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【足を引っ張る快感】正義の名のもとにキャンセルカルチャー:「マイナスの競争」で逆民主主義![ ポッドキャスト 自己啓発 成長 目標達成 心理学 脳科学 人間関係 成功 潜在意識 脱洗脳 選挙 ]

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キャンセルカルチャーの解説 - SNS時代の新たな社会現象 マイナスの競争という「逆民主主義」 概要: 今回のエピソードでは、「キャンセルカルチャー」の本質とその影響について詳しく解説します。SNSが普及した現代社会において、過去の発言や一部の文脈を切り取って人々を攻撃し、その権威や実績を否定する現象が増えています。このエピソードでは、キャンセルカルチャーがどのように社会に広まり、どのような影響を及ぼしているのかを探ります。 主な内容: キャンセルカルチャーの定義と背景 - SNS時代におけるキャンセルカルチャーの特徴とその起源について。 社会的正義とフェアネス - キャンセルカルチャ
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今回はSNS時代のキャンセルカルチャーへの向き合い方について解説をしたいと思います昨今は過去の発言や全く違った文脈で発言をしたものを部分的に切り取られそしてそれを元に権や過去の実績成果

こういったものをなかったことにしていくというキャンセルカルチャーが様々なところではびこっています実際にそうした発言が元にして多くの人を傷つけたりあるいは特定のマイノリティの方たちの

権利を著しく既存したりということについてその損害に見合うだけの責任を取るという意味においての社会的正義これらが果たされるということは十分え必要なことでありフェアネスの精神に則って行われる

べきかと思いますしかしそれらは裁判や公的な形で公正な判断のもに暮らされるべきことであり特定の個人や特定の心情を持った人たちが自分たちの心の中にある特定の心情から基づく正義感や正義論に

ついて展開をして他社の正義というものを踏みにじりそしてそうしたま大多数の人たちの意見や考え方というものを逆にえマイノリティであることを利用して逆の民主主義的な形でいわゆる逆差別を行う

ことによってえキャンセルができてしまうこういった社会的現象についてこのSNS時代だからこそこのキャンセルカルチャーというものが出てきたこともあり私たちはこれから自分たちがそうした当事者になら

ないためにあるいは当事者になってしまった場合どうするべきかこれらを解説していきたいと思います今回はこのSNS時代におけるムーブメントキャンセルカルチャーについて解説をしていきたいと

思い[音楽]ます私たちは今まではこの社会的えイトナを育む中で多数マジョリティですがこの社会全体の意思決定をしそして

マイノリティの人たち少数派の人たちは権利がないがしろにされがなそうした歴史がありますフェアネスま構成であるということを考えるとなるべく平等でえ公平な社会というものを目指すべきですので

マイノリティであるからといういう理由だけでえ権利を侵害されたり被害を被るようなことはあってはならないと思いますしかしそれらが過剰になりマイノリティであるという理由をうまく立ち上げてそして

大多数であるマジョリティというのを仮想的に作り出してそしてえ自分たちの弱者性というものを逆手にとってえ自分たちがより弱者であるかのように見せつけながらそして自分たちが当事者であることをより

え擁護するようなその当事者でなければ知り得ないような深い専門性を縦に取りながら強者と思われるマジョリティを攻撃していくそれによってえ少数派の方がより大きな力を持ってしまうそのマジョリティ

側の持っている成果や明星富みたいなものを既存させていくいわゆるキャンセルしていくといったような事態が起こっていますで問題なのはこれらが第3者として構成に社会的に議論をされ尽くしてそして裁判所

や法的な執行を元にしてえ公平にえま民主主義的に合意された結果としてえそれらの社会的制裁を加えられるというのであればそれらは比較的まこのリベラルの社会であればフェアな状態かなとは思いますがえ

そうではなく特定の心情や特定の正義を持った人たちにとっての正義というものにま最終的には世論え世の中が引きずられていってしまってそれらを擁護する形になってしまということが問題になるこれらがま

キャンセルカルチャーの問題ですねそもそもキャンセルカルチャーとは一体どういうものかと言いますと社会的弱者社会的にはマイノリティ少数派であるということをま前に出すことによってえその

え大多数の人たちが持っている考え方やあ道徳的規範こういったものを批判していくという展開を用いるわけですそれによってその大多数の人たちが持っていた考え方がま間違っているという風にそしてそれが

道徳的に問題だともっと言い方をするとそれが違法行為だといったようなところにまで展開をしていくことによってえそれらのつなをしてくださいとマイノリティの人たちに対してえそれだけのま何らかの保証

補填というのをする必要があるするべきだしかしマイノリティの人たちに対して直接えすることが困難なのであればあなたの今の地位ポジションというものをやめて辞任してくださいあなたはそこのポジションに

ふさわしい人ではありませんという風にま迫っていくというそういった流れですねえこれが相手の地位とかポジションとか成果こういったものなかったことにするという意味でまキャンセルという言葉が使われて

ます具体的に言った方が分かりやすいのかもしれませんが例えばLGBT性的マイノリティえ男女という男女というこの区分ではうまく放せできないといったような性的に男女と区切られるとま不都合で

あるあるいはどちらにも属したくないそれらの区分ではま都合が悪いといったような発言をどこかでえした場合ですねそれらのLGBTというま区分自体も本当はもっとあるんだという風に意見を持たれる方も

世の中にはいるのですけれどもえま男女というこの区分では都合が悪いということですね男女という区分ではダメだというまそういった議論を用いる場合にえマイノリティに対してえまマジョリティと

いう多数の人たちというのは男女男か女かどちらかに属していてえそして男女という区分で別にいいと考えてる人たちがこの場合だとマジョリティですね社会を構成していくある社会を円滑に動かしていく上で

は別に男女という区分でも十分だとそれでも問題がないと大多数の人が思っているという状態の中でマイノリティとしては男女という区分ではダメだとえもう少し細かい区分が必要だ男であり女でありあるいは男

でも女でもないあるいは部分的にここは男の性質を持ってるけれどもここは女としての性質を持っているといったような組み合わせえでまそれぞれマイノリティの人たちは様々な角度から政治に自分は何の

せなのか何のジェンダーなのかということを表明する形でえこの場合え区分の分け方自体も様々な意見がありえ何を持ってしてえ区分分けをするのかというものも色々あったりします生の対象としてそういった

定義を持っている人もいればそうではなくえ自分の体に対する自分の思いですね精神的なものも含めて自分がどっちの性であるのかということをま辞任としてえ持っている人もあればあるいは性的思考ですね

例えば女の人の服装を着たいとか男の人の格好をしたいとかこういったところでもジェンダーというものが適用されるべきだといったようなま切り口もありますのでこのジェンダーに対する考え方もまた

それぞれ違うわけですねでそうなった場合に社会として統一的な見解としてじゃ何を持ってしてそれらの性別というものを区切っていけばいいのかということに対して真面目に議論をしようとした場合にそれ

らのえ人たちの意見というもの全てうまく反映できるものというものが存在しなくなってしまうわけですでその場合にじゃあどこに着地点を求めてえどこにその区切りをつければいいのかとなった場合にえこれ

はま民主主義という点からいけばマジョリティである対多数の人たちの意見でえ本来は決めていく必要があるわけですけれどもそうなるとそもそものマジョリティの意見というのは男女の別に

2つでいいという意見がマジョリティであればもうそこで決着はついてしまうわけですねしかしここに対してそうではなくてえその男女という区分でいいという理由とそれらが男女という区分以外の区分が必要

であるということの理由付けここの議論を交わす中で本来であればなぜそれが不都合なのかとかそれが社会的になぜ機能しないのかという観点での議論ではなくてこのマイノリティの人たちの気持ちとか

マイノリティに関する知識専門的な知識に関してのその知識のなさに対してマジョリティに迫るわけですあなたたちはLGBTのこういうタイプのこういう人たちのことを知らないでしょうとえこう

いう事情があってこういう性的思考があってそしてこういう社会的な不都合を経験することもありそしてえここに関してはあのこういう違いもありえといったような専門的な領域専門的な経験やあるいは当事

者としての経験こういったものを持ち出せば当然マジョリティは生活をしていく上で自分たちの関心ごとに時間を使うことを考えると全てにおいてえ専門的に知ることは不可能ですのでなのでマジョリティ側大

多数の人はもっともっとたくさん他にも注意を払わなければいけないところ専門的に知識として知らないといけないことこれらに時間を費やす必要がありますので個別の特別な事例をマジョリティが全て把握

するというのは現実的には不可能ですよねなのでえそういった個別の事例や個別の議論というものを専門的に展開をされても参考にはなるとは思うんですけれどもしかしそこで詳しくないからという理由で

意見を言うんじゃないとかあるいはそこに対して何か意見を言った場合に専門的な観点から見ればそれは間違っているとLGBTについてあまり詳しくない人が何か意見をした場合にあなたの意見を

間違っているという風にして不してしまえばその時点でえそのマジョリティの言った意見そのものを封じることができるとなるわけですねするとその意見を封じたことによってえマイノリティ側が詳しく知って

いる専門的なことを分かっているということにおいて有利に立てるわけですてなるとこれは専門的にえ小さな領域あるいはマイノリティであるがゆにそのマイノリティ性をより強調してえそして

さらにそこが詳しく弱者性をより強くアピールすることによってえその議論において相手があまり詳しくないしかしこちらは詳しいそして自分たちの権利というものをちゃんとマジョリティは理解し

ていないという風な形で迫ればそこに対しての一定の説得力やそこに対しての発言する力というものを社会がま認めてしまうことになりえそれによってそうしたマイノリティを警視しているとかあるいは

詳しくないといったような人物を攻撃できるわけですこれはある種の現代の魔女狩りでありえそのマイノリティに対して問題意識を持っていないとかそれらを警視しているとかそうしたマイノリティの

人たちの権利をないがしにしているかのような発言まそう見えればいいのでそのように受け取れるような発言というものを引っ張ってきて拾ってきてそしてそれらの人々に攻撃の手を加えることによってえ

信頼やその成果というものをどんどんとキャンセルしていくといったことができるわけですねでこれはSNS時代だからこそできるようになった手法で大多数の人たちは特権的に見えるようなところに対して何

らかの不満を持っているわけですそして私たちは常にえどこか自分たちにとってみて都合のいい正義というものを持っていてえその正義に反することを何とかして正したいという欲求は皆それぞれ持ってますな

ので自分の正義を既存されただけではなくて他者の正義が既存されてそしてえその正義を既存した対象がま権利権威を持っているとか何らかの社会的なステータスを持っている人であればあるほどその人が

失墜するのは気持ちいいわけですねそこに対してえ正義の手を下したマイノリティに自分も加担をすることによってえそのまステータスを持った権威を持った人が失墜していく姿は爽快なわけですなので

キャンセルカルチャーはある種の権力の転覆に加担ができているというまそういった爽快感を持ちますのでなので少数が常に正しいといったような風潮を生み出しがちでそうなると今度は自分がマジョリティで

あるとなるとこのテクニックが使えなくなるので自分も少数派だという風にしてえ何らかの自分の特殊性や個人的な区分というものを無理やりにでも作り出してえ自分も少数派なんだという風にま標榜する

ことによってまマイナスの競争というのが加速します自分の方が弱者じゃ自分の方がここの分に関しては特別なので弱者です少数派ですという風に意見を持つようにそのようにして自分を見せる風になって

いきますマイナスの競争というものが加速していってしまうわけですね私たちは平等であるとか公平であるといったことを生来的にま本能的にそのような感覚というものを持っていますここでいうその平等と公平

の意味合いの違いですねえ定義の違いについてちょっとと解説をしますと平等というのは結果が平等であることですねえ例えば最近であれば東京層でえよいどんと走ってえそして最後ゴールテープを切る時

に誰が早1番だった誰が2番だったとならないように最後ゴールテープを切る前でえ先生と子供たちがみんな手をついで全員で一斉にゴールインといったような形を取ることがあるそうですけれどもこれは結果の

平等ですねゴールテープを全員が同時に切ったということによって結果が平等ですよということになりますが公平になりますと機械が平等であるということですのでえこの都競争の中で全員が同じスタート

ラインから並ぶそして走る距離も同じであれば公平だと言えると思いますなのでその途中過程で努力をして一生懸命走った人と別に一生懸命走らずにゴールテープを切るまでに時間がかかってしまった子供と

この2者に差が出てもいいとそれは当然その機械は平等に与えたのだからそこでのま頑張りですね本人の努力とかその途中家庭における取り組み方が最終的な差を生むことは別に構わないとこれがま公平と

いう概念ですねなのでえ一口にま平等だとか公平だとかといった場合でも結果が平等なのか機械が平等なのかによって受け取り方が変わるわけです私たちは生まれ持って様々身体的なあの差認知的な差あるいは

外見の差いろんなもので遺伝的に自分自身でコントロールできない差というものを持って生まれますま生まれた場所もそうですしえま文化もそうですし時代もそうですねえで完全に自分たちが生まれた時点

でフェアである公平であるということはないわけですけれどもここの結果が平等なのか機械が平等なのかについてえこれら2つともを包括した概念としてのフェア構成というものはこれが結果の平等と機械の

平等がぶつかることがよくあります先ほどの例でいけば用意どんでえスタートが同じであれば最終的なゴールテープを切る時に同時にゴールテープを切りましょうという結果がえ平等であるという場合はその途中

過程が評価されないのでえ例えば足の速さが著しく違う人たちがえそこにいた場合はその足が早い人は評価されないわけですねなのでじゃあ足が早い人はもう少しえスタートのスタートラインをもっと下げて

より長い距離を走らせるようにしましょうとした場合はこれは結果的にはあ全員が同時にゴールをするので結果は平等なんですけれどもそれは公平ではないですよねえなぜえ足が早い人だけ長い距離を走ら

なければならないのかこれハンディキャップですから能力のある人に対してハンディーキャップを仕るというのは公平ではないですよねなのでじゃあスタートラインを一緒にしてそして機械は平等にし

ますとなった場合は走る距離が一緒であれば足が早い人の方が早くゴールテープを切ることができるわけですけれどもそうなると結果は同じではありません足の早い人の方が早くゴールテープを切りますので

え結果に差が出るわけですねとなるとどっちを取るのかという結果が平等なのか機械が平等なのかということがぶつ使った場合にその中で折り合いをつけてえどちらも実現しなければならないといったような

ことというのがこの私たちの生きているこの社会における正義としてぶつかるわけですねこれがま社会正義としてえいろんなところでそうした観点からぶつかっておとど折り合いをつけなければならないと

いうことが起こっています先ほどのLGBTの観点から行けば生まれた時に男として生まれたしかしえ生きていくのには女性として生きたいあるいは男性として生きるんだけれども女の人ではなくて男の

人に対してえ性的思考があるのでえ自分はパートナーは男性としてパートナーを選びたいとそうなると婚姻という関係を結ぶ場合には相手は女性ではなくて男性と婚姻関係を結びたい結婚をしたいとかあるいは

お風呂に入る時にえ男女と分けられてはいるけれども自分は見た目は男だけれども自分のことは女だと思っているので男いうには入りたくないと男性からそういう性的な目で見られたりするような気分になるの

で嫌ですというのでえ女湯の方に入りたいですとなった場合に自分は男女と区切られた場合は女側としてそのの場所では取り扱いをされたいしかし自分は厳密には女として扱われるのも嫌だとなるとそう

いった場合はまた別の区分としての入る欲情というものを用意して欲しいとそういったような形でま意見というものもそれぞれが持つわけですね元々生まれた瞬間からあ男である人はずっと男になると

いうこれはスタートラインに対してえ自分は男で生まれたので男のまま行かないといけないしかし男で生まれたけれども女としていきたいこれスタートラインがフェアじゃないといった意味で自分は男に生まれ

たかったわけじゃない私はあ女として生まれたかったけれども男として生まれてしまったとなった場合はあスタートラインがフェアじゃないということによって平等じゃないという風に言うこともできますし

あるいはその最終的な取り扱い最終的なゴールとして自分たちが思う取り扱いにえなって欲しいということを主張すればそれは結果としての平等というものが議論の対象になるですけれども実はここも共通の

見解がなくある時には結果の平等を主張していてある時には機械の平等を主張していてそれぞれで取り扱いが違う場面というのが混在してしまうことになるわけですねすると議論自体がどっちを優先していて

どっちのことを話しているのかというのが当事者の中でも混乱してしまって分からなくなるということが起こりますこの平等という概念結果が平等そして公平という概念機械が平等これらの違いは条件が全て

同じであればま結果の平等というものが好まれますしかしそこに努力の余地があるそして努力が異なるということであれば公平が好まれますなので努力によって差がつくだろうという風に思われているところ

に関しては機械の平等というものが選択されやすく努力によって変わらないといったような部分であれば結果の平等というものが好まれるという傾向にありますでこの場合は個人に対してと集団に対してもまた

取り扱いの態度を変えなければいけないとという問題がありますえ例えば女性の部下を持っている上司まこの場合は分かりやすく上司の方をま男とした場合に個人としては性別に関係なく評価するということ

でえその部下の人が女性であったとしても男女を関係なく評価するという個人に対しては性別に関係なく評価をする必要があるしかし集団として考えた場合は女性特有のえ体調の変化ですねえ生理だとか妊娠出産

こういったものを考慮した上で評価をしないといけないとなりありますのでえ個人としての評価と集団としての評価というものが混在することになりますとなるとそれらを考慮した上で厳密な評価を下すと

いうことがどれほど難しいかこれが個人と集団で取り扱いの態度を変えなければならないというえ2つの観点をしかし相手は1人ですのでその人え個別の人に対して評価をしないといけないので個人的な観点

個人として評価する面に関しては性別は関係なく全てが平等で見ないといけないしかしその人はある集団に属しているということになりますのでえその集団として考慮しないといけないところに関しては

考慮しないといけないといったような二重の考慮というものが必要になるわけですねとなるとその結果下した評価が果たしてフェアなのか構成なのかというのを判断するのは非常に難しくなりますなのでえ

その結果を受け取った女の人側部下の側がこれはフェアじゃないという風に言い張った場合にそれが集団としての考慮をしてもらった結果に対していや私が女であるという部分を考慮されていないいう風にえ

言い張ってしまった場合しかし上司としてはそれは個人としての成果の部分を反映したところなんですよという風に説明をしたところでえそこが両者の間で合意が取れない可能性もあるわけですなぜなら2つの

観点を混ぜて最終的には評価として出さなければならないとなると例えば説明上はですね評価シートみたいなものを個人としての評価と女性であるということを考慮した評価というものを2つ別にそれぞれで

評価の説明というものを分けて出したとしてもですねしかしその上司の心の中でえ女であるということの評価をちょっと厳しにえ評価しているんじゃないかという風に勘ぐってえその評価の結果に対して不満を

言うということはいくらでもできてしまうわけですねえなのでここの評価が両者ともに納得がいく結果になるかどうかというのはかなりえ難しい微妙な問題になってくると思いますとなるとこの差別的であると

いったような相手に対しての観点に対して意義申し立てというのは本当にそれが差別から来ているものなのかあるいはあそれらを構成にしようとはしたけれども構成にならなかったというその個人的な評価と

集団に対しての評価というもののこの切り分けの難しさ混在してしまってる状態そしてそれを受け取った側いわゆる私は差別されているという風な言った側非差別者側からの観点というものこの2つも

折り合いをつけなければならないのでえそこがうまく擦り合うという可能性は低いと思いますなのでこの差別というものがなくならないというのは本当の意味での差別がなくならないではなくて差別という

ものの捉え方に合意がなされないということになりますでこれはえ幼少期からの教育でえカラージェンダーブラインドという人種や性別ではなくて個人を評価しましょうといったことを小さい頃から教育

をえちゃんとしてそしてえなるべく差別的な物の見方をやめましょうという教育を行えば行うほどですね実はこれがかえって逆効果になるという研究結果もありますでこのカラージェンダーブラインド教育をし

たことの悪影響としましては目の前で差別的な行為をされた人を見た場合え例えばアジア人が不当にな何らかの評価を下げられたとあるいはまもっと露骨にですね足を引っかけられて転ばされたといった場合

にそれが差別によるものなのかということを評価させた場合にそれを差別ではないという風にえ評価する割合が増えました要は差別に対しての感度が下がったわけですねえ差別的でないという風にえ判断する割合

が高かったわけですでなぜそんなことになったかと言うと小さい頃から人種や性別で評価してはいけませんよと教育をされればされるほどみんなもそうだと思うわけですねなのでこの世界は差別がないという

風に感じてしまい差別が起こっているというその現実差別じゃないかという風にえ感じる感度も鈍るわけですねなのでえ差別があることを見ても差別的であるという風に判断しなくなるこれは結果的に差別を

助長することになります自分自身も他者をを差別しているにも関わらず自分は差別をしていないと思う目の前で自分が差別をされたとしてもそれを自分は差別だと思わなくなるということで結果的にえ差別を

無視するようになるなので差別を助長することになるということによってかって差別が増えるということを引き起こすわけですなのでえ差別に対してえ敏感になるように教育をすればするほどそしてそれがいけ

ないことだという風に教え込めば教え込むほど差別というものをむしろ内がしになってしまうというまパラドクスが起こるわけですこれは常にその差別というものがどれなほどこう捉えることが難しいかという

ことのまいい例かなと思います差別をなくしましょうといった教育をすればするほど結果的にえ差別が見えにくくそして分かりにくくなっていくだけで差別そのものの実態というものはあ改善はしていか

ないとむしろ悪化していってしまうしかし人々は差別がなくなったと感じるそして差別はないものとされる要は現象そのものは変わっていないかないしは増えているにも関わらず人々の心の中の認識の中では

差別意識がなくなり差別はなくなったこの世界は差別のない社会だという風に思うようになる要は見えなくなっていくということですねこれはちょっとしたことでも差別だという風に言ってえみんなが差別に

対して敏感になってこの世界は差別まみれだという風に思うのかこの世界から差別がなくなった差別はもうない世界だという風にして差別の存在自体を無視するあるいは気にならなくなるしかし実態としては差別

はそのまま残っている増えているどっちの社会の方が望ましいのか私たちはどっちの社会で行きたいのかということですねこれはある種の逃避行動現実逃避であって私たちは問題があるのにないと思ってこの

世界は平和だと思っていきるのか問題があることについて悩ましく思いながらこの世界は地獄だ最悪だと思いながらもちゃんと問題を認識していくのか私はこの日本を取り巻くま世界と言ってもいいかも

しれませんがこの世界は問題まみれで最悪だ地獄だと思っているけれどもそれは正しくまだ問題を認識していて問題が見れているだけまだましかなと思ったもしますこれはそういった物の見方もできるという

ことで決してえこの地獄のような社会がいいという肯定している意味ではありません物の見方の1つとしてえ問題がたくさん見つかって問題まみれで最悪だなと思っていたとしてもそれはまだ問題が認識できて

いるだけまだ育分化増で問題が山ほどあって問題が実はいろんな人に対して不平等やいろんな辛い出来事辛い人生を送らされているにも関わらず大多数がそんなものはないと風にして無視していくないものとし

てこの世界は平和だなと思って多くの人にとってみて安心できると思っているような社会になるのか私たちがこう盲目的になってしまうような社会になるのかどちらの方が望ましいのかと言と私はそうした差別は

なくなるべきなくなった方がいいと思いますがここは差別そのものがなくなる差別のとしての実態がなくなるのか差別という概念差別という捉え方がなくなるのかの差は大きいと思いますなので今のこの社会は

リベラルな社会となってえ差別は良くないものだとそして差別ははえなくさないといけないとそしてどんどんとその差別に対する考え方差別というものをなるべくえ意識しないで済むような社会にしようと

いう風にすればするほど実は差別は本当の意味で減っているというよりも私たちがないものとして無視するようになっている可能性もあるわけですねなのでそこはちゃんと疑うべきでえ私たちは差別がない

と思ってるけれども本当にないのだろうかただ私たちの差別に対する感度が鈍ってそして私たちはみんなリベラルで安全でえそしてえ観葉で他者を至るような道徳的な考え方というものを洗練させてきたことに

よって他者を差別するみたいな愚かな行動は取らなくなっているんだと自分たちで思い込んでいるだけでえ実際には全然差別はなくなっていない思っているほどにはなくなっていないというようなことがもし

かしたら起こっているんじゃないかという目も持っておく必要があるかなと思いますこれがSNS上で直接顔の見えない相手や思い入れらない相手に対して140文字で攻撃ができるという今のXの状態とかです

とそこまでの思いをちゃんと考えるコールできることが難しいわけですねなので自分が相手に対して差別的な行為差別的な言動をしたりあるいは相手の真意を組みとることもせずに相手のことを傷つけたりする

ことに対して自分たちがやっていることも分からなくなっているということが起こりますでそれに対して相手もまた応酬してきたりした場合にあいつは差別的だという風に反論したりするそのそもそもの自分が実

は差別的な感覚で差別別的な発言をしているということに自分は気づいていないそれが報酬が始まると両者ともにそれが起こる可能性もあります差別的なことを言われたから自分もそれに対して正論を

ちゃんと自分の正義として正義感に照らし合わせて発言をしただけだしかし実態はそれは正義というよりも自分の偏見や自分自身の物差しで発言しているのでそれが差別になっている可能性もあるわけ

ですねなのでえ差別をしている人は自分が差別をしているということに気づきにくいのでなので差別はなくなったわけではなくて差別に人々が気づかなくなってしまったという可能性もありますこれだと差別意識

がなくなったある社会から差別がなくなったのではなくて私たちが差別というものがあまりにも複雑になりそして多様になり小さく小さくえその問題そのものが個別の事例で専門的になっていってしまったせい

で私たちが個別のそういった差別意識や差別に対する判断というものが複雑になりすぎた結果私たちの感覚が鈍ってしまってそしていつの間にか差別をしているということにも気づきにくくなっているという

そういったこともあり得るわけですねそうなると私たちはどうなっていくかと言いますと他者と繋がるのをなるべく避けようとしていくわけですねなぜならどこでどんな風にして上げ足を取られるか分から

ないその発言差別ですよという風にいつ言われるか分からないわけですね自分は差別をしてるつもりはないとそして差別だと受け取られるなんで思ってもなかったとなった場合にしかしそれが過去まで遡って

その発言を切り取られてこれって差別ですよっていういう風にいつ言われるか分からないいつ自分が加害者に仕立てあげられるか分からないとなるとその加害者にされてしまったというえ心情は自分のことを被害

者だと思うこともできるわけですねとなるとこれはどういうことが起こるかと言いますとあなたは差別をしているという風に自分が加害者だと言われたとしますすると自分はですねいやいやいきなりそんな風に

ま過去のやを持ってこられてしかもそれが差別だと言われても私はそれ差別してないし差別じゃないよそんな風にしてえこのネット上で代々的にたくさんの人が見ている場で大の場であなたを加害者だと言っ

てこられるなんて私は被害者だとあなたたちが言っているその攻撃え差別主義者だというような攻撃の被害者なんですという風になるわけですねするとお互いがお互いあなたがえ加害者で私が被害者だという

論調でお互いすれ違うわけですねそのやり取り欧州の中でま疲弊していきそしてその場合だとステータスを持ってる人の方が不利ですのでえそのステータスが既存されてえ今までの成果というものが

キャンセルされていくみたいなことが起こるわけですなのでそうなるといつ加害者と認定されるか分からないいきなり後ろから殴りかかられるようなもんですねえなのでそうなると危ないので人と関わらない

ようにする他者とのコミュニケーションをなるべく避けるようにしていくそしてそのような加害者だと認定してくるような人たちにはなるべく近づかないようにするといったような形でえ自己防衛をするように

なりますそうなると私たちが他者と繋がるといういわゆるオープンな社会というものはかって実現されにくくなりえ自分たちのことをより詳しく知っているそしてえ多少の発言のミスやまコミュニケーションの

捉え間違いみたいなものが起こっても観葉に許してくれる仲間とだけ家族や友人のいる小さなコミュニティの中だけでコミュニケーションをしようという風にしてむしろ逆に閉じた社会になっていくわけ

ですねなのでこのSNSが普及したことによって表面的にはオープンな社会になったように見えますが実際には分担が加速しており私たちは閉じたコミュニケーションの中でえ安全にコミュニケーションが取れる

といったことを私たちは経験したことによってえその閉じた社会の方に向かっていこうとしてしまうわけですね私たちが人生の時間が限られていてえ専門的に何かに詳しくなるというそれに使える時間も

かけられているわけですなので世の中にある全ての問題全ての異臭に対して全てに対して専門的になるほどの時間を満面なく使うことはできないわけですね時間は限られていますので何について詳しくなるかと

いうものも当然偏りがありますとなると自分が不得意なところや専門的じゃないところをつかれてそれに対して何か意見を言おうものならお前は何も知らないと素人のくせに黙ってろという風に封殺される

わけですこれは言論の自由が脅かされるわけですね専門的な知識がある人しか発言してはいけないという社会というのは専門的でない人はその議論に参加するなということになりますのでするとそれ専門家同士

の話し合いしかできないことになりますよねしかしその人は専門家であるかどうかという判定は誰がやるんでしょうか専門家同士で行うことになりますよねするとその専門家同士と言っているその当事者が両者

ともに専門専家なのかの判断はじゃ誰がするんでしょうかそういった形で専門家じゃない人が議論に入らないということは専門家であることも判定できなくなりますので結果的にはその議論の保証もなければ

そしてえその人たちが展開してる議論にえ専門家じゃない人は参加できない興味を持てない自分こととならないとなるので専門家同士の話し合いに収支するような社会というものはむしろ有害なわけですね

なので専門家じゃない人が発言をできそしてそれも自由にできそして専門家じゃないからという理由で発言をするなというようなま抑圧を受けないむしろ専門家じゃない人の方がえ活発に議論に参加しそして

専門家がそれはこうですよという風に補足をしたりあるいは修正をしたりえというような肝要な議論というものが必要なわけですなのでえこのま言論の自由というのは他者を攻撃するためにあるわけではなくて

議論を常に社会正義に照らし合わせてえ社会正義を擁護する形でしか言論ができないではなく社会正義そのもの自体もれるような疑えようなそうした言説や言論というものもえ正しく等しく誰しもが自由に

え発言ができえそして時には自分の価値観や自分の正義感とま一致しないような意見やあ議論というものも観葉にえ受け止めていけるような社会えこれが本来の望むべき完用な社会かなと思います今のSNS上は

その完用さというものがかなりえ限られてきています誰かが何かを言ったら言葉知りを捉えてはそれはこういうことだろうというマウンティング合点が始まりえそれによってえ何が得られたのかと言うとくだら

ないいくつにもスレッドがまたがるようなあ変なリプばかりでその結果何か前進したのかというと単に時間と労力を消耗しただけ消費しただけといったようなことが行われているわけですねでこれはま公園で

のターレのようにじれあってるだけでえそれ自体が楽しいですと言った人たちにとって見ればある一定の有益性はあるかもしれませんしかし本当に議論しないといけないこととか自由に言論を言わないといけ

ないっていうことは封殺されしまいえ常にじり合いしか行われないというようなそういった空間となりますとそこはもうもはや遊び場だと割り切れればいいと思いますとなると私たちの行場はどこなのかとなると

SNS上は実は私たちの実社会を反映した自由に言論が言える場では実はないということがそれで分かると思います私たちはこのネット上で繋がるではなくてやはり物理的な集まる場が必要なわけですね今

コロナによるようなパンデミックによってえ直接的な繋がりを持てるような場というのが一時的に制限がかかりましたでそれによって私たちは本当にリアルで集まれる場が本当は必要だったんだなと

いうことを改めて再認識させられたと思います私たちはやはり直接的に会ってそしてえ目の前で面と向かって話すとなるとやはり目の前にいる人の感情だとかそういった背景というものがあ言葉以外の情報

としても入ってきますのでやはり顔を合わせていない戦列上の140文字で攻撃をするえコミュニケーションを取るのとはまた全然違ってメトも使ってだとそういったこともちゃんと配慮して喋るようになり

ます顔合わせて話すということがある程度の欲しある程度完用であるということ態度をお互いに持つことになりますのでそうなるとお互いに理解を示さなければ会話コミュニケーションというものが成り立た

ないという特性を考えると一方的に言い放つようなあのようなSNS上の言論空間見せかけの言論空間よりもやはり物理的に集まれる場でえ私たちはコミュニケーションを取り交流を取るこれ

らが本当の開かれた場オープンな社会とものになるんではないかなと思います一見誰しもが議論に参加できるTwitterだとかFacebookだとかYouTubeだとかといったようなこう

いう空間はえ仕組み上はオープンには見えるんですけれども実際にその参加している我々の精神的な捉え方としてはむしろ逆でクローズになっていってしまうというパラドックスが起こるわけですがやはり

私たちは直接あって対話するこれらが実は私たちがキャンセルされないための生きていく方法かなと思います簡単にSNS上でキャンセルが行われてしまうというは私たちがあまりにもそのオープンなように

見えるそのえ情報空間をそのまま本当にオープンなんだという風に錯覚してしまって攻撃がいくらでもできるとそれにみんながどんどん加担して最終的にはキャンセルという形に間接的にでも加担してしまうと

いうことが起こりますがあこれはあ民主主義の原則から考えるとえ逆の現象が起こっているわけですマイノリティの一部の意見でえマジョリティを転覆させることができるとそして大多数の人がそれに合意

しているわけでもないのににまで合意しているかのように振る舞うことによってえそれによって信用を失墜させることができるといったようなまこれはある種の民主主義をハクする方法として考えれば

この最近のテクノロジーを使った1つの表現方法1つの社会運動と見なすこともできるかもしれませんがそれは決して生産的なえ社会として前進している活動には見えないわけですキャンセルをどんどん

することによって社会を良くなったのかと言われると私はそうは見えないわけですねなのでえちゃんと積み上げてえそして社会を良くする方向に向かうようにえ社会が機能するためにも私たちは今一度この

SNSや情報空間への向き合い方と本当のコミュニケーション本当のコミュニティ自分たちの居場所というのがやはり物理的な居場所がちゃんと必要でそうした集まる場がちゃんと必要であるというところを

改めて再認識する必要がありこれからの時代はま誰しもが発言者になる可能性がありそしてえ発言しなければならない発言した方がいいそして仕事をしていく上でも発言した方が有利であるという風にそうし

たこのネット社会におけるこのえ不特定多数に向けた発言というものが避けられない時代に入ってきますのでそこでの向き合い方スタンスというものは十分に体得しておく必要があると思いますで大

原則はこうした不特定多数に向けて発言をするような行為これがSNS上でのまXでのツイートだったりこういったYouTubeでの発言だったりは基本的に自分はこの発言する自分はですね

フェアネスを重視してるとえ構成であるということを十々意識してえそしてその基本スタンスに則った上で慎重に発言をしていますというスタンスはちゃんと見せてえ実行してください特定の人たちを貶める

ために何か発言をしていないかどうかということを自問しながら聞く側にとっても慎重に受け取ってもらえるようにちゃんと意識をしたあ発言そしてえ自分もそれを意識しているということを自覚しつつそれ

も常にえ表明しておく形で発言をしてくださいこれはあのこのSNS時代における基本的なスタンスになりますなのでえ自分自身が保守的な考えであろうがあるいはもっとリベラルをもっと加速させ

たような進歩主義の発想であろうが基本的にはこの社会は多くはリベラルな考え方でありえ私たちはその社会の一員である以上を基本的には発言はフェアネスリベラルであるということ大前提としてくださいそう

でないんであれば発言する空間へ発言する場所を発言する方法は変えた方がいですねえそれにふさわしいところでえ発言をするかないしはそれによってえ認められないというような社会的制裁みたいなものを

受けるようなことがあったとしてもそれはそのリスクがあるということを知った上でやる分にはいいかなと思いますがそうした反作用というものもありますのでそこは知っておく方がいいかなと覚悟しておく方

がいいかなと思います私たちはそうしたあの法ですねえルールとして国家が決めた私たちが一応同様したという形になっている法にさかれるということが本来のまフェアな状態かなとは思いますそれは種

主義的な発想としてのフェアかなと思いますがそれだけではなくて社会正義この社会を営む私たちが正しいと思うこと正義だと思うことでもさかれることがありますそれは信用とかあ評価という面でえそれら

でえ評価されることさかれることがありますがこの部分においてこのSNS社会ではその評価やそうした自分たちの信頼これを揺らすようなことというのがいつ何時どのような形でいきなりやってくるか自分

の不意を疲れるかは分からない時代になってきてますのでえなのでその辺りは注意をする必要があるかなと思ってます各いう私もその対象かなと思いますので私も十々気をつけなければなとは思っていますがまま

これからの社会を担う若者の方あるいは今すでにえ現役でえ成果を出そうとしている方たちは特に注意をしてもらえればと思いますこれはあくまでも振る舞い方の問題でもありますがあこの社会そのものがもっと

完用であるべきというメッセージにも受け取ってもらえればいいんじゃないかなと思います観葉であるというのはかなり難しいです自分が正義だと思ってるものとえそれ以外の他者が全く違う観点から正義

だと思っているものなので正義が複数ありそして価値観が複数ありただその中で社会全体としてどこに折り合いをつつけるのかという妥協をどこで持つのか自分にとっての妥協ラインはどこなのかということを常

にえ対話やそのコミュニケーションの中で変更を迫られる場合もあれば自分の中で常に判断をし続けなければならないといったことを求められる時代に入ってきていますので一度判断をしてしまってえ1度決めた

からそれで終わりではなく常にそれも修正を迫られ訂正をし続けるといったことを繰り返し続けなければならないのでそういった意味ではあの気が休まらないとは思いますがそういった時代に突入してます

えそういう意味では昔よりもずっと疲れやすいえ時代になったかなと思いますし現に多くの言論人がもう疲れたよと言って俺のことほっといてくれといったようなスタンスを取ってしまう言論人の方も最近

はよく見るようにはなりましたこれは自分の意見や主義主張に対してもうそれ以上考えるのは疲れたと言ってるわけではなくてそういった常にえさらされる修正を求められるスタンスに対して修正をし続け

なければならないそしてその修正が正しいのかどうかというものも毎回毎回考えさせられ続けなければならないそしてそれをどこまで認めなければならないのかそしてえその認めなければならない修正しなけれ

ばならないということにどこまで付き合わされるのかといったことに対してえ疲れてるという発言をされてますのでえなので皆さんこれからの時代は今まではそういったものを取り合わなくても良かっ

た時代からそこからは逃げられない逃れられないという時代にに入りますのでそのこういったSNSでのネット上の空間とリアルの自分たちの空間ですねまホームと思えるようなコミュニティや場所物理的な

場所というものを持っておいてくださいくれぐれも保立しないようにリアルな場がないとかリアルなコミュニティが一切ないということだけはそうならないように気をつけてもらえればいいんじゃないかなと

思います日本にはそうした集まる場が本当に減ってしまったと思いますみんなが自由に無料で集まれる場えこれがもう本当に今日本にはとても少ないのでえなので本当はそういう場の復活そういうものを作る用意

する必要があると思います図書館だったり公園だったりあるいは何らかのまカルチャーセンターだったり公民館だったりえ自治体が用意した場所でもいいですしあるいは商店街えだとか個人商店が

集まったあ何らかのショッピングモール的なものでもいいですしえそうした人々が集まれる場そしてえいつも顔を合わせるあるいは一言二言挨拶をするあるいは時には深い議論をしたりえお酒を飲んだりえ

食事をしたりなんらかのえレクリエーションや趣味を共に過ごしたりといったような気軽に集まれる場ですねえそれらの復活が必要かなと思いますなのでま私自身がそれをやるかどうか分かりませ

んがまそうしたムーブメントそうしたみを立ててる人がいればせか的に支援はしていきたいかなと思います私の著作こる技術まだ読んでいない人はAmazonでポチって買って読んでいただければと思い

ます今日もお疲れ様でしたDET

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