今回は世界への認識を変えてこの私たちの持っている創造性というものを高めてそしてさらに具体的な学問だとか仕事に活かすための考え方について解説をしたいと思います私たちは科学だとか哲学だとか
こういった学術的な研究というものは何かを発見しているという風に思いがちですしかし少し視点を変えると実は何かを発見しているのではなく私たち人間の認識の方法を発見しているとも言えるということですすでに世界はそこにあってそして私たちがこの世界をどう認識するのか
この認識の仕方について新しく定義をするその定義を新しく生み出した 発見したということでこの世界の私たちの認識の仕方これを定義をすることによって計算可能にしていったり接続をしていったり分類したりということが可能になっていく
というのが科学や哲学がもたらした功績とも言えますということは私たちがこの世界をどう認識するかについては世界の方が先にあって私たちの認識がどんどんとアップデートされていると考えるとこの科学とか哲学だとか
こういった学問・学術というのは私たちの認識をアップデートしてくれるものという風に捉えることができれば私たちのこの持っている創造性だとか仕事の場面で求められる生産性こういったものを高めることが可能になるという
そうしたメカニズムにつなげることが可能ですこれは一つ例を出しますと例えば重力重力というものは発見されたわけではありませんこの世界に重力という力の存在はもうすでにあり
私たちがこの重力というものをどう定義すればいいかということが重力について定義される前はなんとなくでしかわかってなかったこれをニュートンが万有引力の法則という形で重力というものは私たちが下に落ちているのではなくて全てのものはお互いに引き寄せ合っている
その引き寄せる力が大きいこの地球の表面に立っている私たちにとってみればあまりも地球から引っ張られる力が強すぎるのでもっと小さなもの同士が引き合っている力というものはほとんど無視できるぐらい小さいのでその力というものは地球に対して引っ張られている力のみが私たちが認識ができていた
なのでこれを重力という風に定義する(認識する)ということで私たちは重力というこの感覚の捉え方というものがアップデートされていくわけですねそれによってその定義が作られていくことによって検証が可能になり「本当にそうなのだろうか」という風に確かめることもできそしてそれを用いることによって新たな技術を開発したり
新たな認識というものがまたそこから派生して認識がアップデートされていくという形で新しい世界の認識の仕方・方法というものを誰かが定義してそれを検証して実証されたとなった場合にはそこに関連する影響を受ける他の定義も書き換えられるということも起こりますそうなると連鎖反応的に様々な世界の認識というものがアップデートをかけられることによって
たった一つの認識の方法の新しい定義がアップデートされるだけで世界に対してより大きなインパクトが出たように感じるこれは私たちの認識がアップデートされていくのでこの社会全体を営んでいる人間集団全体に対しての伝播する影響というものでこの世界の営み・動き
人の流れや人の動きや人の思考というものが変化することによってたった一つの定義の変更によって多くの影響を世界に及ぼすことができるということになりますこの概念ですが私たちが用いているメタ認知このメタ認知というのは自分を客観的に見る自分考えている自分をもう一人上の自分がその自分を眺めている
なので「今自分は考えているんだ」ということを考えることができるというそうした能力 これをメタ認知と言いますが『哲学を極める』『科学を極める』というのはこのメタ認知を鍛えることにつながりますこれは逆のことも言えます
メタ認知が強くなければ哲学を極めたり科学を極めるというのは困難になりますですのでここはセットでメタ認知を鍛えるということのために科学や哲学というものを行うそしてその強化されたメタ認知によってさらに哲学や科学というものを極めていくこうしたことの相互作用によって
脳の創造性というものをより強く発揮するそうしたトレーニングにもなりそしてその強化された想像力から社会に対して良い影響を及ぼすような新しい定義というものを世に出していくといったことでそういった相互作用が行われるわけですねこの創造力とか創造性というものは
新しいこと思いつくというだけではなく「それらが本当に妥当なのか」という検証をするという検証能力の方にも使われます検証方法にも創造性が必要なわけですね新しい仮説を思いついた時にその仮説が正しいのか正しくないのかということを実証するための検証方法にも
実は想像力が必要なわけですねなので新しいことを思いつくだけのところではなくてそれが本当に正しいのか正しくないのかということをどう実証すればいいのか?その検証方法についても想像力が必要になりますので
このどうすれば仮説を実証できるのかそして反証するというその視点から検証方法を考えて本当にこれが反証されないのかどうかこういったことも検証方法として考える必要がありますのでそこも想像力がいるわけですね
なのでこれは一つの物事に対してどう作用をさせればそれが実証済み(その仮説が正しいと言えるのか)これは正しいということを証明するということはその反証に対しても検証する必要があるわけですねこれがこの想像力を求められるシーンなわけですけれども
そもそもこの状況を捉えるにもメタ認知というものが必要で私たちはこの社会を構成する一員でありながらしかしその自分というものを脇に置いてそしてこの世界全体を眺めるということが必要になるわけですね私たちはこの世界のありのままを知覚しているわけではない
見ているということもそうですし聞いているということもそうですけれども私たちの目はごくごく限られた波長の光しか知覚することができませんこれは錯視のトリックアートとかで実際に試してみれば簡単にわかることですけれども紫これが金色に見えたり
青これが白に見えたりというようなちょっとした仕掛けで私たちの目というのは簡単に騙されてしまいますこれは目が騙されているというより脳が騙されていると言った方が正確かもしれませんがしかし何が赤なのか
この赤というものが一体どういった色なのかというのを共通の感覚として認識を定義をしないといけないとなった場合にこの色が赤だ例えば目の前にあるりんごを手に取って「これが赤だということにしましょう」と言ったとしてもそのりんご自体についている赤と別の赤いタオルを持ってきて
「このタオルの色とこのリンゴの色は同じですか?」と聞いたとしてもこれは横に並べて「同じ色だな」「近い色だな」ということを分かったとしてもりんごがないシチュエーションでタオルだけを持ってきて「これは何色ですか?」と言った時にそのタオルを見せた時の背景だとかあるいは周りの色だとかそれを見るタイミングだとかによっては
赤に見えなくなってしまうということも起こるこれは錯視のトリックアートのところでもそうでしたけれども私たちの脳は相対的に色の分類というものを行っていますので周りの色の影響やそこに当てられた光の影響を受けてしまうわけですねなので赤色というのは厳密に定義するとなった場合に
640から777メートルの波長の色を赤としましょうといったような社会的な合意(定義)をしていくことによって赤というものがこういう色なんだということを新しく定義していくこれが私たちが発見だとかという風に思っているわけです私たちのこの目は555ナノメートルの緑という色を最も強く感じるようにできています
それよりも波長が短くなっていけば青・紫という風になっていきますがそれを超えた短い波長というものはを目に見えません紫外線だとかガンマ線だとかといったような形で目に見えないしかし強い波長になっていくわけですね
今度は波長が長くなってくるとこの赤よりも長い波長というものは赤外線(近赤外線・遠赤外線)こういう風にしてどんどんと波長が長くなっていきますと私たちはまた見えなくなりますこのようにして私たちの目というのは可視光線
私たちの目ので見える波長の範囲でしか知覚できないとなると世界をありのままに見ているというよりは生きていくために必要な進化をした結果ごくごく限られたものの見方限られた知覚だけでも十分に生きていけるというふうに
生き延びることを優先して進化してきましたので世界のありのままを見るために進化したわけではないわけですねなので私たちの知覚というものはあまりあてにはならないんですけれどもしかし生き延びるには必要最低限
むしろ他の種に比べるとかなり優れた知覚能力を持っていたりするわけです知覚というものもバランスですのである特定の感覚だけが異常に強くても他の感覚が鈍ければこの自然環境において生存上 不利だった場合もありますので私たちのこの耳も聴ける可聴帯域というのがあって
それを超えた音は聞こえませんしそれをよりも下回る音も聞こえないしかしその範囲が聞こえるというだけでも生存には十分だったということで目・耳こういった様々な入力器官を総合的に持っていたということが
十分使えるものであったということですねここで私たちが他の生き物と違うのがメタ認知というものですねなので人間が人間たらしめているものというのは言葉を喋ったり二足歩行であったり道具を使ったり人間が人間たらしめるものとしてありますが
メタ認知があることによって自分を含めた周囲のこの環境というものを客観視できるすると物語(フィクション)を信じることができるこれはフィクションを信じるだけではなくてフィクションを作ることもできるわけです
物語を作ること そして物語を理解することこういったこのプロセスを経ることによって私たちは様々な知識を貪欲に理解して吸収することが可能となります単語をただ英単語を覚えるようにフラッシュカードで暗記していくというのは実は脳にとってみるとかなり不自然なので非常に効率が悪いです
一見あの暗記カードを使えばその単語を覚えられたかのように思うかもしれませんが単語のテストを受けるだけであれば確かに効率的かもしれませんしかもそれは差し迫った明日テストがあるとか今日の午後テストがあるといったような
本当に 短期間でその記憶をすぐ使うようなものであればそのようなフラッシュカードで記憶していくという方法でも確かにテストの点数を上がるということもありえますしかし何のためにそもそも単語を覚えるのかというとほとんどの場合は英語でコミュニケーションをしたい
英語で自分の思いを伝えたい他者から言われたその言葉の意図や真意というものを理解したいというのが本来のその単語を覚えようとしているモチベーションのはずですよね根底にあるモチベーションなはずです単なる言語マニアで言葉を覚えることが好きなんだといったような
その言葉を覚えることそのものが趣味だとか目的になっている人は別としてもほとんどの人はなぜ外国語 他の国の言葉を覚えるのかというとその言葉を利用している文化だとかその対象となる人とのコミュニケーションを得たいからあるいはその人たちが書いた文献だとかその人たちが作り上げた
何か文化的なものに対してそこからそれの理解を深めたいといったような動機があるはずですなので私たちは物事を理解するという時に文脈(物語)文脈を自分の中で理解しながら消化していくというこのプロセスの中で多くのことを理解していくここには物語という形式が自分が含まれている/いないに関わらず物語が理解できるわけです
これはメタ認知というものがあることによって自分というものとその物語というものの関係性というものも理解しながら把握することができますので自分のことを言われているのか自分以外のこと言われているのかといったことも自分と自分以外というこの切り分けもできますし
そしてその物語を自分のことのように置き換えて考えることもできるといったような融合的な考え方もできるわけですなので今この世界で最も物語として多くの人が信じている考え方として資本主義というものがありますが私たちはお金を通じてお金があればそのお金の金額に応じたサービスを受けられるとか
物が買えるというこうしたフィクションを信じているわけですしかしこれはみんなが信じていることによっていつのまにかフィクションが実用的になっているのでそれはもう1個メタな視点で見ればもはやフィクションではないということです
フィクションを全員が信じてしまった場合にそこで行われる営みそのものはフィクションではないので元々の源流になる物語がいかにフィクションであったとしてもそれを多くの人が信じていてその中で行われている営みそのものはフィクションではないのでなので私たちはフィクションを作り上げてフィクションを信じて
そしてそのフィクションをベースに自分たちの行動や考え方・認識というものを同期をとっていく共通的な価値観だとか行動規範というものを作り上げることによって私たちが集団生活・社会生活というものこの営みそのものはフィクションではないなのでフィクションからリアルが生まれるということも起こるわけです
これによって私たちは他の動物が成し得られなかったような大きな活動というものを起こすことができるわけですね大きな建造物を建てたり国を作ったりそして戦争するというのも他の動物にはできないことですけれども破壊的な行為や創造的な行為を含めても私たちは非常に大きな力 共同作業
そしてそれが時代を超えて世代を超えて直接会うことができない人に関しても本だとか映像だとか最近だとこういったインターネットメディアを通じても可能になる時代が来ると思いますがそうした私たちは直接会うこともなければ話すこともないような人とでも二次的三次的につながることができてしまう
これが大きないわゆるフィクションを通じて私たちはそれらの力を発揮することができてしまうこれがメタ認知というものがあることによって可能になるわけですねなのでメタ認知というものをまず鍛えましょうというのが私のよく言うアドバイスでその程度度度合いというものは人によって当然その求められるその水準が違うので
初めにいきなりメタ認知だけを鍛えましょうというのはあまり効率的はないですけれどもしかし学校教育の勉強の中でさっき言ったような単語をただ覚えるだけとか文法というこのルールだけを覚えるだけという場合はあまりメタ認知を求められないですよね
だったら初めにそのメタ認知を鍛えられるようなそうした学習の方法というものを組み合わせることによってその後の学習効率というものが大きく飛躍的に上がりますのでですので私たちがまず初等教育でやるべきことというのはこのメタ認知を鍛えるというところを初めに重点的にやっていくことによって
そこに付随して数学だとか地理だとか歴史だとかこういったものをセットにしながらメタ認知を鍛えていくというのが実は本当は私たちの持っている能力というものを高めるということになりますしかしこれは社会全体でいった場合に実はそのメタ認知というものが厄介なことに
この国の構造そのものを根底から覆してしまうようなものの見方というものも可能になってしまうわけですね要は目の前で起こっているこの営みそのものを営みの内側で眺めるんではなくてこの営み全体を外側から引いてみるという非常に大きなメタ認知の力を持っている人から見れば今行われているこの営みそのものは正しいんだけれども
しかしこの営みが行われているベースになる考え方というものはこれは実は多くの人が信じているものではないものが実はそれを支えているという風に見抜いてしまった場合にこの根底に流れている物語そのものに手を入れてそれを変えてしまうことができればその上での営みというものも変化させることができるだろうと
今ちょうど選挙シーズンでここから投開票が行われると思いますがこの私たちが今信じているこの経済メカニズム自体も実はある意味フィクションとフィクションのぶつかり合いなわけですAというフィクションがいいのかBというフィクションがいいのか
私たちはAというフィクションがいいと思って信じてきてこの世界というものを疑いもなく営みをしていたとそれに対して別の視点を持った人はそのAというのは皆さんが信じているような仕組みではなくてAというフィクションであり
このAのフィクションは実は穴だらけでちゃんと検証をしていくとフィクションなので成り立たないところがいっぱいありますよなのでBというフィクションの方がずっと実用的じゃないですか?考え方としてはまだBのフィクションの方が最もらしいんじゃないですか?という風にして私たちに対して迫るわけですね
BというAというフィクションに比べてこの辺りが優れていてこの辺りがより実用的であるといったような形で私たちはどのフィクションを信じるかどのフィクションを信じる方が私たちが望む未来を作ってくれそうなのかということを選択するわけです
なので私たちが他者に期待をしたりとか自分の未来を望む時というのは基本的に全てフィクションでありそして実際に検証されたものであったとしてもそれは私たちの認識の方に対してアップデートがかかっているだけなのでこの世界のありのままも記述したわけではないという
そうした知的謙虚があるかどうかによって私たちがこの世界の中で営みをする上で何に支えられているのかということを考える必要があるその視点が持てるかどうかというのがそのメタ認知が強いかどうかにかかってくるわけですねなので私たちはこの世界の真実を全て暴いて
そしてその真実が明らかになれば世界は変わるはずという風に思う人もいると思います陰謀論的な発想を持ちがちな人というのはいずれにせよそういった思想を持ちがちですね全てのこの世界のありとあらゆる真実というものを暴いていけばこの世界は良くなるはずなんだというふうに思いがちですけれども
そもそもこの世界は真実で構成されているわけではありません私たちを支えているのはフィクションなので虚構なわけですその虚構がもっともらしいのかそのフィクションによってその上で行われている私たちの営み自体はリアルですのでなのでこのリアルとフィクションが一致しているかどうかが重要ではなくて
このリアルに対して作用するフィクションがどれだけこのリアルに対して作用をさせられるのかという方が大事なわけですなので私たちは自分たちが信じたものに対して行動を起こしているつもりですのでなのでそのフィクションが私たちの行動を変えられるかどうかそれも一人一人の行動がわずかに変わるだけでも
集団として社会全体としてはかなり大きな変化になったりする場合もありますのでそうした大きなシステムとしての私たちのこの営みの繋がりというものとそれを支えるフィクションというものがどう相互に作用するのかといったそういった大きな視点で考えられるフィクションというものを私たちはチョイスする必要があるわけですね
なので部分的にはとても魅力的なフィクションに思えてもそのフィクションが狙っていない、意図していない副作用というものが現実に起こってしまうわけですなのでそこまで想定できてそこまで考えられるかどうかにかかってきてますので日本国民だけじゃなく世界中の人がより大きなメタ認知 強いメタ認知を持つことによって
私たちには限界があってそして簡単に認識が歪んでしまってそして私たち自体もその上で営んでいるこの営みはリアルでも自分たちを支えているこの規律だとか道徳だとか信条だとかこういったもの全てもフィクションをベースに作られているというふうに謙虚になってもらえれば
しかしそのフィクションも役に立つフィクションの上で私たちが社会生活を行っていてなのでフィクションがないということは私たちの社会生活を営めないこの社会生活の構造そのものが成り立たなくなるということはフィクションであるということを否定するのではなくて
フィクションに支えられているからこそ強いなので私たちは慎重にそのフィクションに手を入れたりどのフィクションを信じるかという選択を慎重にしなければならないといったような考えで選挙もそしてこれからの未来もそして皆さん自身のキャリアや人生の進む方向
選択というものを考えてもらえればいいんじゃないかなと思います私の著作『超える技術』まだ読んでない人はamazonでポチって買って読んでいただければと思いますそれ以外にもいくつか書籍出してますので好きなものがあれば買って読んでいただければと思います本日もお疲れ様でした
