記事一覧

選挙にも影響‼️なぜ『美しい』と感じるのか?美しさの本質に迫る - 生存戦略における美的感覚の進化 [ ポッドキャスト 自己啓発 成長 目標達成 心理学 脳科学 人間関係 成功 潜在意識 脱洗脳 ]

YouTube 動画
選挙結果にも影響する美しさの真実 - なぜ私たちは美しいと感じるのか? 概要: 今回のエピソードでは、「美しさ」をテーマに、その本質と私たちの感じる美しさの理由について深く掘り下げて解説します。美しさがどのように私たちの判断に影響を与え、どのように進化してきたのか、そしてその美しさが持つ利点と危険性について詳しく探ります。 主な内容: 美しさの影響力 - 選挙における美しい政治家の当選率など、日常生活での美しさの影響。 美しさと正しさの関係 - 美しさと正しさが同じ脳のエリアで感じられる理由とその影響。 美しさの進化的利点 - 社会的結束の強化、パートナーの選択、環境への適応などの利点
文字起こし

今回は美しさ私たちはなぜ美しいと感じるのかその美しさの正体について解説をしたいと思います私たちは日頃から美しさの影響を受けています選挙で政治家を選んで投票する際に見た目がいい政治家は当選率

が上がりますこれは美しさが私たちの判断に対して影響を与えている証拠でありこの美しいという感覚は実は正しさ正しいと感じる感覚と実は同じ感覚で脳の活動エリアも全く同じです私たちは文脈に応じ

てそれを美しいというカテゴライズしたものとして捉えまた別の文脈ではそれを正しいと認識してえ使い分けを行いますこれは別のなぜ感情を私たちは持つのかというところでもお話をしましたが私たちは

文脈に応じて感情や感覚というのをラベリングしてます大元の感情や感動が同じものであったとしても文脈に応じてそれらを使い分けるという特性があります今回はこの美しさについて私たちが

なぜこの美しさという感覚美しいと感じる感覚を持つようになったのかその利点や危険性について解説をしたいと思い[音楽]ます今回は美しさ美しいと感じる感覚に

ついてですが私たちはこの美しいという感覚これがま根源的なもので本能的に持っているものだと思いがちですが実は半分は正解で半分は正しくないですこれは好転的に何を美しいと感じるのかというものは

歴史上何度も変更がされており私たちは持って生まれた美しいと感じる感覚というものは実はごくごく小さなエリアしか持っておらず教育と共に環境の中の影響を受けながらこの美しいという感覚美しいという

基準をどんどん変更されてきていますなので生まれたばかりの赤ん坊が美しいと感じるものともう熟練のま80歳を超えたようなもう人生のすいも甘いも経験したようなま年を召された方が感じる美しいと

いう感覚はかなり異なりますとは言っても人類がベースとなる共通的な感覚としての美しさというのも当然ありそのを共通しているところと成長の中であるいは環境や社会的な影響の中で得ていくその美しさの

基準こういったものが絡み合った結果として何を美しいと感じるのか何を美しくないと感じるのかこの辺りの分岐というのが成長と共に変化していきますでなぜ私たちは美しいと感じるのかこの美しいという

感覚これらが持つ利点生存戦略上その美しいという感覚を持つ方が有利であった理由ですねえこの辺りをまずはちょっと考察してみたいと思いますでまずはあいくつかま理由をここで今から述べますが順番

にまずえ1つずつ上げていきますと1つ目はえ社会的結束の強化です何を美しいと感じるかというのをその自分が属する集団内で共有しておくといちいち何らかのルールを覚えるよりも判断が早いですね

感情に頼りますのでルールのような1つ1つの基準みたいなものをいちいち確認したり思い出したりするよりも何を美しいと感じるか美しいと感じるものが正しいとルールに沿ってるという風に機械的にえ

本能的に感じられるようになれば迷わないですよね判断が早いですなので敵か味方かを判断する時にもこれを美しいと感じるのは味方だとこれを美しいと感じないやつは敵だという風に瞬時に判断すれば殺戮する

時にえためらわずに殺せるわけですね要は美しいという基準が違う相手というのは自分たちの集団とは違うという風に本能的に判断できるので感情移入する必要がないわけですね私たちこのホモサピエンスと

いうのは実はあまり私たちにとっては都合のいい解釈ではないんですがこのホモ族私たちの非常に似た霊長類の中でも実は今残ってるのはこのホモサピエンスサピエンス私たちだけなんですねそれ以外

のサピエンスホモ族というのはもうえ現在は現存しませんなぜかたくさんいたそのホ族があ私たちを残して私たち以外は全ていなくなってしまっているわけですねえこれはま一説には私たちが残虐で攻撃性が高く

殺戮を行うと同時に自分たちの味方に対しては観葉で助け合うというような特性を持ってるので味方同士て協力をし合うしかし味方ではないと見なした瞬間に残虐な行為で相手をカプなきまでにま殺戮

できるようなこの2面性を持っているからと言われてますこの一見あまりにもこう表裏両面だと思われるような能力で他方にはとても優しく他方にはとても残虐であるといったことを容易に行おうと思うには

この美しさ正しさを持ち合わせている方が有利だったと考えられます何かを美しいと感じるまこの美しさの基準を共有できているものは味方だとなのでそこには優しくしようしかしこれを美しいと思わない

あるいはの美しさの基準を持っているという集団はそれは敵であり共感する必要がないなのでまるでこう物を壊すかのように殺戮ができるとそれによって自分の心は痛まない躊躇しないためらわないといった

ことが可能になるというま説ですねこれはま社会的結束を強化しますが争いを引き起こしますそういった意味でホモサピエンスというのは排た的でありえその集団の属性が自分が属する属性に関しては

その集団の内側に対しては強力的でありしかしその集団以外の集団に対しては排た的管用でないと認めないといったような特性を持つこれによって自分たちが生き延びるえ生存上有利な状況というのを

作れるとまそういった特性があったんじゃないかという部分ですねまそれが美しいという感覚が役に立ったとその美しいという感覚を持てる共有できる集団というのは生き延びやすいという説ですねで2つ目

ですがパートナーの選択という面から美しさが有利になったというものですえこれは配偶者まま生殖をする相手ですねが健康だったりあるいは遺伝的適用に有利だ個体例えば自分と遺伝的に子孫を残す上で生殖

をすると有利だと思われるような特徴を持っているものというのを外見から判断できればよりこう生存上を有利になりますなので進化状をより進化したであろうと見える外観の方がま魅力的に見えるような

そういったま自然淘汰の圧力というのが発生します進化のえ過程上をより優れているかどうかは実は重要ではなくて優れていると見せればいいわけですね優れていると感じられればいいというものです私たち

が霊長類からの進化だという風に認識していれば猿とかゴリラに見た目が近ければえ進化的に劣ってるという風に思いますよねえそういう風に感じられるわけですよねしかしそのゴリラやあチンパンジーや猿

から見て程遠い外観をしていれば進化的とえ見なせるというものですね例えばこの鼻筋とかはゴリラとかチンパンジーとかというのはああま長くないですよね短くそして基本的にはもうその鼻のこの高さと

いうもの維持されてませんほとんどがこう引っ込んだ状態ですねこの鼻筋というものはほとんど存在しないわけですが逆に人間の世界だと鼻筋が長く通っている方がま魅力的であるという風に見なされる傾向が

ありますあとはこの音えこの顎の先の骨の部分ですねこれがゴリラとかチンパンジーとかサルーは音がないのでえ逆に音がある場合その顎先がこう前出ているような顔の特徴を持っ持っている人というのはま進化

しているという風にみなされやすいわけですねであとはこの顎のま噛みしめるところのエラと言ったりはしますがこの顎の筋肉やこのの骨ですねこれらがよりこう細くえシャープであればそれも進化的とま

見なせるかなと思います肌の色も黒いものから色のえ薄いところまで人間の場合はかなりのこう色のグラデーションがありますがそれらも自分たちのその遺伝的な特徴に対して有利になるかどうかというの

でそれを魅力的と感じるかどうかというのも影響を受けますでこの辺りは文化的な背景もあるのでえ色が黒い方が好まれる時期トレンドですがあったり逆に色が白い方が好まれる傾向があったりもしますが

あとはその肌の色に関しては光の反射とか光の屈折によって黒い方が皮膚表面の凹凸が目立ちやすかったりするということもあったりしてえこれはま健康面えからの判断に使われたりもしますけれども皮膚が

綺麗なのかどうか整っているのかどうかそれが若いのかえ若くないのかあそういとこの判断に使われたりもしますのでえこの辺りも魅力的かどうかという判断に利用されたりしますこれがま美しさを

感じることができることによってえパートナーを選択する際に自分にとってえ有利な相手を探すことができるそういった相手に魅力を感じることができれば生殖としては子孫を有利な形で残すことができる

といったものに使うというのがその美しさの使い道のま2番目ですね3番目はあ環境への適応ということで自分たちが生きていく環境これこれがあまりにも複雑すぎると毎回毎回考えないといけない迷って

しまうそして瞬時の判断を下すことが難しいということでその環境を美しくないと感じるということはその環境は自分が生きていくためにはあまりえ向いていないという風に見なすことができます例えば

毎回道に迷うようなほど道が複雑あるいは毎回道が変わってしまうルートが変わってしまうみたいな環境だと下手するとそれで命を落としたりする可能性もあるわけですよねすると毎回ルートが変わらずにそれ

こそ一直線だったりとか障害物がほとんどないみたいな道を美しいと感じればその道を積極的に歩こうと思いますその道を積極的に進もうと感じるわけですよねそれはあの効率が良くかつ迷わないので認知的な

負荷も軽いわけですよねえするとその環境が自分にとって適してるという風に思うことができればその環境の中で生き延びようとその環境の中で生活しようという風に思いやすいですよねなので

美しいと感じる時にその環境に適用しやすいその環境が自分にとって有利だいう環境を美しいと感じればその状況やその環境を自分自身は望ましいと思うのでそこに長くとまるその環境を利用してより生存

上有利になろうという風に働きかけることができるそういったま環境への適用ですねなので私たちは建造物を見たりあるいは視線環境を見た時に自分たちが理解できないほどの複雑性を持っているものに関し

てはそれが生活をする上でもえ生存をする上でも不利なレベルで複雑なものに関してはあまり美しいとは感じないわけですね逆にえシンプルで自分たたちがうまくそれを使えそうだと自分たちがそれに対して適用

できそうだと思う環境に関しては比較的美しいと感じやすかったりします生理整頓された部屋の中を見れば美しいと感じる逆に乱雑にえそこら中にゴミが捨ててあるみたいな環境は美しいと思わないという

ような心理もまその辺りから来てるんじゃないかなと思いますえそして4番目は認知の発達ですね認知に関しては何を美しいと感じるかというそういった感じ方に対して自分自身がですねそれをどう解釈するか

これが見たものを見たまま美しいと感じるのではなくてこれが自分にとって望ましいのかといったような判断その認知がこの美的センス美しいというものにも影響を与えますこれはまファッションとかそうか

なと思いますが今のトレンドの中でこれが望ましいこれが社会的に受け入れられている自分が見られたいイメージに沿ったファッションであれば美しいと感じたりあるいはそれを体現してる人を見ると

美しいと感じたりこれはただ時代が変わったりそのファッションに対する前提の知識が違ったりするとこれはもう美しいと感じなかったり美しいという感覚が湧いてこなかったりするわけですね例えば私が好き

なあのファッションブランドだとサンローランというまデザイナーであるイヴサンローランが創業したデザイナーのファッションブランドですがハイブランドとして本当にかこたの地位を気づいてえ

世界中で愛されてえ切られているブランドですけれどもこれがデザインだけを見て美しいと思うだけではなくてここにえ創業者であるイヴサンローラが何を込めたのかで彼が何を苦悩してどう戦ったのかといっ

たような背景としてのストーリーこれこれらが付随することによって美しいと感じるその感覚が変わるわけですねえそういった意味で私たちは何を美しいと思うかあるいは何を美しくないと思うのかも簡単

に変更されますしその美しいという純粋なその目の前にある資格情報やそのものから受ける影響だけではなくその背景やそこに付随する様々なストーリーそういったものも美しいと感じる感覚に影響を与えますで

そのストーリーが自分にとってみて有益であるストーリーでそのストーリーが自分たちに対してまならかのいいストーリーであればあるほどそれを美しいと感じるわけですね逆に自分たちの考えや自分たちの

信じているものま道徳的ま規範に対してそれに反するようなものそれらを怪我すようなものに関しては美しいと思わなかったりするわけですねなのでえそこがその認知私たちがいろんなものを感じて

いろんなものを考えられるようになったことによって美しいという感覚が私たちが持っている道徳的規範や認知によって得た様々なものをグっと凝縮して一瞬の判断に使えるわけですねなのでなぜここの目の前

にあるものを美しいと思うのかという風に問われればその説明はです色々できると思いますがただ瞬間でそれをすぐに手にしようとかそれを発するためにすぐに意思決定をするとかあそういった場面に関して

はただただ美しいというその感情だけに頼って決断をすればそのそれだけ考えるスピードを考えるリソースというのを節約できるわけですねえそういう意味で美しいという感覚があることによって私たちが

それを美しいと感じじる背景やその裏側に隠れている様々な情報というのをぐッと圧縮できるとまそういった使い道ですねなので美しいものは正しいという風に感じることによって意思決定判断というのを

早めることができますそしてえ5番目ですがこれは創造性の向上ですね私たちが美しいと思うものはそれ自体に何らかの目的や役割がなかったとしてもそこに対して興味をそられますよねえ常に魅力的だと

感じるするとそこに対して何かこだわってえこれを何か貸してみようとかそこに注意がずっとなぜか無意識のうちに向いてしまうのでそこに対して何か新しく使い道を考えてみようかなとかあそれを何かいい

方法としてま何か役割を与えてみようかなとか新しい使い道を考えてみようかなみたいな形で今は役に立たないもの今は無価値に思えるものも何か価値のあるものに転化してみようとかあそういったあ何か

新しいもの想像しようというそういったインセンティブ精神的なインセンティブですねモチベーションというものがそこに加わったします私たちがま古来から貴金属を身につけてそして自分たちを美しく

見せようとするそういった修正がま昔からありますがこのその美しく見せるということ自体はま一見無駄に思えます例えばえこれはもうあのかなり昔ですねま原始時代にはえ人が食べるわけではない食べられ

ない貝というのを海からかなり離れたあま100kmぐらい離れたところの洞窟にその貝が置いてあったといったようそういった形跡記録がありますこれは食べるわけではないものをわざわざ集めて洞窟の

中に置いているとでこれは理由は美しいからこう道具として何か使えるわけでもないようなものを食べるわけでもないようなものをわざわざ労力を払ってまで拾って持ってきて保管するこれは美しいという

美しいもの収集するとたようなあそういった考え方を当時から持っていたということですねで私たちはそうして何か美しく何か自分たちを聞かざるあるいは周辺に美しいものを置きたいとそういった本能が薄く昔

からあったわけででそれらを自分たちが生きていく生存上を様々にこう有利になるような形で転化してそれらを用いてえ社会を気づきえ生存上何らかの役割というのを果たしてきたですけれどもその美しさその

ものが美しいと感じるから正しいという風に感覚としてはえ感じるんですけれどもそれはあの脳の中の美しいと感じる部位と正しいと感じる部位というのが活性化するところが同じなので美しいイコール正しい

という風に思いがちなんですけれども必ずしも実はそうではないわけですよね美しいから正しいというのは人がそう勝手に解釈するだけであって実際には美しいからと言って必ずしもその人が正しいとは限ら

ないと思いますしえ自然界にある美しいものが必ずしも正しいというわけでもないわけですよねあくまでも人間がそう解釈したいそう解釈してしまうという傾向があるというだけで私たちは美しいものを正しい

と感じてしまう生き物です逆に美しくないものそれは正しくないものという風にえ判断されてしまいますのででその場合はそこに対してのえ共感を示さなかったりえそれを排除してもいいという感覚をこ抱か

せたりしてしまうわけですねまそれがあの争いを生みま戦争だとか殺戮だとか内分だとかを引き起こす原因になったりする場合もありますなのでこのうしさと正しさというのは同じ感覚でありながらそれぞれが

文脈によって使い分けている分脈によってその判断をラベルを付け替えているというわけなのでえこの美しいという感覚というのは実は諸派の剣なんですね自分たちが何か興味を示すものやこれを正しいと感じる

ようなものに対して美しいという風に感じる一方で美しくないと思ったものはないがしろにしてそれは正しくないとえして排除しようという感覚が出てきてしまうわけですね私たちえホモサピエンスが排他

的な考え方を持つ主なのでえ仕方ないと言えば仕方ないんですけれどもある一方でこの美しさというものを押し付けるような社会押し付けるようなコミュニケーションこういったものを私たちは一方で取りがち

ですのでこの何が美しいのか何が美しくないのかといったような議論はこの私たちの今の現代ではなるべく避けられてきていますなのでま採用面接とかでもそうですけれどもこの人落とした理由は何ですかと

いうのが美しくないからですていうのは決して言わないわけですよねただ本人が面接感がそう思っていたとしてもそれを理由に口にすることないと思いますただ実際にはその美しさの影響を受けているの

でそれを完全に排除することはできないんですけれどもこの私たちの社会ではその美しさを基準にして何かを選ぶとかていうのはあるの排他的な考え方であるという風にみなされるので今社会はどんどんと

リベラルに向かっていますのでえそういった思想そういった社会の変化の中ではその美しさというものは実は取り扱いがかなり難しくなってきていますなので何を美しいと感じるのかというものに関しては無害な

ものに対してしか美しいという表現を使えなくなってきています例えばある景色が美しいとかある芸術作品が美しいとかあそういった何の社会的思想や哲学やある特定の人物に対してでえ与えるようなもの

でないもの全くの無害え全くのまニュートラルな存在そういったものにしかもう美しいという表現が使えなくなってくるということですね今の時代だとある女の人を指さしてあの人は美しいというもん

ならそれがセクハだと言われたり逆にあの人をわざわざ美しいと言ったということは美しくない人を案に示していると例えば目の前に女の人が2人いて片方だけを指さしてあなたを美しいと言った場合ですねこれ

はもう1人の人を美しくないと言ってるのと等しいという風に捉えられかねませんのでそういった状況で今の現代では特定の人を指して美しいというようなことというのはあ基本的にはそういった発言というのは

避けるようになってきてますこの美しい事態は変更されるのでえメディアやあるいは効率性を追求した結果のその習慣ですね何度も何度も繰り返すことによってこの美しいというのはま捏造されますし

変更されていきます何度も何度も目にすればあその対象をま交換を持つというこれはあの別のエピソードの中でま解説をししましたけれども人は単純に何度も何度も同じものを見たり聞いたりするだけでえ

その対象物に交感を持ちますということはえ何かを美しいと思わせる場合であればその対象物を何度も何度も見させて何度も何度も聞かせればそれらに対して行為を持ついわゆるま美しいと思わせることが

できるということですねでそれを美しいと思わせることができるということと実はデザインというのは関係をしてますデザインというのはこのま芸術という面での美術Bというものとはあデザインていう

のは機能面のことを指しますのでえ厳密と一緒ではありませんがデザインがもたらす人間に対するそのデザイン上の機能というのはパっと見で何をする機能なのかというのが分かりやすくかつそれが好ましい動き

をするというのが形上を示されているものですねこれらをデザインとして優秀なデザインであるとそれが美しいと感じるわけですねこれはもう機能面で見た目上そういう機能だというのをイメージし

やすいこれは認知的負荷が低いので美しいと感じるわけですけれどもデザインというのはその美しいという感性感覚に頼ってえデザインをしているわけですねなのでえデザインとしては優秀なんだけど全く

美しくないみたいなものっていうのはそれデザイン的にも優れてないわけですねなのでそこは矛盾してしまいますので実際にはあのいいデザインというのは当然美しいものでありますただしその逆で美しいから

いいデザインとは限らないわけですね美しいと感じるんだけれども使い道がよく分からないしえ使えないといったようなもものこれはデザイン上はいいデザインではないですねなのでいいデザインは美しい

しかし美しいからといっていいデザインとは限らないということになりますのでいいデザインというのはその美しいの中にえ内法されてはいますがあ決して十分なものではないという美しさがあそのデザインを

全てま補強してくれるものでもないということですねこの美しさが今先ほど少し前に言いましたが私たちがこの美しいという感覚や美しさについて議論することがとても窮屈になってきています特定の事項

やある政治的心情だとかあ考え方思想に対して美しいという感想や美しいという角度からの議論というのはこより省かれるようになり適切でないという風な時代になってきてますまこれは一方でその美しさ

イコール正しさですので正しさを中心に議論するのを避けましょうといったいう意味ではよりま安全な議論の方向ですが実際にその議論を論じている私たちが人間である以上実は内面的な美しいと感じてる

感覚や正しいと感じてる感覚そのものを排除することは不可能ですなので何が起こってるかというと私たちは美しさや正しさで物事を判断しているにも関わらず議論の表面上はその美しいや正しいという

言葉を使わずに議論をしているわけですねなので本当の意味で美しいとか正しいことを基準にせずに議論ができるんであればそれはある意味で理想的かもしれませんが現実で起こってることは美しいや正しいに

よって判断をしている自分たちのその判断をしているということから目を背け美しいとか正しいとかというものを排除したかのような振る舞いをして美しいや正しい以外の論点で決断をしたかのようにしている

だけということですねなので本質的な最も議論しなければならないところの中に自分たちが議論の基準に置いているものを排除して議論をしているというとても不自然な公平でない議論というものが巻き起こる

わけですねこれは社会がリベラルになればなるほどその傾向は強まります私たちが何を持ってこの意思決定判断をしたのかということを目を伏せて全く違う理屈や全く違う議論の論点というのを持ち出してきて

そこで決着をつけたかのように見せたかるわけですよねなのでその表面的な議論や表面的な論点だけで組み立てた場合に変な矛盾が起こったりやあねじれが起こったりするわけですしかしその場にいる論じて

いる参加者たちはその正しいとか美しいとかていう感覚によって意思決定ができないわけですからそれをしてしまうこと自体がタブなのでそれをできないえ状態で議論を展開しなければならないとなりますとその

ねじれた状態であってももう容認せざるえないとなので私たちは今自分たちが持っている感覚や自分たちが持っている感性というものによってえ意思決定をしていること自体は避けられないことなんです

けれどもまるでそれを排除できるかのように振る舞っているといったような状態になってますでこれが果たしていいいのか悪いのか社会を安定的に安全にしていくにはなるべく美しいとか正しいとかという

感覚だけに頼らない方がいいですけれども決して私はその美しいとか正しいという感情や感覚自体を完全に排除しようとあるいはそれを無視しようといったことの方が危険かなと思います私たちは意思決定

をする上でそういった感覚や感情の影響を受けているのであればそれを素直に認めてそしてそれ自体によって自分たちの意思決定っていうのが影響を受けるとそこまで含めて正しく議論や意思決定をするべき

じゃないかなと思います私たちがなぜ美しいや正しいという感覚そういった考え方を抱くようになったのかというメカニズムこれも含めて理解をしておくことによって自分が美しいと感じるものと

目の前にいる相手が感じる美しいというものが違うとそしてそれが違う場合はそれはイコール正しさに関しても自分が思う正しさと相手が思う正しさが違う人は自分が思っているものを中心に物事を考えます

ので自分が正しいと思ってることで相手がそうじゃない自分が思ってる正しいこととは違うことを正しいと思ってるといった場合はそこに対して共感が示せなくなりますなので今の現代の議論というのは表面

的には共感を示し用でありましょうと言いながら本当の意味で共感はできない共感をする気がないというそしてその原因が自分が美しいと思っていないから相手が美しいと思ってるものと自分が美しいと思ってる

ものが違うからということを議題にあげないのでそこから目をそらした状態でなぜか自分の価値観自分の正しいと思うものを基準に相手をさくそして相手も同様にそれ逆のことをこっちにやってくるとでもその

原因がただ正しいと思ってるものが違うからということを認めないそこに議論がいかないのでそこを見ない状態でえお互いのことを責め合うどっちの意見がより正しいのかという正しさの押しを本当は

ただしてるだけなんですけれどもなぜか論理的に考えた結果としてこちらの方が合理的だみたいな結論に持っていこうとしてしまうわけですね大抵は片方が折れるまいわゆる諦めるわけですねえその議論は

大抵はあ決着がついたかのようになりますがそれによって得られた結論というのは決してこう包括的なものになるわけではなくてただ片方が諦めてで片方がないがしろにされるという方向に進むだけ

になりますこれは決して目指した肝要な社会を目指しましょう要は美しいとか正しいとかっていうことで判断することをやめてみんなを放せして包括したような社会にしましょうと言って進んでるにも

関わらず実際には片方を内がしにして片方を発言できないようにあるいはその存在自体を否定するようにしていきながらあ表面的な取りついとして包括しているように見せかける放せしているように

見せかけるという風に社会がびな形で進んでいくわけですねなので現代の方が本当の意味で敷いたげられてる人を内がしにされている人が誰なのかというのが分かりにくくなっていますよりその自分たちが

本当の意味でえ敷いたげられているという風な声を上げにくくそしてその声を拾い上げるという行為が行われにくくなってますのでそういった意味ではこの美しさや正しさに対して私たちがもう少し再度

私たちが持ってるこの感覚や感情って一体何なんだとでそれも含めて実は議論の除にあげてもいい頃じゃないかなと思います決してそれは正しいとか美しいだけで判断をすることを認めるという意味ではあり

ません様々な観点から考慮した上で美しいとか正しいっていう感覚によって判断することこれも一応議論の議論の上にあげた上で私が美しいと思うものはこれであなたが美しいというものはこれででそれをお互い

に示した上でかつ自分たちがその美しいとか正しいと思うものの影響を受ける生き物なんだというのをお互いに認めた上でそしてそれで今の議論今のに上がってるものがどうなのかという風に論じてみるの

が本来の放せする包括する社会を目指す方向に向かうんじゃないかなと思いますそれでも私は完全に包括できる放せできる社会が実現できるとは思っていませんこれはベースとなるのは私たちホモサピエンス

が排た的であるというその生物学的な限界ま元々の特徴に影響を受けるので完全な意味での法YEや包括全ての面において許容するということはできないと思いますそういう意味では完全なリベラルの社会と

いうのは私は実現しないと思っていますただだからと言ってリベラルを諦めろとかリベラルであることを完全に否定する気もありません私たちは美しくないものとも共存しないといけない正しくないものとも

一緒にえこの世界を共にしないといけない美しいという自分が思うものが全てではないということを認めるべきだと思いますこれは美しいという概念の成り立ちから考えれば分かると思いますが美しいという

感性正しいという感性というのはそもそも正しくないものがこのようにありそして美しくないものがこのようにあるからこそ美しいという感性があるわけですよねもしこの世の全てが美しいというもので

置き換えられたとしたら私たちはその中で美しいという感性を持つ必要がなくなるわけですよねしかし実際には全てが美しくなったらなったでその中でもさらに美しいものや美しくないものを私たちは選び取り

感じ取ることになると思いますこれは例えば戦争状態でアメリカと旧ソ連が対立していた冷戦時代であればあその旧ソ連に包括されていた各各小さな国同士はその中では特に対立はせずもっと大きな2項対立

でアメリカソ連というのは対立してましたがその対立がま弱まりもうほぼなくなったような状態になれば今度はその内側で今度対立を始めるわけですよね私たちはとても大きな排他的な対立があればその中で比較

的近いもの要は美しいとか正しいという基準が近いものの中では一緒にする共にすることができますがそれが弱まった場合は今度はさらに小さいところの中でその対立が起こるわけですねなので私たちは

どこまででも美しくないものを排除することはできないです正しくないものを排除することはできないんですね全てを美しいもので揃えた全てを正しいもので揃えたとしたら今度はまたその中で正しくないもの

や美しく美しくないものその中で序列をつけ美しいものだけをまた選び取るようになりそしてまた選び取った美しい中からまたさらに美しいもの美しくないものというものを識別するようになりますなので

私たちは美しいもの美しくないもの正しいもの正しくないもの全てが実は私たちの世界の中には必要でそしてそれらを認めた上で美しくないものもあれば正しくないものもありそしてそれは正しいとか美しい

というものを存在させるためにも必要でありそしてえそれらを完全に排除してこの世からなくしたところでまた残ったものの中から美しくないものや正しくないものがまた私たちは認識として出てくる

だけそれを延々繰り返すだけという状態になりますのでそれらをま許容してそうした美しくないものや正しくないものにもちゃんと向き合うといったことをする必要があると思っていますそもそも私たちが

美しいとか正しいというその価値基準だけでえこの世界を見てしまう生もであるただそれだけでえ全ての自分たちの行動を制限してしまう美しいと思うものにしか行動しない正しいと思うものにしか行動しないだ

と私たち自身がその一瞬一瞬の美しいとか正しいとかと言ったような感覚のみに縛られるので簡単にこの美しいとか正しいという基準が変更されてしまうのにも関わらず自分たちが意も絶やすく変更されるよう

な感覚に頼りすぎてそしてそれを基準に行動してしまうそういったことは決して長期的な望ましい状態ではないと思いますのであくまでも美しいとか正しいとかという感覚は私たちの中には自然に生まれて

きてその影響を受けるというそういったことを認めつつしかしその美しいとか正しいという感覚から少し距離を置きながらも美しくないものも正しくないものも実は必要であるという風に全てを許容

する方がより健全でありそしてえ最終的には達成できない完全なるリベルの社会リベルルの世界がえ古内にせよそこに少しずつでも改善したり近づいたりしながらこの世界を安定的により安全でより私たち

が望ましいような状況にえ少しでもこう変革してえ近づけるんではないかなとは思いますそれでも完璧な社会完璧な世界っていうのは来ないとは思いますが来ないからといって劣化していくことを何も手を

こまねいてですね何もしないというのと完璧にはならないによ何らかの改善や改良を日々続けましょうというその姿勢をすことというのはかなりの差がありますのでなのでえ私たちがあこの美しいとか正しい

とかという感覚感性が私たちにとってどれぐらい価値のあるものなのかというのを取り直すきっかけとして少し時間を取って考えてもらえればいいんじゃないかなと思いますそういう意味で芸術というのは

私たちの美しさの基準や正しさの基準というのを揺りおかしてくれますし私たちは1度知ってしまったこと1度経験してえ目覚めてしまったものは目覚めていなかった頃に戻れませんその感覚を取り戻すこと

はできませんなので芸術の価値というのは私たちが持っているこの世界の認識美しいっていう基準正しいという基準そのものを揺さぶりますのでえ芸術というのは芸術自体に正しくないとか美しくないと論じる

ものではなくそもそもの私たちが美しいとか正しいとかと感じるものを揺さぶるものだと思ってもらえればいいんじゃないかなと思いますえ昨今はその芸術に対して美しくないものは芸術じゃないといった

ような風潮でその芸術活動そのものを制約えしようとしたりする動きもありました例えば見る人が不快だからこれは芸術ではないなのでこんなものやるべきじゃないといったようなその美しいというものをえ

特定の人たちの物の見方でこれが美しいのか美しくないのかという風に決めてしまうというなそのそもそもの芸術の意味芸術が果たすべきことというのを誤解している社会になってきつつあるなと思いましたの

でそれはある意味で危険ですのであくまでも芸術は芸術そのものが美しいとか正しいていうものを決めるわけではなくてあくまでも私たちが持っている美しいとか正しいとかという基準をさってくれるもの

として捉えてもらえればいいんじゃないかなと思いますそういう意味では芸術は人を不快に不快にさせることもありますしそれも1つの揺さぶり方のの表現のの1つですねなので全く不快にならない芸術というの

は私は芸術としての価値芸術としての機能はあまり有益ではないかなと思います本当にいい芸術というのはそれによって不安になったり不快になったりしかし今まで見ていた世界や今まで感じていたものが違うん

じゃないかと疑問を自分自身に対して突きつけたりあるいはがその芸術に触れることによって今まで認識できなかったものが認識できるようになったりするものそういったものとしてえ芸術はあるべきかなと

思いますのでそういった意味では科学と似てる面があるかなと思います科学もこうだという風に証明されたりえそれが導入されて道具として私たちが実用的なものとして使うようになったらもうそれがないこと

それがそもそも存在しないことというの想像できなくなりますよね私たちがそれによって認識が変わった世界の捉え方が変わったわけです例えばまだその電波というものがが一般的に知られてなくかつ

実用的なものがなかった時代はこの世界に電波が飛んでいるなんてことを考える人は当時はいなかったと思いますしかし今の時代まラジオもテレビも携帯電話も電波を通じてデータのやり取りをしているという

ことはもう誰しもが認識してると思いますのでそうなると電波そのものは私たち見えてないんですけれども認識はできますよねそれは携帯電話のアンテナの数を見たりラジオであればえチューニングして

合わせようとしてる時に電波がどれぐらいなのかというのを意識することもありますし私たちが実用していく中で今までなかった概念というものをもうまるで当たり前にあるあるかのように認識しながら生活する

ことになりますなのでもう今の時代にはこの世界に電波なんてものは存在しませんよっていったようなあ旧来の考え方はもう想像できないわけですね私たちは知ってしまった後は知らなかった頃の感覚という

のを思い出せませんそういう意味で科学科学というものと芸術というものはとても似ている性質を持ってますなので芸術の持つべき姿というのは私たちの認識を揺さぶってくれるものですのでえそういっ

た意味でこの美しいか正しいかというのは私たちが決めるものですけれども芸術はあくまでもその美しいとか正しいの基準を本当にそれが美しいでいいのかそれが本当に正しいと思っているがそれでいいのかと

いったように揺さぶって問いかけてくれるものとしてあり続ける必要があるではないかなと思いますえ私の著作小技術まだ読んでない方はAmazonでポチって買って読んでいただければばと思います今日もお

疲れ様でしたDET

シェア
X LINE
← 記事一覧に戻る