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人はなぜ比較と不安に飲まれるのか「自己肯定感」の本当の意味と育て方 #人間関係 #心理学 #成功 #podcast #成長 #雑学 #人間心理 #自己理解 #メンタル

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「もっと頑張らなきゃ」 「役に立たない自分には価値がない」 そうやって、自分を追い詰めていませんか。 この動画では、多くの人が混同している 「自己肯定感」「自己有用感」「自己効力感」の違いを整理しながら、 自己肯定感の本当の意味をわかりやすく解説します。 なぜ人は比較に苦しみ、 失敗を恐れ、 嫉妬や不安に振り回され、 ときに自己啓発や依存的なコミュニティに惹かれてしまうのか。 その背景には、 「役に立つ自分」「できる自分」に価値を置きすぎる構造があります。 この動画では、 無条件の愛と条件付きの愛の違い、 自己肯定感が土台になって
文字起こし

土台に自己肯定感というもの[音楽]がない状態でその上に自己有用感を積み上げようとした場合に自己進行のカルト宗教などはこの辺りを匠に利用していて自己肯定感を適度にわけですね。

私たちは生まれた瞬間と死ぬ直前この2つに無条件の[音楽]愛というものを場合は新しいことに挑戦しないということが起こります。そして今うまくいっているというのはその人自身が傷ついているという

考え方ですね。傷ついている人が人を傷つける。今回は自己肯定感について解説をしたいと思います。昨今自己肯定感というキーワードが様々なところで聞かれるよう[音楽]になり、そしてこの自己肯定

感というものを用いることによって様々な自己啓発系の現設であったり[音楽]スポーツや学業そしてビジネスの世界でも自己肯定感を上げましょうであったり逆に[音楽]自己肯定感があることによって

問題が発生しているといったような自己肯定感という風潮に対する否定的な意見こうしたものを色々見きするように[音楽]なりそしてその中にはこの自己肯定感に対する考え方や捉え方が大きく

間違っ[音楽]ているものも含まれるようになってきました。日本語で言う自己工程というこの皇帝という意味の解釈[音楽]が本来の自己肯定感というものとこの文字による皇帝という言葉の解釈これらが

混ざってしまったことによって本当の意味の自己肯定感と[音楽]いうものを理解していない人が自らの勝手な解釈によって自己肯定感[音楽]というものを定義してしまいそしてそれらの定義によって自らの

意見や現設というものをメディアを通じて広めていってしまうということによって間違った自己肯定感というものが広まってしまうリスクもあります。今回は[音楽]本来の自己肯定感の意味、そしてこの自己

肯定感を高めることがどれほど重要か。[音楽]そして多くの人が勘違いをしている自己肯定感と自己有用感、そして自己効力感。これらを混動してキーワードを正しく使い分けられていない。こうした

ことによる弊害[音楽]、そしていかに自己肯定感をます。島馬は生まれてすぐに10分もすれば自分の足で立てるようになり、そして1度立てた後は歩き出すことができます。しかし私たち人間は生まれて

すぐの間は呼吸や排泄以外は何もできず大人の力を借りなければ1日を生きることすらできません。私たちは生まれ落ちた瞬間は何もできないかい存在でその存在を私たちは理解しているからこそこの赤ん坊

に対しては存在してくれているだけで十分だという存在自体の肯定こういった感情を抱きます。自己肯定感というのはこれを自分に向ける感情でありのままの自分を無条件に受け入れるということになります。

これは生まれたばかりの赤ん坊が何もできない。そして多くの人に助けられ、そしてその助けられていることに対して感謝もしなければ本人は記憶すらない。覚えてもいない。このような状態であったとしても

それが分かっていて周りはこの赤ん坊を助けようとするわけですね。私たちもその感情を自分や周りの人間に対して存在してくれているというその状態だけ受け入れると。これはありのままの自分を受け入れる

ということに他ならないのですけれども、このありのままの自分というのものが一体何なのかというのがよく論争になったりします。これはありのままの自分というのは一体どういうものかというとありのままで

ない自分というものも考えてみましょう。ありのままでない自分というのは条件付きの自分ですね。これはテストで100点を取ったらとかお金を多く稼いだらとか会社で出世したらとかこれらは条件がついて

いるわけです。それらの条件をクリアしなければ自分には価値がない。他者に対してもそれらをクリアしていない他者はあ、価値がない価値が低いと見なしてしまう。逆にそれらを達成している人や自分のこと

を誇らしく思ったりその条件をクリアしたことを評価の対象にしている。これはありのままの自分やありのままの他者というものを受け入れているというよりもその条件をクリアしたことについて受け入れて

いるわけですね。私たち大人は子供が成長するにつれていつの間にかこの条件付きの愛というものにすり変わってしまうことがあります。赤ん坊の頃は無条件に全てを受け入れていたのになぜか子供が成長して

いき言葉を覚えそして自分たちに何かを成し遂げようとする学校でテストを受けえ、成績が数値として現れるようになり、そして他のクラスメイトと比較されたり、他の家庭やテレビの向こう側の有名人、

こういった人たちとも比較をするようになり、子供に対して他者と比較をした上で他者よりも劣っている、あるいは優れる必要がある。こういった期待が含まれていくことによって無条件の愛から条件付き

の愛に変貌してしまうことがあります。しかしいずれ私たちの親も年置いてネタ切りになり何もできなくなってしまう。その際にはまた無条件の愛というものに戻ることになります。もうネタ切りで何も

できなくなっていくその親の姿を見て何かができなければ価値がないではなくただ今日1日生き延びてくれていてそこにいてくれるだけでいいという感情にまた戻っていくわけですね。私たちは生まれた瞬間と

死ぬ直前この2つに無条件の愛というものを感じることができますがその途中家程はどうでしょうか?自分自身で何かができるという風に自分で思い込んでしまう。そして他者にもあなたなら何かができる

はずだという風な期待をしてしまう。これらによって条件付きの愛というものに変貌してしまい、私たちの人生の多くをこの条件付きの愛の世界の中で生きる必要があるという過酷な状態になってしまいます

。で、ここで出てきたのが自己効力感や自己有用感といったもので、まずこの自己有要用感についての説明ですが、自分は誰かの役に立っていると思うこと。これを自己有要感と言います。これは裏を返せば

役に立っていない自分は価値がない。他者に対してもそうですね。役に立っていない人間はこの社会に必要ない。生きている価値がないと判断をしてしまう。そうした感覚につがっていきます。そして自己効力

感。これは自分が何ができるのか。自分自身が何か成し遂げられる、達成できる能力のこと。これに対して自分自身が達成できると思っていること、あるいは達成できないと思っていること。この自分自身

の能力の自己評価。これを自己効力感と言います。で、これらはそれぞれいいも悪いもありません。私たちはこの自己猶用感や自己効力感、これらを持って自分自身の能力を判断し、そして何を改善すれば

いいか、何を望めばいいのか、こういったものも日々調整をし、そして目標を立て、それができるように努力をしていくということを積み重ねて成長していっています。自己有要用感も自分たちの組織、特に会社

とかスポーツのチームとかもそうですが、この組織やチームにとって有要な人間、そしてその有要である役割を果たすために役に立ってもらう必要がありますので、そういった意味では私たちが社会を営む上

でこの自己猶予要感や自己効力感というその切り口概念はとても重要で有益なわけですね。しかし多くの人が勘違いをしているのはこれらは自己肯定感とは違うわけです。自己肯定感というのはあくまでそこ

に存在をしている自分や他者その存在そのものは肯定をするというものでその上に積み上がる自己有用感や自己効力感というものが気づき上げられることによってうまく機能するわけですね。昨今この自己

肯定感というものが先ばれるようになったのは私たちのこの社会のメカニズムが自己肯定感を無視して自己有用感や自己効力感を煽られてしまう。角に評価されてしまう。私たちがそれを気にしすぎてしまう。

そして他者を見る時にもこの有感や効力感によって他者を判断してしまう。人間関係を築づく際の判断にしてしまう。こういったことをすることによって自己肯定感というものが内がし代にされ、あくまでも

社会に役に立つのかとかこの人は何ができるのかばかりが注目されてしまう。これによってどういうことが起こるかと言いますと、自分は誰かの役に立っていると思えなければ価値がないと自己肯定感が

ない状態での自己有用感があった場合ですね。すると誰かの役に立とうとしすぎるがあまり自分がしたいかしたくないかではなく他者が何を望んでいるかばかりを考え他者が望んでいること役に立とうとする

ことばかりを追い求めてしまう本当はしたくないんだけれどもそれらをせざるを得ないという風に自分自身を納得させて対応しようとする。逆にしたくないということによって役に立つことができない。役につ

動きというものを自分は本当はしたくないと思った場合に自己否定をしてしまうことになりますので役に立とうとしていない自分はダめだといったその自己有要用感が下がってしまった時に大きなダメージを

負うことになります。土台に自己肯定感というものがない状態でその上に自己有用感を積み上げようとした場合に自己有用感が下がった時にその下で支える自己肯定感がないので一気に崩れてしまうわけですね。

なので他者の役に立とうとか役に立たなければならないとか役に立つ人が価値があってという風な基準で自分や他者を見てしまうと役に立っている時は自信満々になるんですけれども役に立っていないかも

とか役に立てなくなってきたかもと思うと途端に自信がなくなり不安になりしがみつこうとしてしまうわけですね。で、次にこの自己効力感ですけれどもこれも自己有用感と同様に土台に自己肯定感が

必要です。自己肯定感の上に自己効力感があるのであればこの自己効力感自分は何ができるのかという能力についての自己評価ですけれども、自分がこういうことができるあるいはそこまではうまくできない

という風にこの自己効力感が変化した場合ですね、上がったり下がったりした時にその土台となる自己肯定感があればあくまでも自分の能力を客観的に見てうまくいってる、うまくいってない。自分

の能力が上がっている、下がっている。そして環境に対して自分の能力を生かせている、生かせていない。こういったことを判断してうまく選択をし、自分の能力が生かせる場所に行ったり自分の能力を

高めるためのトレーニングや努力というものをしようという風にその行動を変えられるわけですけれども、もし土台に自己肯定感がなかった場合、自己肯定感が十分に高くない場合はその上の自己感だけが

高かった場合、自分はこれができると思った。しかし新しいことを挑戦しようとすると自分のこのできないかもしれないという能力これをさらすことになるのでこの自己効力感が高く自己肯定感が低い人土台に

自己肯定感がない人が自己効力感にしがみついている場合は新しいことに挑戦しないということが起こります。そして今うまくいっているあるいは現状を繰り返してることこれらを気がつくとまた繰り返し

てしまう。挑戦することから逃げてしまうということが起こります。そうするといずれ自分ができると思っていることもだんだんとできなくなってくる。環境が変化したり時代が変化しますとかつては

有要だと思われていた能力や自分がかつてはできると思っていた能力も年と共にま、廊下もそうですし時代の変化によってその能力というものが役に立たない評価されないできるという感覚が薄れてくるてこと

が起こるわけですね。そうなると自己効力感が下がったその土台となる自己肯定感もないとなると人に対しての嫉妬やネタみあるいは他者兵の攻撃というような表面的な反応というものも徐々に現れ始めます。

ですので自己肯定感と自己有用感そして自己効力感らは別物だと理解してもらう必要があります。別物でありまず土台として自己肯定感が必要でその上に自己有用感自己効力感というものを積み上げていく

必要がある。土台になる自己肯定感が十分な高さがないぐらついている状態でその上に自己効力感や自己有用感を積み上げようとしてもうまくいかない。短期的にはそれらによってうまくいってるかのように

見える瞬間もあると思いますが長期的にはやはり土台がぐらつきますのでちょっとしたアクシデントやトラブル環境の変化によってもろく崩れ落ちてしまうということが起こります。概念としてこれら3つを

切り分けて考えるということは可能ですけれども、それぞれがそれぞれに作用し合っているという側面を考えると自己肯定感だけを高めて、そして自己有用感や自己効力感というものは一切作用させない

ということは現実的には不可能です。自己効力感を得る過程によって自己肯定感が高まることもありますし、自己有用感を下げてしまったことによって自己肯定感も下がってしまうということが起こります。

これらは相互に作用してますので土台のように上に積み上げていくというこういった概念的なイメージは重要ですけれども相互に影響を与え合っているという意味では全くの自己有用感がなくても自己肯定感

だけが高いとか自己効力感が全く0なのに自己肯定感だけが非常に高いみたいなことはそれはそれでまた不自然なわけですね。ですので、それぞれがそれぞれほどほどに高めていく必要があるんですけれども、

バランスよくそれぞれを正しいラインまで高めていく必要があり、この中で最も先に高める必要があるのは自己肯定感であり、最も脅やかされてはいけないのも自己肯定感ということになります。全ての土台に

なるのが自己肯定感であると。この辺り、え、理解されていない場合だとこの自己肯定感というものと自己効力感や自己有用感というのをごちゃ混ぜにして批判したり、最近の特にZ世代の若者を見た時にZ

世代が自己肯定感を高めるために何か取り組みをしているといったものを上の世代が野してしまったりということが起こるわけですね。なので自己肯定感は無条件の愛となります。条件付きの愛では

ありません。この条件付きの愛というものは、ある種残酷でエゴイスティックでもあります。自分自身に自信があったのは見た目が美しいからだとしたら、それは美しい自分というこの美しいという条件が

ついているわけですね。ですので、もし美しくなくなった、あるいは時代が変化して美しいの基準が変わった、年置いてきて美しいという自己評価を保つのが難しくなってきたとなると途端に自分のことが

受け入れられなくなる。そして他の美しい人を見ると寝たましく思ったり悲んだり下げんだり足を引っ張ろうとしたりしてしまうわけですね。お金を稼げている自分がほらしいと思っている。これも条件付き

です。お金を稼げるという条件がつくわけですね。しかし自分よりも稼ぐ人間がいる。そして求められているお金を稼ぐ金額が徐々に上がってきた。そしてそれに自分が答えられるほどのお金を稼げなくなってき

た。こういった場合はお金を稼げる自分という条件付きですので本当のお金を稼ぐ稼がないに関わらない自分本当の自分の評価自己肯定感というものがない場合ですとお金が稼げなくなってしまうあるいは

他者が自分よりも稼げる人が現れたとなるとまたそこに妬ましさや低屈さ、そして足を引っ張ろうとする悪意こういったものが出てくることになります。この条件付きの愛というのは他者と比較をするという傾向

がありますので他者と比較をしてしまうとその他者との比較を常に気にするようになってしまいそれによって内面に常に恐れというものが発生します。他者に負けたらどうしよう。他者と比べて自分はどうなん

だろうというこの比較というものに常に注意が向きすぎることによってこの内面の恐れというものを完全に排除することができなくなってしまいます。ですので、自己肯定感の前提は他者との比較自体をし

ない。これは存在事態を受け入れるということは条件がない無条件ですので他者との比較も意味がないわけですね。全てのものを受け入れる。自分も含め、他者も含め、全く比較ができるものでもなく比較はし

ない。比較するようなものではないというこの自己肯定感の土台となるもの。この中では他者と比較をする必要がなく、そして他者と比較をするべきものでもない。いったことで無条件の愛、これが自己肯定感に

なります。で、これがあった上でその上にある自己有用感や自己効力感、ここは他者との比較が入ってしまいます。役に立っているかどうかとなると、当然相手に対して、え、喜ばれているかどうかとか、相手の

相手に対して役に立ったかということを自分が理解するためにも当然他者の気持ちだとか他者がして欲しかったこと、ニーズを組み取る必要がありますので、ここでは当然比較というものが入りますね。自分に

は何ができるのかというのもできるできないもそうですし、他者ができるのかできないのかという比較も当然必要になります。でなければ自分ができるというこのできるの基準となるものがないので他者と

比較というものは必然的に入ってくるわけですね。ですので自己肯定感は他者とは比較しない。しかしその上に乗ってくる自己効力感や自己有用感は他者との比較の上で成り立つということになります。です

ので、全く他者と比較をしないってことは私たちにとってみると、社会生活を営む上ではむしろ不便になりますので、他者との比較は避けるべきではないんですけれども、ただ自己肯定感を下げないためには自分

自身の存在に関しては他者と比較をしてどうかというところは比較をするべきではないということを理解しておく必要があります。この自己有用感を高めて自己肯定感が低いのを補おうとするといったような

アプローチの自己啓発系のトレーニングや社会一般で用いられている能力開発セミナーとかですね。え、こういったものはある種危険な側面があります。自分が役に立っていると思う。そういった自己有用

感を高めれば自己肯定感も高まったかのように見えるんですけれどもこれは一時的なものでうまくいけばそのうまくいっていると感じられる間は自己肯定感が低いことに気づかないので問題がありませんが

常に他者の役に立ち続けているということを思い続けるのは現実的には不可能ですので自己有用感が下がった時に一気にまた元に戻ってしまうとことが起こります。自己効力感で自己肯定感を補おうとする場合も

同様ですね。うまくいってる時は自信があるように見える。これは成功というものが事故の証明になりますので新しい挑戦を恐れて失敗をするとバレてしまいますので今やってることにしがみつくてことが

起こるするとだんだんとできることも減ってくる。そしてそのできることの基準LINEも自分の能力が追いつかなくなってくるとなるといずれ自己感も下がってしまう。そしてその土台になる自己肯定感

も低いとなれば一気に崩れ落ちてしまうってことになるわけですね。となるとまた自己啓発系のセミナーに参加してまた新しい別の自己啓発を啓蒙している人だとかメソッドだとかこういったものを点々と

渡り歩くような自己啓発難民みたいな状態になることもあります。進行のカルト宗教などはこの辺りを匠に利用していて、自己肯定感を適度に高めつつも、しかしあるところで自己有用感とか自己効力感の方に

振り切って自己肯定感を思いっきり薄くして、そして自己猶用感や自己効力感が下がってきた時に自己肯定感の下がった状態がになりますのでその状態でまた自己肯定感を少し上げてあげるといったような

雨と鞭知を使い分けることによって依存させていくなので、え、宗教というものをうまく用いて自己肯定を上げるような団体や考え方思想もあればその逆で自己肯定感を上げるふりをして実際には上げてない。

むしろ適度に途中途中で下げていくそれによって依存させていくといったようなメカニズムを持っている宗教等もありますのでこの辺りは注意が必要です。で、これは自己啓発系のセミナーも同様ですね。え

、そうした方がリピーターになる。として点々とする、ま、難民化させることによってそこでたくさんの時間やお金を使わせる消費者とさせることで潤っていくことになるわけですね。ですのでこの辺注意して

もらえればと思います。これは別のエピソードで自己啓発系の、ま、セミナーだとかあるいはそういったメソッドをどう見極めればいいのかというところでも少し解説はしていますが、今回のこの自己肯定

感という観点から見ても自己肯定感を高めるのかどうか、そしてその高め方が正しいのかどうかというところもチェックしてもらえればと思います。で、この自己肯定感に影響をしてくる、ま、4つの要素

ですけれども、まず1つ目は他人からの評価で、この他人というのは基本的にコントロールできません。他人がどう思うかとか、どう評価してくるかというのは私たちにはコントロールできないわけです

ね。ですので他人からの評価というものは自己肯定感を脅やかす要素になりますが、自己肯定感を守るためには他人からの評価は基本的に気にしない。他人からの評価に影響を受けないという風にする必要があり

ます。これはコントロールできないから気にしても仕方がないという発想を持っておく必要があります。そして今度は他人からの評価を自分がどう思うかですね。他人と自分が比較をしてそれによる自己

評価。この場合も誰と比較をするかによって自分の評価というのは変わってしまいますね。隣のAさんと比べるのとテレビの向こう側のBさんと比べるのとではその比べた時の評価というものが変わってき

ます。ということはこれも自分でコントロールができないわけですね。ですので、他者と比較をしたとしても、それによってその評価というものが誰と比べるかによって変わってしまうようなものであれ

ば、わざわざ比べる必要はないと。これは自己肯定感を守るという意味ではそもそも他者と比較するのをやめる。比較をしても仕方がないと思うことですね。そして3つ目は失敗や成功というものも影響してき

ます。何かに取り組んで失敗をしたからと言ってあなた自身の存在が否定されるわけではありません。これは自己肯定感というのは条件がない無条件の愛ですので失敗をしようが成功をしようがその無条件である

愛は変わらない変更されないという考え方です。失敗も成功も特に評価に影響与えないということであれば失敗したかどうか成功したかどうかに注意を向けてしまうことをまずやめる必要があります。で、

これは自己効力感や自己有用感のところでも影響してきますが、挑戦をせずに同じパズルばかり取り組むことをすれば成功というものは一時的には手に入るかもしれません。しかし長期的に考えたらどう

でしょうか?挑戦をせず同じパズルばかりを解いているとなると時間ばかりをそこで消費してしまうことになり、結果的に本当だったらもっと色々できたことが機械損失という形で長期的に見れば失敗なわけです

ね。ですので、どの視点から見るかによって成功とか失敗というものは簡単に変えられてしまうわけですね。失敗や成功というものにどうしても注意が向いてしまうという人であれば、あえてどんな

シチュエーションでも行動を起こして挑戦をしたのであれば、そこから学べることはあるので、どんな形になったとしてもそれは長期的に見れば成功なんだと考えるという方法もあります。なのでこの場合は

挑戦を恐れて何も行動しなかったらそれこそが本当の失敗だと時間を無駄にして機械損失をしている。これが本当の失敗だという風に捉えれば行動を起こすこと、挑戦をすること自体はどのような結果を

引き起こしたとしてもポジティブなものに捉えられますので挑戦をする行動を起こすもうこの時点で成功だと思えればこの失敗と成功というものを過に恐れることもないかなと思います。あとは不足に起こる

トラブル。これは交通事故にあったとか、あるいは詐欺にあったとか、何か犯罪に巻き込まれたとか、あ、こういった良きしないトラブルというものも私たちの人生にはつきまといます。で、その場合にも

うまくいかなかったこと、これは避けられなかった、あるいは事前に何か予防をやっていれば防げたかもしれない。だけどこれも確実に防げたかどうかというのは疑わしいわけですので、ここはもうそう

いうものだと起こるものなんだという風に割り切って自分自身の人生やこの社会や世界にはある一定の確率で不足のトラブルというものが起こるものでそれがたまたま自分の周りや注意の人たち含めた自分が

感知できる範囲に起こったんだという風に捉えてもらえればいいんじゃないかなと思います。こうした自己肯定感というものを下げないために、そして高めていくために有効なのがアファメーションですね。

これも別のエピソードで解説しましたが、アファメーションというのはなりたい自分、あるいは将来になっている自分こういったものを文章を作ってそしてまるで今なっているかのように、そして今なっていこう

としているかのように。これは同詞の使い分ですけれども、同詞を現在系あるいは現在信仰系という形で文章を作ることによって、否定的ではなく肯定的な未来、肯定的な自分というものを描いて

いくことになります。このアファメーションによって自分がどうなろうとしているのかというのを確認することができ、そしてそこにはある種のえ、自己有用感や自己効力感というものも含ま

れてはきますが、その自己有用感や自己効力感よりもそれに先行する自己肯定感、自分はありのままの存在で自分を認める。これをまず習慣化するためにアファメーションというものを行ってみて

ください。私たちはこの世界を捉えた時に自分自身の価値観に合わせて世界を解釈していきます。その際についの価値観に適合するような判断をしてしまいがちですので目の前で起こったことをどう判断するかも

この価値観で判断してしまうわけですね。例えば自転車の前のかに置いていた鞄を自転車をちょっと置いてその場を離れた隙に盗まれてしまったとおびきになってしまった。これは投げかわしいことですし

、その時は腹が立つでしょうし、悔しいと思います。として警察に行って被害届けを出し対応してもらうことになると思いますが、しかしその間あなたは何ができるのかずっと怒り続け悲しみ続け誰かを責め

続けるのかなぜお引きをされるような状態を自分は作ってしまったのだろうかと責めるのかなぜ自分が自転車の前のか護に置きっぱなしでその場を離れようとした時に周りの人はバック置きっぱなしですよと

いう風に言ってくれなかったのかとかあるいは全然関係のない昨日こんなことをしたから私はバチに当たったんだとか何かしらネガティブなことを考えます。そしてその間自分がじゃあ具体的な

アクションを取れるのかと言うとそうではなく警察からのま、操作の結果を待つしかなく犯人が捕まるまで自分は何もできないという状態になるわけですが、その間ずっと自分やあるいは誰かを責め続ける

とこを行う感情の無駄遣いをするわけですね。これは自己効力感が低いとこうなりますが、自己効力感を高めるためにあえて違う視点で思考を変えて感情も変えてみるということを考えてみるといいかなと思い

ます。まずお引きにあった。これ自体は投げかわしいことですが、犯人の気持ちに立ってみて、なぜ犯人はこのおきびきをせざるを得なかったのか、その背景になる同級は何なのか。これはお引きをした方が

まともに真面目に働くよりも効率がいいといったようなそうした[笑い]働けないシチュエーションあるいは働くことに対してポジティブでないような心理状態になっているような社会で生まれ育った可能性も

あったりあとはそのおきというものをま化している習慣化してしまって日頃から簡単に置きをするような思考メカニズムが染みついてしまったそういった行動特性を持っている人かもしれません。そして

捕まって一時的に嫌な思いをしたとしてもまた衝動的にそれを繰り返してしまう。もしかすると本人も反省してるかもしれませんし、嘆いているかもしれませんが、これは依存症のようなもので、タバコを

やめたい、お酒をやめたいだけも吸ってしまう、飲んでしまうのと同じように、お引きはダめだ、しちゃいけないと分かっていながらしてしまう。こういったことを本人はもしかしたら苦しんでいるかもしれ

ません。これは確かめない限りは分かりませんが、しかし行く分か先ほどの誰かを責めるというシチュエーションよりはずっと感情的にも思考的にも前向きになれ、そして自分の動きを取り組めることも

少し変わってくるわけですね。今までは警察に対してまだですか?まだ見つかれませんかという気分で警察に対して当たってみたり、そして周りに対して感情的になってしまったりということをするのか。

この世界をもっと良くしよう。もっと素晴らしい世界にするために困っている人が本当はいるんじゃないか。このような犯罪をしなければならないような人たちというものが一定数いてその人たちは一体

どのようにすれば救えるのだろうか。あるいはその人たちはどういう生態系で生きているのだろうか。彼らは罪悪感はないのだろうか。むしろ苦しんでいるのだろうか。こういったものを興味を持って

関心を持ってアプローチをしてみるというだけでもその5の動きが手に入るものは変わってくるはずですね。これが日々積み重なっていくと大きな全進になるわけです。これは少々チャレンジングな発想か

もしれませんが、こういった発想を変えるとか思考を変える、感情を変えるというこれ自体も挑戦ですのでそれによってそれがうまくいかなかったとしても学びや得られることはあると思いますので是非試し

てもらえればいいんじゃないかなと思います。で、ここの全体になっているのは誰かを傷つける人というのはその人自身が傷ついているという考え方ですね。傷ついている人が人を傷つける。ここのように

思えば自分に対して何か嫌なことをしてきた、不快になるようなことをしてきた人を見たとしても悲しむのは自分ではなくて相手なんだいう風に思えるわけですね。相手は人を不快にさせてしまうぐらい自分

も不快なんだなと。人を傷つけて自分は自信満々に見えるけれども、あの人の内面や過去背景はもしかすると何か傷つけられるような環境やそうした出来事がその人の背景にはあるのかもしれないと見ると

その人自身を恨むというよりはそのような状態に陥ったその背景やその社会やその世界をずっと良くしなければならないという使命感みたいなものも持てたりします。罪を憎んで人を憎まず相手がしけてきた

周に関しては許せないかもしれませんが、その相手自身は許すことができるかもしれません。この許すというのは日本語での漢字は2種類あります。特にこの人を許すというのは先ほどの罪を憎んで人を憎まず

の相手が行った行為に対して許す、許可するではなく許す。これはした行為や罪に関しては認めないけれども、しかしそれを起こしたその人自体の否定はしないいった考え方ですね。この許すことが日常的に

できている人というのは心身と共もに健康である傾向があります。これは血圧とかあと心臓疾患とか特にストレスですね。これらにいい影響がありますので他者を許すということは自分にとってもいいわけ

です。ですので自分のことも許す、他者のことも許す。これが自己肯定感というものにつがるわけですね。ですので人を愛することと価値観を共有することというのは別です。相手も別の価値観を持ってます。

その価値観によって人を判断してます。そしてそれは自分も同様で自分も自分自身の価値観によって他者を判断しています。ですので相手を認めるということと相手の価値観を自分もその同じルールに従って

行動するというのはまた別ですのでお互いにお互いそれぞれの価値観がありそしてそれに沿ってそれぞれが行動しているとしてもそれを相手に押し付けずにしかしその価値観を持っている相手は許容する愛する

ということですね。これがうまくいかないと人を愛するということと価値観を共有することが混ざってしまった場合に価値観の合う人しか認められない、価値観の合う人しか愛せない、許せないということが

起こります。となると価値観同士で分断されたり衝突をした場合にそこには憎しみ増ెというものが生まれ、私たちの社会はどんどんと分断されていくことになります。そして他者と比較をしたことによって

生まれる感情。これは嫉妬ですが、これもまた別のエピソードで言いましたが、嫉妬するということは自分の欲しいものというものを自分自身が気づくチャンスでもあります。そしてその欲しいものは簡単には手

に入らない。手に入れるのが難しいと自分が思っているということも気づかされます。ですので嫉妬が湧いた時にその嫉妬の憎しみや怒りというものを相手に向けようとしたり、あるいは八当たりしたり自望

時期になったりするのではなく嫉妬というシグナル自体に気づいてください。その嫉妬というシグナルはあなたが自分が本当に欲しいもの、そしてそれが簡単には手に入らない。手に入れるのが難しいと思って

いること。これらを教えてくれるシグナルですので、その時に本当に自分が欲しいものはこれだったんだ。そしてそれは簡単に手に入らないていうのも自分では分かってるんだということを気づかしてくれた。

そうしたサインとして捉えてもらえればその先の怒り、像、憎しみ、攻撃、こういったものはそこまで加速させずに距離を取れると思います。で、ジャーナリングという、ま、ノートに日々何かを書いていく

といった思ったことや感じたことをどんどん書いていくということによって精神的に、え、不安が減り、そして自己改善が達成されやすくなる。こういったことをしていく中にも少し触れましたが、

感謝を書くということで、日常のこのジャーナリングの中に感謝を10個書くというものもやってみるといいかなと思います。としてこの感謝を毎日10個書いていくことによって自分の気分が良くなるの

もそうですし日頃意識していなかったこと。しかしよく考えればこれは感謝に値することだなということにも気づかされますので同じことばかりを書いていても構いませんので毎日感謝を10個書いてみるという

のも試してみてください。そして自己理解という意味で自己肯定感を高める意味でも自分自身のことを全て受け入れる。そして自分自身の行動も受け入れるということで3つのことを書いてみてください。まず1

つ目はしたくてしていること。そして2つ目はしたくないのにしていること。そして3つ目はしたいのにしていないこと。これらを書くことによって自分が日頃どのような価値観で判断をしていてそして行動して

いるのか必ずしも自分にとって望ましいことしたいことばかりをしているわけではなく価値観と行動というものが一致しないものがたくさんあってどちらを優先すればいいのかということに気づけることになり

ます。で、これを毎日書いていると同じことが毎回毎回書かれることがあります。そうなると何か少し変えてみた方がいいかもという考えるきっかけが得られますので是非試してみてください。自己肯定感と

いうのは自己有用感や自己効力感とは違うとことを今回説明しましたけれども是非皆さんも自己肯定感を高める日々の取り組み行動というものをしていただければと思います。私の著作ご技術まだ読んでない人は

Amazonでポチって買って読んでいただければと思います。今日もお疲れ様でした。

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