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「共感力」こそが戦争をなくせない原因である科学的な理由。#心理学 #脳科学 #science #雑学 #人間心理 #人間関係 #podcast

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イスラエルとイランの軍事衝突、遠隔攻撃が激化する現代の戦争—— なぜ人間は「距離が離れるほど」簡単に攻撃できるのか? その答えは、私たちが美徳だと信じている「共感力」にあります。 愛情ホルモン・オキシトシンは「味方」には優しくなる一方、 「それ以外」に対してはむしろ攻撃性を高める。 共感力が高い人ほど、同族以外を排除する—— これは感情論ではなく、科学的事実です。 銃を撃てた兵士はわずか13〜18%。 しかしドローン操縦者は100%攻撃を実行できる。 この差を生むのが「物理的距離」と「共感」の関係です。 この動画では、共感の持つ5つの危険性を科学
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で、これは進した女性の中では特にこの沖士都心というものが優位に高くなり、それによってできる限り客観的に、え、公平に考えた上で評価してください。リストの順番を考えてくださいと言わ。

これは戦場で銃を打ったことがある兵士というのは実はですよね。なのでそうなると共感されやすい人が優先されるという事態されるべきことなのかどうかというのはまた別の問題ですね。なので本当に共感や

道場を必要としている人、今回は共感の持つ危険性について解説したいと思います。共感力、他者に共感をし、そして同場的になる。それによって、え、他者の置かれている状況や他者の感情というものを自分

の中で再現し、相手の気持ちになるといった、あ、そういった能力として共感力というものが作必要であるという風に、え、ま、書籍やメディアを通じて、え、より多くそうした情報を受け取るようになり

ました。私たちは社会的評価として協力的である。そして助け合うこういった援助者としての立ち振る舞いというものを求められるようになり、え、そしてそうした能力を高めていくことがこの社を良くする

ことだということで、え、共感力というものをこのみんなで身につければ世界は良くなるんじゃないかといったことで、え、共感力というものを高く評価し、そしてそれらの能力と鍛えていく、あるいは求め

ていくということを推奨しています。しかしこの共感力、共感というこの能力に関しては実はメリットだけではなくデメリットもあります。危険性について、え、きちんと理解をしていなければこの

共感力というものを手話に評価することは、あ、実はかなり危険であるといった、あ、そういったことを今回は解説をしておきたいと。え、皆さんは共感力をもっと高めたいと思ったことはないでしょうか?本屋

に行けば様々な書籍のタイトルにも共感力や共感性を高めましょうといったような、え、そうした共感力を高く評価する文脈で書籍が売られているものも、え、多く目にするようになりました。この共感という

能力、他者の、え、感情や他者の感じ方、他者の価値観を理解して自分のことのように捉えることができるというこの共感力ですが、この共感力のデメリット、危険性について理解されている人というのは意外

に少ないなという印象がありましたので、え、ま、今回はそれらに継承を鳴らす意味でもその危険性についても解説をしておりますと、まず共感ですが、これは、あ、優しくなり、協力的になり、そして、え、

味味方を守ると、味方を優先するとそういった能力に、え、この共感というものが使われますが、この共感を感じる時の脳の中のホルモンというのが沖心というホルモンがこの共感力を高めるのに一躍

買っています。で、これは進した女性の中では特にこの沖士都心というものが優位に高くなり、それによって子供を守ろうというそういった感情が生まれ、え、協力的になります。これが沖キスト都心が高まれ

ばもっと助け合うようになり協力的になるのかという風に拡大解釈するのは危険なんですね。実はこの沖都心というのは共感をするということのその感情や能力というのを高めるんですけれども一方でこの共官の

対象はじゃ一体どうなるかと言いますと実は同族内だけ要は身内だけを優先して優しくなりそれ以外に対してはむしろ逆に攻撃的になるというそういった特性があります。私たちはある特定の人やグループ、

自分たちと似た価値観を持っているグループに対しては共感を示しやすくなりますが、逆に異なった価値観や違ったグループに属している人に関してはその優先度を下げるといういわゆる不平等な

決断を変えて除長することになります。共感をすると平等よりも共感した対象を優先するということですね。で、赤ちゃんを対象にした実験でも、え、協力的であるということよりも自分と価値観が似ている

キャラクターを好ましく思うという、そういった実験結果もありますので、私たちは正来的に、え、協力的であることよりも自分と価値観が同じ、いわゆる同族だという、え、考え方、同族だという捉え方の

方が、あ、その協力的であるということよりも優先されやすいという事実があります。これはあの共感を高めたことによって平等性がなくなってしまうという1つの実験の例を説明いたしますと、え、この

実験ではですね、え、ま、手術のウェイティングリスト、これがある中で、え、ある特定の女の子が同じような手術を受ける必要がある。しかしウェイティングリストの1番下に入ってしまう。え、この

女の子をウェイティングリストの上に上げるべきかどうかということを、ま、冷静に評価して判断してくださいと。で、このウェイティングリストに入っている他の子供たちは皆同じように、え、重度の

病気であり、え、即手術をしないと命の危険、命は保証できないといったような状態で誰もが、え、重得な状態で、え、そのウェイティングリスト自体に何らかの順番を入れ替えるみたいなことをすれば、

あ、当然それによって順番を下げられた子供は不利になると、え、そういった説明を付け加えられてできる限り客観的に、え、公平に考えた上で評価してください。リストの順番を考えてくださいと言われた

場合はで、その女の子の手術リストのウェイティングリストの順位を特に変更しなかったといった、え、実験結果になりましたが、一方でこの手術リスト、ウェイティングリストに、え、1番下に

入った女の子の具体的な状態、パーソナルな情報というものを具体的なストーリーで語りました。この女の子が、あ、この10歳という若さでこの10年間どんなことをしてきて、そして今まだ手術も受けられ

ない状態でウェイティングリストって待っている時のこの女の子の、え、心境ですね。これを日記形式で、え、ある特定の期間に書いた日記を読み上げて、え、この女の子が日頃からどんな気分で

ウェイティングリストを待っているのかといったことを説明しました。え、それによって、え、この実験に参加した被験者たちは、ま、同場的になり共感をしたことによってこのウェイティングリストの順位

というものを上げた人が約半数いました。あ、これによって何が意味するかと言いますと、共感をしたことによって、ま、平等性が壊れたわけですね。この女の子に同場をしたことによって、え、共感をした

ことによって、それ以外の共感されなかった人たち、同場されなかった人たちがないが頭がしにされたわけです。そして、じゃあこのウェイティングレストに入っている人たち全員に共感していけばいいん

じゃないかと考えるかもしれませんが、全員に対してストーリーを説明したとしてもその中でもより共感できる人や同場的になる人というものでも差がつきますよね。全員に、え、同じ程度の平等な共感が

できるということは現実的にはありえないわけですから、そういった意味では共感をするということによって、え、こういった平等性が壊れてしまう、優先順位が変わってしまうということは、ある特定の

グループを優先する、その優先する条件が実は共官であって、え、で、内がしにするその内がしにしてしまった原因も共官が原因で内がしにしてしまうといったことが起こりやすくなります。なので、え、差別

をなくすために共感能力を上げましょうという形で、え、共感性を強調すればするほど実はある特定の部分に関してはもしかすれば共官を得られるかもしれませんが、あ、そこで共感ができなかった集団やその

共感を強調されなかった人たちに関してはむしろ逆に差別的になる可能性があるわけですね。不平等を、え、除長してしまう可能性があります。ですので実は共感をするということに頼る、え、差別を

なくそうという運動というのはそういったリスクをは払んでいます。で、なぜ差別がダメなのかという背景を説明したりしたとしても、人間からその共感するという能力をオフにする、それを消し去ることはでき

ませんので、え、どこまで行っても私たちは、あ、人間である以上共感してしまうという感情、感覚に関してはスイッチオフにできない以上を私たちは、あ、自分たちの価値観や自分たちと道類であるという、

そういった意識によってその影響を受けてしまい、え、平等に、え、判断をしたつもりでもどこかそうした共官がその結果を歪めてしまうということは避けられないわけですね。で、この、ま、同族以外に

関して強、え、攻撃的になるとこのサたる例というのは戦争状態かと思います。で、この戦争状態になった場合にその攻撃的になる度合ですね。え、どれぐらい攻撃的になるのかということで、え、その攻撃的に

なる私たちのそのある攻撃的になってしまった極端な姿は私たちが、ま、相手を殺戮し合うといった、あ、そうした非常に凶暴な種であるという風に、え、思う人もいるかもしれません。で、そのように実際

にメディアによって、え、印象を形作られた時もあります。ま、キラーエイプ仮説というやつですね。え、しかし実際に私たちはそれほど実は攻撃的ではないという、ま、事実もあります。ま、他の主よりも少し

攻撃的ぐらいということで、それほど、え、みんながみんな殺戮を好んでいるわけではない。攻撃をしたいと思ってるわけではないという事実もあります。これは戦場で銃を打ったことがある兵士というのは実は

全体の13%から18%程度と言われてます。他の兵士は銃すら打たないということで、あるいは打ったとしても相手に当たらない位置に向けてわざと外しているという、え、そういった研究結果もあり

ます。なので私たちはできれば暴力は振いたくない、攻撃はしたくないということで、え、なるべく相手を攻撃したり傷つけたりすることを避ける傾向にあります。これは相手に対して共感を示してしまう

場合があるわけですね。特に、え、相手が自分たちと全く違う姿をしている場合であれば共感しにくいんですけれども、相手にも家族があったり守るべき仲間があったり、え、あるいは戦場に来ている理由が

、あ、自分たちの欲のためではなくて国に対するロイヤリティから戦場に出ているとなると共通点が多いわけですね。で、兵士と民間人といった対立構造の中で見れば戦場に立ってる兵士は実は同じ兵士なので

、え、兵士同士として共感し合ってしまうという場合もあります。なので戦場に行って、え、ま、銃を持っていたとしてもそれを使って相手を殺するということがあ、そんなに実は積極的にできるわけではなく

て、ほとんどの兵士は攻撃をためらう、え、あるいは攻撃すらしないといった行動を取ります。え、これは目の前の人、目の前にいる人間を人間として、え、見てしまった場合にはそれらを攻撃するあるいは、ま

、殺戮するというのが非常に困難であるといった。これは、ま、少し希望の持てる研究結果かなとは思いますが、私たちはやはり、え、協力的であり、そして共感能力がある。で、その共感能力の発揮でき

ない相手には攻撃的になる。しかし攻撃をいざしようと思った場合にはその相手を、え、見てその相手が自分と同じようだというのをやはり感じるとなった場合にはやはりそこにもまた共感をするので、え、

共官の方先が移動し、そして特に戦場になるとそこには兵士同士の戦いになりますので、そうなると兵士を見ると自分たちも同じ兵士だという風に共通点を見つけた場合にはそこに共官を持つことになり、

より攻撃はしにくくなるということになります。なのでこの共感能力というのは相手に対して自分たちと共通するところは何かというのを見つけるとそこが共感する対象となり、え、変化しますのでそうした敵体

関係にある相手に関しても私たちは共通点を見つけてしまえば共感してしまうということで、え、攻撃的に今からなろうと思った時にもいざ攻撃をするまでの間にですね、引きを引くまでの間に共官という作用が

発生した場合には実際に攻撃には至らないということがあ、それが私たちの実はブレーキになっているわけですね。その中でも最も攻撃が難しい、実行が難しいというのは視殺です。差しろすという意味

ですね。え、ナイフを持って相手の近くまで行って、そして自分の力を込めて相手を指すというのは相当な心理的なハードルがあります。かなり近づかなければならないのでその近づく中で相手の表情だとか

相手の動きだとかを見ると同じ人間じゃないかという風に感じるわけですね。え、なので物理的な距離が近く人は攻撃をしにくくなります。なのでSNS上やあるいはメッセージアプリやそういった

相手が見えない心理的距離が遠い相手には簡単に攻撃的になりそして実際に攻撃をしてしまうわけですが目の前にいる相手に対して何か攻撃的になろうというのはかなりのためいがあります。実際には近く

共感を示しやすくなりますので、え、攻撃はしにくくなります。ですので、建設的な議論をするには、やはり物理的な距離というのはすごく大事で、それによって心理的な距離というのも近づきやすくなります

。え、共感ができる、え、状態を持つことによってなるべく建設的な議論にしましょうという形で、え、お互いの人格攻撃や本来、え、議論の対象にならないようなところに対してただ勝つためだけの

議論をするみたいなことになりにくくなるということですね。で、え、これが戦争で用いられた場合どうなるかと言いますと、過去の殺戮行為、戦争によって出た被害の大半というのは遠隔攻撃ですね。相手の姿

が見えない状態で、例えば空爆もそうですし、え、最近だドローンもそうですし、相手の姿というものを表情や姿を全く認識しなくてもボタン1つで相手を攻撃できてしまう。で、え、ライフル銃とかで遠隔

から攻撃することもそうですけれども、物理的な距離が離れたところからの攻撃ですねが、ま、最も支障者数が多い、え、攻撃になります。なので、え、この人間が持っているブレーキというものをうまく

発動させるには相手の姿が見える状態であれば、お互い攻撃的な感情や攻撃的な部分っていうのは緩和されますので、もしちゃんと話し合いをしたい、あ、え、意見が大きく相意していてで、何らかの建設的

な答えを出したいというのであれば、やはり物理的な距離を近くして、え、目の前で、え、話すで、その席もなるべく近い、え、距離で話すことによって、え、そうしあ、過な批判や攻撃的な態度や原説と

いうものが出にくくなり、そして相手の人格を攻撃し合うような不毛な議論というものが起こりにくくなるという効果が期待できます。なので相手の制度を直接見ない状態を長く作るとどうしても攻撃を、え、

加えた、加えたくなってしまうと。これは共感ができないからですね。共感能力が下がるので、共感をしない故えに逆に言うとこれは先ほどの沖都心の時にも言いましたけれども同族だと思えないとなると同族

以外に攻撃的になるというその攻撃的になる対象になってしまうわけですね。で、かつこの攻撃的になっているというのはこれ本能レベルで反応してますので、自分自身は攻撃的になってることにも気づか

ない場合が多いわけです。ですので、XやFacebook、YouTubeのコメント等でもなぜか相手に対して攻撃的なコメントをしてしまう、攻撃的なメッセージを投げかけてしまう。しかし

本人はそれを攻撃的だと自覚していない。なのでそれを攻撃的であるという風に、え、反論されるとそれもそれで、え、その攻撃的であるという反論自体が攻撃的に感じてしまい、またそれに対して反論をし

てしまう、攻撃的な反論をしてしまうといったようなに、え、人格否定の攻撃を両方が繰り広げている。しかし自分はそのように攻撃的になっているということに対して、え、それほど自覚していませんの

で、この議論というものがどんどんこう不毛な形に、え、展開されていくわけですね。そして私たちはこの共感をする際に同族であるかどうかということを気にします。そしてこの共感というのは実は自分

たちが認識をしている対象者をある程度のカテゴリーに括ってしまうと共感をする対象と共感をしない対象という風にくるわけですね。なのでそこにいる全ての人間に共感を示すというのは一時的には可能

ですけれども、だんだんとその中でも自分の中でカテゴリー分けをして共感するべき対象とそうでない対象というものをまた自動的に、え、自分の中で、え、無意識のうちに区切ってしまうわけですね。なので

共官の範囲を全人類だとかあるいは自分が配慮するべき全てのメンバーに対して、え、共官というものを示そうとして努力をしたとしても、え、それらが実現できるのは一瞬だけで、またその後その中でも無意識

のうちのカテゴリー分けがされていき、え、共感をするべき対象とそうでない対象という風にこう分れていってしまうわけですね。決断が必要な場合、ある特定のグループを優先してそうでないグループを

犠牲にせざるを得ないというリソースが限られている場合は特にそうですね、食料が限られた分しかないとか、さっきのウェイティングリストもそうですけれども、時間的なリソースが足りないとなった

場合に誰を優先してしないのかといった決断が必要になります。リソースが潤宅にあって全員を救えるのであればそもそも決断は必要ありませんのでそうしたシチュエーションではそもそも共官という

ものは必要ないはずですね。え、自動的に全員に割り当ててしまえばそれで問題解決するわけですが、リソースが限られている。そのリソースを優先的に誰かに配分して逆に誰かの優先度を下げなければならない

という決断をする際にはそれによってこの共感力があるせによって合理性が損われてしまうと先ほどの例でも言いましたけれども平等にリストを作ったにも関わらずある特定の人に対して共感をしてしまった、

同場してしまったせによってそのリストを変更してしまう恐れがありますよね。なのでそうなると共感されやすい人が優先されるという事態が起こります。これぞ共感ハックというやつですね。共感しやすい

設定のストーリーを作り、そして目のつきやすいところに、え、出し続ける、え、候補し続けるということをするとその共感を得たことによってその対象者は優先されるされやすくなるわけですね。で、共官

やこの同場までを用いて、え、資本主義の中に取り込まれていくという恐れ、え、そうした使われ方をすることによって、え、共感や道場を煽るような形で、ま、候報的なメッセージというものを発信すること

で、それを受け取った人が、あ、共感したり同場することによって、ある特定の商品だとか、ある特定の人、カテゴリーが優先される、それによって、え、力を得ていくということが可能になるわけですね。

なので、え、共官だとか同場を煽るような広報的メッセージを受け取った場合はなるべく元の情報源を辿どってみてください。それがある特定の団体や特定の思想を持った人が何らかの利益を得ようと

しているやそれらを誘導することによって何かのメリットがあ、その彼らに対してもたらされるのであればそのメッセージ自体が過に、え、皆さんの共感や道場を煽っているだけの場合がありますので注意

をしてください。皆さんが合理的に考えようとするそのスタンスをねじまげて、え、共官や道場で、え、その優先順位を解させようとしてくる、え、桜らみかもしれません。そしてその共感や道場に対し

て、え、角に突き動かされてしまうということにも理解をしておく必要があります。証言が得意な人は、え、共官や同場を得やすい、そしてそのメッセージを発信できるそうしたメディアや媒体に近ければ

近いほどその状況というのをより多くの人にそしてより詳細に伝えることができてしまいますので、そのストーリーが嘘でない真実だってあったとしてもそれがあ、優先されるべきことなのかどうかというの

はまた別の問題ですね。なので本当に共感や道場を必要としている人はニュースにもならない見えていない人かもしれないという風に疑ってみてください。日やニュースに流れてくる人というのは、あ、

特にこう目立つセンシショナルで多くの共官や同場というものを引けそうなものを優先してます。なぜなら皆さんが注目するからですね。ですので、え、注目される人というのはその時点でその共官や道場を得

られる優先者、優先される人となる可能性がありますが、実際に本当に共官や同場が必要な人というのはそのニュースにも拾われない人、え、注目を集められそうにもない人、こうした人の方が実は本当は助け

が必要だったりするわけですね。なので見えていない人の方が本当の助けが必要なのにも関わらずより見える人教や道場をうまく伝えることができる人はま有利ではあるもののその人が優先される、え、合理

性がない場合もある。そうしたことを意識してもらえればこの共官というもの悪用されないようにそして私たちもこの共官というものに過に頼りすぎないように。え、そしてできる限り合理的に考える。そして

この共感性には限界もあり。そして共感性故えに共感できなかった対象を排除してしまう。そして共感をする対象も実は私たちはとても限られていて、そして簡単に移り行くといったような特性があります

ので、私たちはその注意が向いた保護先の範囲しか私たちは共感ができないという共感能力の限界、私たちの認知の限界、え、こうしたものも理解しておくことによって、え、簡単な共感の煽りや同場の煽りに

、え、左右されずに冷静に合理的に振る舞う、そうしたこともできるように、え、なるんじゃないかなと思います。え、完全に共感をしないというその共感能力をオフにすることはできませんので、少なく

ともその感情の可能性を完全なる0ロにすることはできないとしても、しかし1度、え、下した決断であったとしても訂正できることができるのであればその後に、え、少し考え直して、え、先ほどの決断を

取りやめて、え、もう少し合理的な決断の方に変えますといった形でもいいですので、え、あまりにも角に、え、共感するという能力を過信しないようにしその危険性も理解しておいてもらえればいいんじゃ

ないかなと思います。私たちはこの相手の姿が見えないということの怖さ、あ、これが私たちがあ過に攻撃的になってしまう理由でもありますのでえれば直接顔が見える。そして相手のパーソナリティが

分かる。そそれぐらいの距離感まで、え、近づいて、え、そしてお互いの意見を買わせるようにコミュニケーションが取れる距離というもの、物理的な距離を縮めてみてください。しかし、え、特定のグループ

や特定の、ま、既属意識を持つような集団とばかり接しているのも危険ですので、に、え、全ての配分、全ての割合を同じような割合にするというのは現実的ではないかもしれませんが、日頃属している人たち

だけじゃなく、自分たちとは違う貴族の人たちとも接してみて、え、そして直接会って、え、距離を縮めてみて、え、話をするということも日々の生活の中に入れてもらえればいいんじゃないかなと思います

。私たちは地球の裏側にいる人たちとも直接物理的に会うことはできなくても、ま、オンラインで顔を合わしたり、そして、ま、少し話をする中で、え、相手のこう背景だとか相手のパーソナリティを知って

いくということもできます。決して140文字の短い、え、文字数の中で相手を知ることはできませんし、ましてや姿も分からない、バックグラウンドを全く分からない相手に共感を示すというのはかなり難しい

です。ですので、え、できる限り私たちはこのリアリティのある世界の中で自分たちの顔を見せ、そして、え、どのような人間なのかということを十分に理解できるほどの、え、会話、コミュニケーション、時間

というものを十分に取ってその上、え、何らかの決断をしていけばしていく必要があるかなと思います。様々な天才や様々な災害そうしたものに対して、え、助けが必要な人たちの議論を決して140文字の

ような短い中で、え、お互いの意見を言い合ったり議論を展開するのは私は特策ではないと思います。そこで見られるものは単なる人格否定や個人攻撃ばかりであり、本当に助けが必要な人たちに対して建設

的な議論が展開されてるとは思えないです。除は共感する対象を、え、自分たちと他者といったようなその線引が鮮明になるだけで建設的な話はそこから生まれませんので、え、ですので、え、私はあ、そうし

たコミュニケーションというものの危険性をこのようにして発信しながら、あ、少しずつコミュニケーションの短さ、あ、これから距離を置くようにしてます。え、ワンメッセージ、ワンセンテンス、え、1つの

スライドや1つの図で示せといったような、あ、コミュニケーションにできる限り、え、化や節約を求めるというのは私は結果的に危険な議論、危険なコミュニケーションを生むと思っています

ので、十分な時間をかけて、そして物理的な距離を縮めて、え、そして私たちはより合理的に判断をできる、え、そういったコミュニケーションのあり方が今後は問われるんじゃないかなと思います。それほど

複雑でないコミュニケーションを発生するにはとても便利にはなりました。しかし、重要な課題や重要な議論までもそのようなインスタントな媒体を使ってやり合うというのはちょっと怠けすぎじゃないかなと

思いますので、こうした意識というものを私たちが心がける必要があるかなと思いますので、え、今回テーマとして取り上げたこの共官の危険性、共感が示せなくなってしまうような遠隔からの攻撃、え、今回

、え、継承として、え、メッセージとして伝えようと思いました。え、私の著作超える技術まだ読んでない人はAmazonでポチって買って読んでいただければと思います。本日もお疲れ様

でした。

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