちをつげたいとそれによって人々の距離はもっと近くなってえもっと親しみを持っ

てえもっと仲良くなるはずだという風にえそのような理念で立ち上げそして長らくそのスローガンを掲げ続けていましたしかしもう最近は言わなくなりましたなぜならそれは実現できなかったからです

むしろ逆ですね多くの人たちを分断することになってしまいました身近な人を尊敬しづらくなるということをSNSが結果的に思わの方向に使われることになったわけですね自分たちの日常をありのまを投稿

するわけではなくて見せたいところだけを見せえそして見せたくないものは投稿しないそれによってお互いの見せたい姿を見せ合うという競争の社会になってしまったわけですなのでそうなると繋がりを作る

どこか分断を産んでしまうこれは精神的な分断を生んでしまうそして直接会うということを避けるようになってしまうそうなると身近な人を尊敬しづらくなってしまうといったことでえこのSNSが引き起こした

世界観というのは当初のSNSを立ち上げた運用会社やあ設立した人たちの思いとは全く真逆の方に進んでしまったわけですですのでこれはSNSが悪いということではなくいかに将来を予測するのが難しいか

ということですね特にこの昨今ではこの私たちが一体何に注意を向けるのかということもいろんな実験等で解明されきつつはありますが私たちが直接人と会うというその効果に関しても色々研究が進みSNS

を通じての他者とのコミュニケーションと直接あってのの他者とのコミュニケーションにえかなりの質の差があるということで直接あってえコミュニケーションを取るということの

変わりにはならないといったような研究結果がありますですので今の時代に他社から圧倒的な信頼や尊敬というものを得るというのがいかに難しくなってるかということですねえしかしSNSやこの

YouTubeを使えばそれが可能となってしまいますしかしそれは直接合わないという条件付きです直接合ってしまって生活を共にすればあむしろ嫌なところや変なところ気に入らないところあるいは普通な

ところというのがたくさん見えてきますのでそうなるとその圧倒的な尊敬だとか信頼というものを維持し続けることは難しいと思いますま元々その圧倒的な能力の差や尊敬や信頼というものを元々勝ち取れる

ようなそうこうした能力を持っている人であればこうしたSNSの媒体などを使わずとも身近な人から勝ちてはいますがしかしこのSNSやYouTubeを使えばそれらをかましできちゃうということですねえ

なので下駄を履いた状態でえ多くの人から信頼や尊敬を集めることが可能ですので直接合ってしまったらその下駄を脱がされるので本来の自分の能力にまで落ち込むことになりますそうなるとその姿で

果たして他者から尊敬や信頼を得ることができるでしょうかその受け手側も他のそのメディアの壁の向こう側にいる人たちを日頃から見ていますので下駄を自分だけが脱いでも他の人が脱がないんであれば自分

はまた他の人と比べられてしまうわけですねそういったことが起こり簡単に比較されてしまう時代に入ってきていますので自分だけが特別な尊敬や信頼を勝ち得続けるというのが非常に難しい時代になってきたと

いうことですでえここまでがま前半えなぜ褒めるや叱るというものがダメになったのかということでこの圧倒的な力の差圧倒的な人間関係上の精神的な上下関係というものがそもそも作りづらくなっている作れ

なくなっているということがまず時代の変化にえなります私たちが閉じた社会から開けた社会という風に変化していったことによってえそれらができなくなったわけですで褒めるもしるもダメな時代になった

ということでえではあここからはどうすればいいのかというま後半のパートについてえ説明をしたいと思いますで身近な人は尊敬しづらくなったということを先ほど説明しましたがこれは尊敬をベースにして

え人と接しようとする場合の問題ですねなので褒めるとか叱るということをやる場合には相手から尊敬や経緯え異父こういったものを持ち込まなければなりませんので前提としてはそもそも信頼関係や尊敬され

ているという状態があるかどうかによって変わりますこれはあの体罰がダメかどうかという議論よりもずっと重要な問題で例えば相手を褒める時によくやったと素晴らしい成果だと言った場合に相手が

それだけのの褒める側に絶対的な能力がああるという風にその褒められた側が認めている場合はそれ言われると嬉しいと思いますがあそんな能力はないと思ってる人から素晴らしいと言われてもいやお前に何

が分かるんだと思うわけですよえむしろえ自分よりも能力的に下だと思ってるの人から褒められたとしてもそれはむしろ馬鹿にされた気がするわけですでしるもそうですねえもっとしっかりしろと言われた

場合に尊敬してる相手から言われるとよしちょっと頑張ろうと思うかもしれませんがそうではない尊敬がない場合だとうるせえなとなるわけですよねえそういう意味ではその褒める側をどう捉えてるかによって

同じセリフや同じ態度を取ったとしても受け取り方の受け取り方が変わるわけですこれによって意欲が高まったり動機が高まる場合もあれば逆に動機を削ぐ意欲を削ぐということになりますで大事なのは

相手の意欲を高めることですねえ同機付けえ勇気づけるそしてえそのやってはいけないこととしましては勇気をくじく意欲を削ぐこれらをやってはいけないことなわけですなので褒めるもしるも結果的に相手の

意欲を高めるのであれば有効ですその逆で褒めてもしっても相手の意欲を削ぐ動機を削いでしまうというのはダメなわけですね尊敬というものがあるかどうか力関係があるかどうかになりますその精神的な力

関係というものがあれば褒めてもしっても相手の意欲を高めるえ動機を高めることが可能かもしれませんがその尊敬や力関係がない場合であればいくら褒めようが相手の意欲を削ぐことがありますですので今の

時代褒めるとかしるとかというアプローチはかなり難しくなってきています相手がそれによって意欲を高める可能性はぐっ低くなってしまい褒めてもしってもえ意欲や動機を削いでしまうというそういう時代

になってきていますですのでえここは元々の人間関係力関係というものが重要になりますがではじゃどうすればいいのかこの褒めるとかしるではなくてどうすればいいかなんですが私たちのその人間関係力関係

というものを前提とせずに1度フラットになって相手の隣に立つ自分も同じ土俵に立っている同じ高さに立っていて同じ問題に対しててお互いが向き合っている同じ椅子に座って同じ方向を向いている2人と

して横並びでえ並んで見ているという風にイメージしてみてくださいその状態で干渉するわけですこれを最近ではナジと言ったりしますが肘でつくということですね隣の人に対して注意を向けさせるとことを

するわけですあくまでも相手を褒めたり叱ったりではなく注意を向ける先というものをちょっとだけ干渉して向ける先を別の方に誘導していくわけですねでどこに誘導するのかというのはコントロール可能

なことに対して焦点を合わせさせるということになりますコントロール可能な方に目を向けさせる意識を向けさせるということになりますこれは変えられることを変えていくということで変えられないことに

変えようとせず変えられることにのみ集中していくという発想ですねなので隣に立って注意を向けさせるのにどこに注意を向ければそれは変えられそうなところなのか本人にとってみて変えられると思える

ところなのかというところに干渉していくわけですねなので上から言いつけといったような褒めるしるではなく隣に立ってえじゃあどうしようかという風に同じ目線に立った上でただ目を向ける方向が自分で

コントロールできないところではなくコントロールできるところに向けるということですねじゃ具体的にえどういう風なアクションを起こしていけばいいかと言いますとまずこのコントロールできることと

いうものは一体どういうものかと言うとこれはあ行動だとか努力そしてできたところそして自分との比較そしてえ貢献だとか協力ですねえについて意識を向けさせますで逆にコントロールできないことと

いうのは成果とか才能とかあとできてないところとかあ他者との比較そして勝ち負けこういったものはコントロールできませんなので相手に注意を向けさせる時にコントロールできることの方に注意を

向けるような話し方や質問あるいは投げかけをするわけですやってはいけないのはコントロールできないことに対して注意を向けさせてしまうことですねでこれは別のエピソードでも言いましたが成果を

重視するのかプロセスを重視するのかの違いでもありますコントロールできることというのはプロセスを重視しますそしてコントロールできないことというのは成果を重視するわけですねでこの2つの違い

ですが成果を重視するとどうなるかと言と結果だけを見て判断するということですねうまくいったのかどうか例えば仕事で営業の成績が上がった後喜んでる部下に対して営業の成績を今月は30件いったのか先月

が5件だったのが30件よく取れたな今後も頑張れよというのはこれは成果を褒めています成果を見ていますでこの成果を見るというこの褒め方というのはなぜ起こるかというと途中の観察が不要なわけです結果

だけを見ればいいのでその本人が何に取り組んでどういうところ努力したのかどういうこと考えたのかということを考えなくてもいいので簡単なわけですなので低下重視のアプローチというのはそれを言

側はとても簡単でそして分かりやすいのでついついそうしたアプローチを取りがちなわけですでこれは褒めるとかしるが起こりやすいということを意味します圧倒的な力の差がある場合というのはいちいち

1人1人の観察何をやってるかというものを見る必要がないのでえ結果だけを見て褒めるしるということをやればいいわけですので旧来のマネジメントというのはそういう側面がありえ上のもの圧倒的な力

を持ってるものはいちいち下のものが何を考えていたり何に悩んでいたりみたいなことをえ途中を観察する必要がないと結果だけを示せとその方が見る側は簡単ですよねなので途中家庭を見ずに結果だけを見る

というジャッジメントをすると会話の中でも常に成果の方にばかりえ会話が及ぶ場合はこれは成果重視のアプローチとなってしまいます勝ったのか負けたのかあるいはできてないところはどこだとかあるいは誰

かはこうだったけどお前はどうなんだとかそしてそうした結果に結びつくような才能ですねお前は才能を持ってるないいなあるいはないなお前の才能はダメだなという風に言ってしまうこれは本人にとって

みばコントロールできないところですので成果を重視した会話というのは本人にとってみれば意欲を削ぐわけですね本人にとってみどうしようもないのでコントロールできないのでそれを言われたところでじゃ

どうしろって言うんですかていう風な気分になります落ち込むだけなわけですねそれに対してコントロールできるところとしてはプロセスを重視した会話になりますえ途中の行動や努力思いこういったものをえ

本人に意識を向けさせるというような会話の仕方ですね途中過程を観察することが必要になりますので対等な関係でこれだけ観察をしてましたよということも相手に伝わりますえ隣に立ってま同じ方向を向く

ことによって相手がどういったところに思いを発せたのかとかどういったところ努力したのかあそして何ができたのそして過去の自分に比べてどういうところが良かった悪かったそして何が貢献できたの

か何が協力できたのかということを会話の中で意識を向けさせるわけですねえまこういうあの会話だと何をしたのかというそのしたことに対してえ注意を向けさせる例えば遅刻しましたとなった場合に何は何

をしたのかと朝起きてえ目覚まし時計がなっていたのを止めましたしかしその目覚まし時計を止めた後もう1度寝てしまうことになりましたとそのもう1度寝た後にじゃあどうやって起きたのかとこれ

は自分の携帯の方のLINEの通知が来たのでそれで起きましたとそうかじゃあそのLINEを送ってくれたのは誰だと友達がたまたま今日こういう事業があるからというので通知をくれましたとお前日頃から

そうやって友達が教えてくれるというような関係を持っていたということは良かったなと助かったなとそうした友達に助けてもらえるんであれば今度はお前が友達を助けなきゃなという風にその行動に意識を

向けるわけですねそして本人の努力えそしてできたところそして自分との比較こういったことを会話の中で注意を向けさせるわけです結果的に遅刻をしたという事実に対してできなかったところこれは

時間までに来るということにに対してできなかったわけですからそのできなかったところに注意を向けさせて次回遅刻をしないためにはどうすればいいんだと迫ったところで本人は何を改善すればいいかとか

といったこと考える前に意欲をくじかれてしまうのであ自分はダメなんだあ遅刻したなんでできなかったんだやだなとなってそっちに思考プロセスを持っていかれるわけですねそうではなくコントロール

できるところに会話を向けていくこれがあ実は他者との関わりの中でとても重要なことになっていきますこれは旧来からも実はできたっちゃできたわけですけれどもしかしえ旧来は先ほど言いました閉じた

社会を作りやすかったので閉じた社会の中では褒める資の方が早いわけですねそしてえこれはあの褒める側しる側がいちいちいちいち干渉しなくてもいいというその時間効率を考えても褒める資の方がま

いわゆるタイパがいいわけですえですのでえ旧来のやり方閉じた社会の中だとそれはうまくいくわけですけれども今のこのオープンな社会だと圧倒的な力で上に立つということはそもそももうできないと諦め

た方がいいわけですから私たちは他者の隣に立ちそしてえ他者ができることコントロールできることに注意を向けさせるような会話というもので相手の意欲を元にして行動を起こさせるえ協力させる

貢献させるということをお互いにしていくというのがいいかと思います私たちはこの社会がドラスティックに変化しているまたの中にいましてえ罰がなぜダメなのかというところを表面的に体罰によって今まで

うまくいったんだだからこれからも体罰は必要だというそのすごく狭い視野の中で議論をしがちですしかしもう少し引いてえ社会の構造の変化や私たちのこの心理的なえ社会としてのシステムの変化構造の

変化こういったものを大きな視点で捉えると私たちがそのシステムの変化に伴いどのようにしてじゃ対処すればいいかという対処法も変化する必要がありますのでもしある特定の問題を見つけてその問題を高

解決すればいいよという議論が展開されたとしてもそれがとても小さな部分的な箇所しか見ていないのであればそのえ議論も出した結論も失敗に終わる可能性が高いですですのでえより大きな視点でえ全ての

ものを見つめるというのは難しいかもしれませんが局所的な答えを出すのではなくシステム全体としての複雑な動きというものを視野に入れた上で大きく捉えながらあそして私たちがその中でどう振る舞えば

いいのかということを考えていければいいんじゃないかなと思います私の著作超える技術まだ読んでない人はAmazonでポチって買って読んでいただければと思いますえ今日のこのエピソードが気にられ

ましたらチャンネル登録いいねボタン通知をオンにしていただければと思います今日もお疲れ様でした[音楽]

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