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「言語化が全て」に騙されるな。ビジュアルシンカーが世界を進化させる。多様な思考スタイルが社会を救う [ ポッドキャスト 自己啓発 成長 心理学 脳科学 podcast 人間関係 成功 視覚思考者]

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今回のポッドキャストでは、言語化の強調が過剰になっている現代社会の影響について深掘りします。「言語化信仰」とも呼ばれるこの現象は、言語能力が高いことが過大評価され、それによって多くの才能が見過ごされがちです。特に、視覚情報やビジュアルを重視する視覚思考者は、しばしば適切な評価を受けられていない現状があります。 本エピソードでは、言語化されることが「できる」ことと同一視されがちな傾向と、それによる社会的な影響を考察。さらに、言語思考と視覚思考の違いを掘り下げ、それぞれの思考スタイルが如何にして個々の才能や成果に影響を及ぼしているかを議論します。 また、AI技術の進展が言語化の価値をどのように変化
文字起こし

今回は言語化進行の罠資格思考と言語思考この違いについて解説したいと思いますえ巷ではえ言語化できなければ意味がない言語化が全てといった書籍がたくさん溢れていますこれらは言語化することが優位で

あり言語化できないものは劣っているといったようなあある程度言語化というものが万能であり言語を操るものがこのよ整数といったような言語の万能感を過度に煽り立てているえ結果かと思います私たちは

言語を操るがゆえに他の動物に対して私たちが優れている点は言語を操ることであるという風に極端にこの言語というものを課題評価している嫌いがありますしかし私たちが持ってる才能や実際の実生活に

おけるアウトプットと成果というものは実は言語化できることによってもたらしているもの以外のものの方がはるかに多く実際に言語化したことによって得られたアウトプットというものはそれほど多く

ないという事実がありますにも関わらずこれほどまでに言語化することが課題評価されて言語化できる人と言語化ができない人この2項軸に分けることによってえ多くの人をより言語化できる能力を身に

つつけるべきだと迫るそういったことによってこの社会というものが徐々に崩れつつあるこれは最近の話ではなくえ過去からずっと続いていることではありますがしかし昨今の技術確信によって徐々に言語

ができることの優位性というものが崩れつつあります今回はあ今後未来を見据えるとこの言語化できるという能力があ今え今まで以上にえ能力を失うことになりえ成果もそれほど評価されなくなる未来という

ものがやってくると思いますそうなると言語で考えているえ言語思考よりも資格ビジュアルですねえ見たものや映像で物事を捉えるという資格思考の人間の方があより多くの成果をもたらすてあろうという

未来予測のもにえ今後の展望や私たちがいかに言語というものにえ過剰に信頼しているか過剰に評価を頼りすぎているかという点の問題点について解説をしてみたいと思いますプロ野球選手教育者エンジニア

スタートアップ企業家コンサルタントそしてエグゼクティブコーチとして他方面に渡る経験を持つ私がこのポッドキャストで皆さんにお届けするのは人生の様々な局面で直面する挑戦に対処し自己実現を

果たすための具体的なアドバイスやインサイトログイン[音楽]て皆さんの夢の実現に役立つ情報をお届けします今回はですねえ昨今のま言語化思考

言語化進行ですねえ言語化できるのが偉い言語化するべきだえビジネスパーソンは皆言語化できるべきで言語化ができない人は劣っているといったようなことをま煽るようなビジネス書が書店にはたくさん並ん

でますしまそれが書店に並んでいて多く売れているということはまそういった本を買う人はま言語化を求めている言語化が評価される社会というものにま共感しているといったような現れかなと思いますで

これはまあのちょっと1歩引いてみればま当然のことかなと思いますそもそも書店に行ってえもう文字だけで書かれたそういった書籍をありがって読む人ま人文学系の本を読む人というのはそもそも言語化能力が

優れていてそしてその言語化能力が優れているからこそえ言語化できなければ意味がないというそういっった自分自身のま優れた能力を賛美してくれる評価してくれるものに当然共感しますなのでその言語化が

全てだとか言語化ができなければ意味がないといった本を買う人というのはそもそも言語化できる能力に自信がある人言語化できることが高く評価される社会に共感している人ですしかし実際の社会は

どうなのかこの世界は一体どういう仕組みなのかということをいろんな研究から考えてみますとと私たちはいろんな才能やいろんな能力を持っていますが思考する時考える時ですねえ何かを記憶したりえ何か

表現をしたりそしてえインプットとして得られた情報を元にそれを理解したりする際に言語というものにどれほど重要性があって言語というものがいかに私たちの思考や表現にえま道具として万能であるのかどう

かという観点から考えてみますと実は私たちの理解や思考には大きく分けて2つのパターンがあるということが研究で分かりましたでそれは言語で考えて理解するという人とええ資格情報ビジュアルや

あ図やイラストそういったもので考えて理解する人という風に大きく2つに分かれますでえこの2つの2種類に分かれる完全にばっかり分かれるわけではなくてその間もいますのでなのでそれは度合としてま

程度としてですねえどの程度を言語で考える方の能力に偏っているのかあどの程度を資格で考える人にえ分類されるのかというまこのスペクトラムこの2つの間の度合でえそれぞれが分類されることになり

ますがもう完全な言語で考えて理解する人言語のみでえ考えて言語のみで理解して言語のみ表現として言語のみを用いるといった人はま全体全人類の全体の1/4程度とななりますでえ資格で考えて理解

するというような人完全にま資格にえ大きく偏っているえ何か理解する時や表現しようとする時には真っ先にえ資格情報映像だとか絵とか図だとかえ空間の立体構造だとかこういったものがまずイメージ

されてえそれを元にして理解しようとしたり表現したりしようとするという考え方ですねえの人というのはそれに大きく偏った人というのはあ全人類のうちのま3大体3ぐらいと言われてますでその中でもその

資格情報で理解する人の中にも大きく分けてま2つの理解の仕方があってま1つはあ空間資格空間として理解していくというこれはあの物事を理解する時にま大まかな図や大まかな立体構造として理解していく

というようなタイプの人でえこういった人は数学者やプログラマーあるいはチェスの選手パターンを見出すことが得意ですのでまエンジニアリングに向いていたりしますでえもう1つの資格でえ思考するタイプの

人はあ物体資格これはえより詳細に写真のようにあるいはビデオカメラで撮影した映像かのようにえディティール詳細なあ部分にまでえ記憶をして理解して頭の中で再現していくという現実リアリティのある

ものをそのまま把握してそのまま頭の中で再現していくといったタイプの人でま写真のように覚えて考えるといったような人ですねでこれはもう極端にえこちら側に偏っている人というのは自閉スペクトラム

症まあの通称ま自閉症と言われるような診断結果が出たりしますがまこの自閉スペクトラム症これはあの元々昔はあこういう診断名がなかったのでえそれがあ自閉スペクトラム症であるという風に言われ

なかったかつての偉人たちというのはたくさんいるみたいですけれどもま最近は診断名がつきましたのでまそれがあのその子供の個性のうちの1つであるといったような形でま診断が下されることがあり

ますがあこの自閉スペクトラム症の人はですねえま図形を探す能力が非常に高く資格能力が非常に高いとその反面え社交性だとか社会的なルールだとかあ他人の気持ちを組みとるとかといったようなあま

言語で理解していく社会的なルールを理解していくということがとても苦手だったりしますなのでえ概念だとかあ抽象的なま哲学だとか社会的ルールだとかあこういったものに関してはなかなか理解が進まない

反面現実の世界でえま手に取れるもの触れるものあるいは直接観察ができるもの見れるものこういったものに対しての理解だとか興味が非常に強いという傾向がありますなのでこういった人には発明化とかあ

技術や実際に手を動かして物を作るといったようなことをにたけているえ人が多くまかつての偉人もですねえ今であれば自閉スペクトラム症診断されるような人というものが歴史的にはあたくさんの異業を

成し遂げた人というものがいますでえこの極端にえま資格でえ理解していくという能力に勝ておった人というのはあまディスレクシアといってま失語症ですねえ文字が読めないあるいは言語の習得話し

始めるのが遅いといったようなそういった特徴がありえそしてまそのディスレクシアであるということをま公言しているま会社の経営者だとか偉人もたくさんいますIKEAの創業者とかあとはあバージンえ

バージングループの会長のリチャードブランソンとかあとは俳優のトムクルーズとかでピカソもそうですねであとはアインシュタインえでアインシュタインも6歳からバイオリンを習っていてでえ思考

したりえする際に行き詰まった時にはもうバイオリンを引いてえいろんな考えを巡らしているともうアインシュタインははっきりと言ってますねえ何か新しいそういったアイディアを思いついたり考えたり

する時にから考えることはまずないと自分の中で図形だとかイラストだとか記号だとかなんかそういったものでえ新しく何かを理解しようとしたり自分の中で組み立てたりしていくものだという風にえ公言して

ますでえこういった今言った偉人たちは子供の頃というのはあのま学校の学業の成績が悪くま学校ではあこの子は問題時になるあるいはま勉強についてこれないのでえま学校では面倒みきれませんと言ってえ

ま落大者という風にえ評価された偉人たちもえ少なくはありませんでえその中でもま特に有名なのはエジソンですねえエジソンはあ言葉を話すのが遅くそして社交性も低くえ何か新しくものを覚えるのもま学校

の事業としてはあま点数があまり取れずで問題ばかり起こすのでえ学校では面倒見切れないということでもう学校の教育とは別でですねえ家庭学習やあとはあの電子技士の元でいろんなことを学んでいく実際

にあの電信を触らせてもらったりとかいろんな実験をさせてもらいながらあ自分で手を触れられるもの実際に自分の目で観察ができるものこういったものから興味を持ちながら実際に理解していくとでその

理解に対しての執着心や興味の度合いというのが非常に高くそこにもうのめり込んだらもう徹底して理解していこうとするというような傾向があったということでえそういったまかつての維人たちはま運が

良くと言いますかそれらをサポートしてくれるような環境やあ人物との出会いというものがたまたまあったおかげでその才能を開花させることができたということですでえこれはあの何を私はじゃ今回え

これが問題だという風に言いたかったかと言いますとえこの資格思考者というのがある一定の割合でこの世界にはいてそしてえその人たちがあ自分たちの能力が生かせるような教育やあ仕事の機会という

ものを与えられていればあ今説明したような偉人たちえのような成果がもしかすると出せたかもしれないえそういったチャンスがあったかもしれないにも関わらずえ実際にはですねえそういった人たちは今の教育

制度や社会制度の中では過に言語化するということが評価されすぎる社会のせいでえ学校教育の中では落大者と言われそして社会的支援を受けられずそしてえ自分たちのにした仕事にもつけずえ低い評価のまま

生きづらさを感じて能力を埋没させてしまうといったようなことが起こっているんではないかと思いますで言語化して理解していく言語化をま重視している人というのは世の中でいけばま営業職の方が多い

わけですねで言葉でえ相手とコミュニケーション取りながらあ言葉で正しく説明するだとか相手が言ったことを言葉のまま受け取ってえその言葉によっってのを理解をしようとしていくといった

いわゆるえ最近の言葉でいうビジネスパーソンというやつですねえがあこの言語家というものに過度な期待をしておりそして過度な評価を下そうとするそういった社会構造社会システムになっているで

これは学校教育の現場でもそうですねえ言語化できるもの言語化によって学校のテストやあそういったえ理解度能力を図る際にも言語化できる人言語化する能力がえ優れている人の方が有利ですね点数が取れ

ますでそういった人が優秀な大学や教育のチャンスを与えられそして評価が高いので就職の際にも有利になるといったような形でこの社会全体があえ言語で考えて理解するといった人に対してま過度に有利に

なっている評価されすぎるという社会構造になっているということでえ本当にこの世界において様々な才能や様々な能力を持っている人たちが本当はいるにも関わらずこの社会が偏った方面でえ評価して

しまうような社会になることで取りこぼしてしまうわけですねこれは社会全体としても非常にもったいないですしあと人々が自分たちの能力にあった適切な評価を受けられてかつえそれらを生かせるえ幸せな

生き方が本当は望まれるわけですけれども思ったほどにえまダイバシティ多様性というものが実現されてないとで昨今はこのダイバシティというものがあま性的思考性とかあとは人種とかあとは執事ですねえ

生まれた国だとか文化民族こういった意味でダイバシティは使われますがこの能力という面におけるダイバシティというのはまだまだじゃないかなと思いますでえこのま資格え思考者まビジュアルシンカーと

いうものですねえがあ実際には社会的な様々な貢献を本当はたくさんしているんですけれどもそれ自体があそもそも正しく評価されておらずえ学校の教育や社会制度自体もそういた人たちをよりえ強化して

いくような支援や教育プログラムというものが用意されていないのでほとんど取りこぼしている状態ではないかなと思いますでえ過去の事例を見てもこのビジュアル進化資格思考者が単体で何かを

成し遂げたというよりはその方たちはこの社会で評価されにくいえ中で生きてきてますのでえどこかの別の能力を持った人とペアとなってえ社会をの中で評価されていくといったような成果を出すという

パターンがいくつかあったりしますそういった意味では思考タイプをま混合したあチームというものが本当の意味でのダイバシティかなと思います多様性を重視した多様性を尊重したチームでないかなと

思いますでこの組み合わせとしてはま有名なところだけをざっと上げたとしてもえまAppleの創業者のスティーブジョブズえスティーブウォズニアックのペアそしてえMicrosoftの創業者であるビル

ゲイツとあとポールアレンえあとはGoogleの創業者のセルゲイブリンとラリーペイジそしてえFacebookの創業者のマークザッカーバーグとエドアルド

でも空間資格でえ空間として考える人と物体えリアリティのあるもので考える物体思考者あこの組み合わせですねえなどでえ成果を出していくということでえ実際にはですね今あげた2人のペアでもこの2人の

ペアだけでえ会社を作って乗り切ってるわけではありませんのでえそこにもさらにえ言語化が得意なメンバーがいたりえ空間思考の得意なメンバーがいたり物体え思考のおま得意なあメンバーがいたりというの

でそのメンバー同士でお互いの得意なところというものを補い合っているというようなあ組み合わせでえま大きな異業を成し遂げたというようなあ現実がありますで私があのこの後ですねこの未来見通すと

どうなのかというとこの言語化に関してはあやはり今AI生生AI言語を操れるような生成AIが出てきたことによってもう私はその現化できるという能力はどんどんと評価されにくく今後なっていくんじゃない

かなとこれは今までが過剰に言語化できることが評価されすぎた社会だったことによってえこういった言語化できるという能力は実は生生愛を含めえそんなに大したことはないんじゃないかと精AIがやって

いることというのは現実のリアリティのあるものを言語にしているわけではなくて言語自体を操ったことによって現実の世界とは全く別の言語空間における中での表現方法というものが複雑になったりそこでの

論理やロジックというものは通っているだけであってその実は現実いわゆるリアリティそのものを反映したものでなくても言語評価や言語能力というものがあま過剰生産されることによって言語のに

対する言語化能力というものはもはやあ現実を完全に表しているものではないという限界を見せてくれているんだと思います私たちは今までは現実の世界をどう言語として表現するべきか表現すればいい

のかということに不信してきましたがこの言語というものを考えてもそもそも言語というものはあかなりえこの限界のラインというのが低いところにあります現実のリアリティに対して言語は全くその全てを

表現するにはあまりにも脆弱すぎるわけですね例えば味を言語化して伝えようとしたところでえその味の言語化を聞いた人の頭の中あるいはえ体の感覚としてその味を再現できるでしょうかその人がいくら

いろんな例えやいろんな表現を使ったところでその言葉が味という感覚を早期させるわけではありませんよねあくまでも言語としてこういう表現でこういうものだったというものが入ってくるだけであっ

て例えば私がラーメンを食べてこのラーメンの味があ豚骨の味でえとても甘くてとてもコがあってそしてえ少しえ塩の味が効いていてで少し酸味もあってえとても美味しいですとこの言葉を言ったところで

例えば豚骨ラーメを食べたことがない人がこの言葉を聞いて私が感じたこの味を再現できるでしょうか脳の中でえこの聞いた感覚をあるいは下の味覚としてえ再現できるでしょうか要は復元できるかどうか

ですね私がこの味味覚情報をこれをえま言語とし遠行としたものを聞いた人言語を聞いた人がそれを出して自分の中でその感覚をえ再現できるかどうかですが私はできるとは思えないわけですえで例えば

これは色の問題もありますが例えばあれが赤だという風に認識している私の赤と感じたこの感覚を例えばその色を見たことがない人見ていない人に対してえこの赤はとても赤くて素晴らしいですみたいな

いかに言語化としてその言語としてやろうとしてもその赤そのものの色はその人の頭の中であるいはその人のえ赤を早期させるイメージングの中で綺麗にイメージできていてかつそれが私のイメージ私が見た赤と

一致しているかというものはま確認の仕様がないですがあ完全にえ再現できるとは思えないわけですねでえこれはあの言語化要は言語そのものの限界であり言語はあくまでも言語という空間の中でしか実際

のは取り扱いができないものであって私たちが言語を使って何かを伝えられると錯覚しているのはこの言語をやりやり取りする私たちの中で前提となるものがある程度共有されているからなんですよね赤と

いうのはこういった色でそして豚骨ラーメンというのはこういう物体でこういう味がするようなものででこういったものでってのがあらかじめお互いに共有されているのでそこに言語化というものを

入れて言語というもので伝えようとした時にある程度情報圧縮できてそしてえ小さい情報量でえ伝達させることができるとなのでこの前提となるものがそもそも共有されているというようなことが合意されてい

なければいくら言語化して伝えたとしてもそれが相手の中でうまく復元されることは期待できないわけですねなので言語化しなければ意味がないとか言語化が全てだという発想というのは私たちは画一的な前提

を理解していてそしてえ同じような価値観でそして同じような世界に生きていて要は何の特徴もない平凡なそしてえコピーのような同じような体験や同じような人間であることが前提でえそれいった中であれば

あ共通的な言語を使えばそれによって同じような体験や同じような感覚というものがその言語を通じて相手に伝わるだろうという前提なわけですねここはあのその言語でえ言語を頼りすぎるというこの考え方

自体が私たち人間はあ特に個性もなくそして同じようなえ経験や同じような体験同じような価値観をそもそも全員が持っていてということが前提になってますよねこれれって大体可能で取り替えが可能な

道具であるという風に人間自体をえ見なしてますので今回の生成AIが出てきてえ言語があ色々出せると人間と変わらないような言語の取り扱いができるなんだったら人間よりもうまい文章やうまい表現と

いうものでえ長文をどんどんと短時間で吐き出してくるという事態を見ますと私たちは一体この言語というものに過剰な信頼を寄せていたけれども肉体を持たないそして現とのリアリティの接点が持たない

マシンで言語化できてしまうこれをまの当たりにすると言語というものはあくまでも言語空間言語が通用するえ情報空間の中でしか威力を発揮できず現実との切合点を持たないものであれば全く意味がないと

いうことに気された私自身は少なくともおそういう風に感じ取りましたなので私たちはあくまでもこの現実空間の中でリアリティとしての切合点肉体を持ってそして体感覚がありえそういった中でえ

これらをどう言語として置き換えていくかということをやっているにしか過ぎずであればそれらは資格情報であればそのまま写真を撮ってしまったり映像を撮ってしまったりあるいは図やイラストやあそれ

以外の音楽でもいいですしえ体感覚を伝えられるようなそういったメカニズムでもいいですが他の情報のあり方表現のあり方でえ伝えることが今後のテクノロジーの進化でできていくんであればまま少なく

とも今回え今もうすでにですけどもこうやってYouTubeやポドキャストや様々な情報媒体で音で伝えられたりとかあとは映像で伝えられたりということがえ今まで以上に安価でそして早くできるよう

になってきていますインターネットの普及によってより多くの人にえ情報を今までの文字テキストベースや言語以外のものでも伝えられるようになってきたわけですねそうなると今までは情報として伝える電波

効率を考えると言語や文字こういったものがとても電波効率が良かったわけですそれ以外に伝搬させる方法がほとんどなかったのでえその情報効率を考えると言語という選択肢しか

なかったわけですねしかし今はそれ以外の情報の伝達の仕方が普及してきましてえそしてそちらの方が実は情報量が多くえかつ安価でえ瞬時に届けられるといういう時代に入ってきますともうその

テクノロジーというえバックグラウンドがあることによってそのプラットフォームがあることによって言語が優位であるという未来は崩れようとしてきていると思います特にえ生生が出てきたことによって言語

自体はそれほど特権的にえ優れているということでもなかったんじゃないかという風にえま社会全体が気づいてくると思いますとなるとこういった中でえまAIがどんどんと進化していく中でえ社会的にも

その役割が徐々に大きくなっていく未来においてどういったじゃ能力が生かせるのかと言いますと私はこの資格で考えて理解するというビジュアルシンカーの人たちの能力がむしろよりえ価値を持つしえ評価さ

れる社会という風に徐々に変容していくのではないかなと私は思っていますとなると学校教育の中でえこのテストやあるいはその能力を育成するための教育のあり方や評価の仕方も変更されるべきだと思います

しかしのまま今までのえ評価のあり方のままでいくのであれば社会で役に立たないような能力や社会で評価されないようなスキルを持った人たちが大量生産されえこれは学業の世界ではえ成績が高く評価が

高かった人が社会に出た瞬間に役立たずえ全然価値を生まないという風な評価の逆転現象というものが起こってしまうというえ学業やあ学校の評価と社会で価値を生み出すというところの管理現象が起こる

と思いますなのでも今もすでにそのような現象が起こってるかなと思いますがあ中高大学と学校の成績が良く自分はエリートだと思っていた自分は頭がいい方だと思っていたしかし社会に出た瞬間に実際のえ仕事

になると営業食ぐらいしかできなくてそれ以外の例えば法律を扱うとかであればまあ多少はその言語能力で評価されると思いますが実際に意味のある何か価値のある発明をしろとか新しいプロダクトを開発

しろとかあ社会を変えるようなイノベーションを起こせとなった瞬間に全く立ち行かなくなると言語能力で何かいろんな説明をするもののそれは実際にじゃあそれを形にしてえ何か意味のある

ものを作ってくださいとなっても作れるはずもなくそしてえビジュアル進化あ資格情報で考えてる人の思考形態が理解できないえそしてえそうした人たちが実際に何かをしようということを手伝うことすら

できないといったような形でまこんな発じゃなかったということが起こるかなと思いますなのであの学校教育自体が今後まどれぐらい変わるのかというのは私はそんなに期待はしてはいませんがあもしま

皆さんのお子さんやあるいは今あのこのポキャスを聞いてるもし若い世代の人でえその言語化があまり得意じゃないという人がえいたとしてもですねえ希望は捨てる必要はないかなと思いますえビジュアルで

考えて映像で考えてあるいは音で考えてえあるいは体感覚で考えてえ何かえ理解をしていったり表現をしたりということにえトライをしてみればいいんじゃないかなと思います私もあのえ芸術家やアーティスト

が作品を作って美術館でえま何かそういったアーティスティックな作品を世に発表したりま古典を開いたりというものを見に行ってでその作品自体に何かあ大きなインプレッションを与えられた場合でも

なんでこれがこうなのかというえ言葉による説明を求めても実際にその作品を作った人が何か言葉で何か説明しようということ自体をまうまく説明できないあるいはそれを避けているという現象が起こっても

私はその作品のすさや作品から得られてインスピレーションがなんら既存されるものではないと思います言語化できたからこの作品が素晴らしいあるいはこの作品を理解するのにわざわざ言語化して理解さ

せようとしなくてもいいと要はその作品が芸術作品としてそのままダレに何か私たちの互感や完成あるいは概念こういったものに訴えかけてきてえ私たちがそれを見たことによってえ何か新しい発想や着観点が

得られたのであれば私はもうそれだけで十分その芸術作品は価値があると思いますそこにいちいち言葉でえこの作品の背景が何だとかあこれはどういうどこしているものだという言語でわざわざ解説や説明や

批評などを付け加える意味もないと思いますしかし現代はなぜかそこにそうした言葉による評価や言葉による評論やあ何か言説説明みたいなものが追加されなければあこの芸術作品はあこの世界で評価され

ない広くルフできないみたいな現象が起こってますこれはメディアがその芸術作品を取り上げた時にですねえそこに何か付け加えて言葉をキャッチコピーやフレーズを付け加えてルフするといった

ようなこのメディアを含めた私たちがあま現語化することにあまりにも頼りすぎているせいでえその言語化されないものはこのように存在しないかのようにあるいは評価に値しないかのように私たちのこの

仕組みシステムが出来上がっているせいで言語ができないものはどんどん無視されていくといったようなことも起こりえるかなと思いますしかしそれもこれまでの社会システムであればそうだったということで

今後はそれらがまもう映像として直接いろんなところに配信ができるあるいは音としてえそのままダイレクトに伝えることができるといったようなテクノロジーの進化によって表現の仕方や理解の仕方も

多様性が生まれようとしてますのでなので今までみたいに言語化できなければ意味がない価値がない評価に値しないといったような風潮やあ現象というのは徐々に弱まってくるかなと思いますそういう意味

では今まで言語化が得意だったことでま不当にえ評価されすぎていた人たちやあそれによって利益を得ていた人たちであとはその言語ができることが大事だという風に煽っていた人たちは今後はその利益が得

られなくなっていく評価もされにくくなってくる社会になってくるんじゃないかなと思いますこれは決してえその人たちがあま損を被るということではなくてえ今まで不当にえ言語化する能力の方が評価され

すぎていたのがあ徐々にま適正なま中立的な公平な形になっていくえよりえま資格試行者のの不当な扱いがま是正されてえ今までえ評価されなかった人たちも評価されるようになってくるということかなと

思いますのでそういった社会全体の変化というものが今後は実に現れるんじゃないかなと思いますなのでえ今このポドキャストを聞いている人の中で自分はあま資格思考者じゃないかと思う人はあ今後の未来に

含めてえ自分の得意なところというものをちゃんと生かしていくようなフィールドや生かし方というものを色々試してですねえその能力を磨けるような環境そしてえそれを社会のパチのあるところに転化していく

可能性に関してえ引き続き模索していってくれればいいかなと思いますしあと逆にですねえ自分は言語化が得意でえ言語化が全てだと思ってるの人がいればそれはあこれからの社会は思い上がりであったと

いう風に思い知らされる可能性が高いですなので言語化が全てではない言語化することというはこの世界全てをあの言い尽くせるわけではないといったようにま謙虚になる必要があるかなと思いますで私

もえこのえま言語化が得意な方だと思ってたりしたんですけれどもただいろんな研究見てるとその言語化が得意なのかああの言語思考なのか資格思考なのかということを色々あの実験でえ試すようなあそういっ

たあま自己診断ですけれどもそれを受けてみますと私は実はあの資格思考者でしたででしかもそれはあの空間資格試行者ですねえなのでえ私はあのプログラミングとかあチェスとかあるいはゲームとかですねえ

そういったものパターンを認識するものがあ結構昔から好きでえでそういうものは何の苦労もせずうまくできたという記憶がありますで言語化も私は言語自体は嫌いではないんですけれども確かに小説を読ん

だりあと文章を読む時も頭の中で常にイメージをしてます映画を見てるかのようにえその読んだ文章かそのまま自分の網膜の中で映像化されてその映像を見ているような感覚で理解しているというのがあま

こういった研究を見ると自分は改めてそうだったなとなので私はこうやって今喋ってます言語操って今こうやって皆さんの前で喋ってますけれどもこれ喋ってる時に自分の中で映像があったり具体的なあ何か形の

あるものやあまパターンみたいなものを自分の中でイメージしながら喋ってますでただこの言葉が私は長年言葉をずっと使ってますのでえ無意識のうちに自然に出てくるような領域もありますなので私は完全

なあまえ資格試行者あではないということでまスペクトラム的には資格試行者よりではあるけれどもま完全にあのそっち側というわけではないと言語で考える言語のま良さや言語でのこういった表現の仕方理解

の仕方もある程度はあるという意味ではま真ん中から少しえま資格試行者よりぐらいかなといったようなあ私の能力の特性かなと思いますなのでまそういう意味で私はあのある程度能力がま両方にまバランスが

あるといえばあるのかなとは思いますがまそういう意味ではあのまどっちでもないみたいな平凡な人間だったなというようなことかなと思いますえま私があの天才的な何か特殊な能力をずば抜けてえ偏ったよう

な能力を持っているというわけではないけれども完全な社会不適合者でえま社会に全然適合できないというほどのまハンディキャップを持ってるわけでもないというま普通の平凡な人でえまそれを

うまくま努力と言いますか訓練によってそれぞれをまま平均よりもちょっと高いぐらいの能力としてえ維持できているあるいはあそれらをま訓練努力によってえ能力をさらにこう上回していきながら

積み上げていってえあの多くのま価値を普通の人よりも多く出そうとしてきたといったような形でえ今のこのえ私のえま成果ですね価値を出すという能力ができて出来上がってきたのかなと思いますなので

生まれつきの能力は実はあの言語特性が強いというよりもま空間や資格情報によって理解していくというまビジュアル進化よりかなと思いますでま私がその自分自身がそのビジュアル進化よりだったから云々

というよりも私はそのま言語があまりにも言語化できることに対してそこが強いま進行というほどえ言語化されることていうのがあま神話化されている神格化されてしまって

いるということに対してえま少し気をつけた方がいいというま継承を鳴らすつもりでま今回えそこういったテーマを取り上げて解説をすることにえしましたでえ私が話すポドキャストでのテーマというのはこう

いったならの継承を鳴らすというようなあ立場がでえ何かテーマを決めて話すことが多いですけれどもこれはあの私自身よる戒めでもあって私もま今までインターンシップ性とか人を採用すると

いった時にえ私自身があそういったま言語を操れる人え言語可能力が強い人をやはりあの不当にえ高く評価してえ採用する時の決め手にしていたなという反省もありますこういったものってあのなかなか面接では

見抜けないですよねえではやはり言語でやり取りする方が効率がいいですしそういったやり方がやはり長く定番化されていますので言語化しない方法で相手の能力を図るというのはなかなか一般的な採用面接

や採用試験の中では用いにくいと思いますなので私自身も多くの才能を取りこぼしていたなという反省がありますのでえ私自身への戒めも込めてそして次の世代にはそういったあえまもう私のような古い価値間を

次へ継承しないためにもえ私自身が得た反省をちゃんと伝えてえそして次の世代はまた違った試験やあ違った評価方法でよりえ多様なですね能力があってえそれらをちゃんと見極めて評価できるような仕組み

というものを社会全体で考えていきましょうというまそういった前向きな提案としてえ捉えてもらえればいいんじゃないかなと思いますえちょっとまあ今回はあの大雑把な分類にえ始まりそして社会全体の

評価のメカニズムといったところまでえちょっと幅広く話しましたがえ皆さんも是非えそういった能力の違い適正の違いこれに対してえどう評価して適材適所として生かせる環境やあま公正な評価という

ものがどうあるべきかということを考えてもらえればなと思いますはいえ私の著作公技術まだ読んでない人はAmazonでポチって買って読んでいただければと思います今日もお疲れ様でしたさ

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