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私たちは『幸せ』について何にも分かっちゃいない

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このエピソードでは、「幸せとは何か?」について深く掘り下げて考えていきます。幸せや幸福感は誰もが求めるものですが、それを手に入れたと感じる瞬間は意外と少ないものです。幸せを感じるためには何が必要で、どのようにしてその価値を見出すのか。家族や日常の出来事を通して、「幸せ」の捉え方を考え直すきっかけになるでしょう。自分にとって本当に大切なものは何か、そしてそれを失う前に気づく方法について、一緒に考えてみませんか? [出版書籍] ◾️SF小説 基幹業務システムの黙示録:ERP量子の螺旋 https://amzn.to/4cEnZ08 褪せたエメラルド - Salesforceのエデン htt
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今回は幸せについて語ってみたいと思います今までのようにこう解説をしていくというスタイルではなくて私個人の考え方とか価値観についても少しえ触れていきたいなと語っていきたいなと思いましてえ今日

すごく漠然としたしかしみんなが最も興味を持ちそしてそこから逃れられないというテーマ幸せ幸福という概念えこれらについてえ私なりの意見考え方というものを述べてみたいと思いますまず幸せというものは

一体えどのようにして私たちが手に入れるようなものなのかその性質について考えてみたいと思いますが私たちは常々失って初めてその価値を理解するという意味においては日頃自分たちが一体どれぐらい

その幸せというものを感じているのか幸福というものを味わっているのかこれをその場でその瞬間に理解するというのは非常に難しいという性質があります例えば家族一緒にいてえそしてえ一緒にいる時には

鬱陶しいなとか面倒くさいなとかあそういったようなネガティブな感想を持つことも日々あると思いますしかしある日家族のその1人が急に会えなくなってしまう不吉ですけれども死んでしまうとか急にどこか

に引っ越してしまうとかこれら偶然的な要素があったとしてもその家族と一緒にいれない一緒にいることができないという風のがフにも起ってしまった場合その家族ともう2度と会えないとなってしまったら

その家族が身近にいてそして会える日々これらを実は幸せな日々だったんだなと思うこともあると思います子供が生まれそしてその子供が日々成長し1歳2歳3歳とこ年齢を重ねそしてえ小さかった頃から

大きく成長していくにつれ手がかからなくなりえ中学高校大学となっていくに連れて独り立ちしていくその成長を心強く思う頼りがいがあるという風に思思ったり自らの手を患わせることなく立派に成長して

いくことを嬉しく思うこともあると思いますが反面子供の頃の小さかった幼少期というものはもう2度と戻ってこないのであの頃の可愛かった子供の姿子供とたれている姿というものはもう2度と味わえない

わけですねなのでえ親としては子供が小さかった頃手がかかるなと思いながらイライラしたりその子供の世話をしないといけないという煩わしさをその当時は感じていたとしても大きくなった後に過去を

振り返ってえふと当時の写真を見たり動画を見たりした時にあの時にもっと一緒に楽しんでいればよかったな遊んでればよかったなそしてもっと愛しく思っていればよかったなという風に失ってから

振り返って気づくわけですね私たちは日頃多くのものを手にしていてそして多くの機械に恵まれているにも関わらずそれらに慣れてしまうともはやそれらのありがみを感じない幸福幸せというものは慣れて

しまうんですね私たちは幸福や幸せが一度きりのものではなくそれらが当たり前のようになってくるともはやそれ時代を幸せと感じなくなるというそういった私たちの精神的なメカニズム心理的なメカニズムと

いうものがありますそう考えると幸福というのは点でもないそして物でもないそして状態でもない幸福な状態というものがあるわけでもなく幸福という捉えどころのない概念え考え方私たちがこの幸福を

求めてしまうというここに実はその幸福のヒントがあるんではないかなと思いますこれ逆接的ですけれども幸福な状態幸福であるというのは幸福について考えることがない時とも言えます今自分は幸福かな幸せ

かなと考えて時というのはそもそも幸福ではないわけですね幸せの意味を考えてしまうその時というのは自分が幸せでない可能性があります幸せというものを味わっている最中というものはそもそも幸せと

いう概念について考えることもないそして逆に言えば幸せの時に幸せって何だろうって考えた瞬間に幸せなくなってしまうというそうした皮肉な状況というのが生まれてしまいますこの幸せ幸福というえこの

状態はよくそのネガティブな心理状態やポジティブな心理状態というものと感動されがちですえポジティブ心理学だとかポジティブでありましょうといったような文脈の中でいかにポジティブであるかと

いうことを強調したあそうしたま自己啓発的な文脈の中で言われるのはネガティブな心理状態をポジティブな心理状態として解釈しましょう再解釈しましょうというものですねえ例えば100円を落として

しまったそしてその100円を落としてしまったことを投げているその状態に対してポジティブな物のみ方をすれば100円落としたけれどもでも私は今日も生きてるじゃないかなので100円と自分の命だっ

たら自分の命の方がはかに大事なので100円を落としたところでえ自分が今生きていることの方が大事じゃないかそして100円を落としたことによってえこの100円を落とした100円をどこか

の誰かが拾ってえその人がその100円を有効に使ってくれるあるいは喜んでくれるのであれば自分が落とした100円も誰かのためになったかもしれないという風にえま無理やりこじつけですがえその

ネガティブな状態というものをまポジティブに置き換えるポジティブに捉え直すということができるまそのようにしてネガティブな状態も物の見方捉え方によってはポジティブにに見ることもできる

だろうというまこれはかなり強引な例ですけれどもそのようにしてえポジティブに置き換えていきましょうというものがありますしかしこれはあ実際にはあ警備なものであれば可能ですけどけれども人生の

もっと大きな文脈で考えた場合には実はあまりえそういった活用シーンというのはそれほど多くありませんそもそもネガティブになってる時にポジティブな視点を持てるほど余裕がないという状態の

方が多いと思いますそもそもこの状態をポジティブに置き換えなきゃいけないといったようなことをネガティブになって視野がすごく狭まっている時にそもそもそんなことを思いつくかどうかそのような

余裕があるかどうかそのような余裕がある時点でその人はかなりポジティブな状態だったりするのでなのでえこのようなアドバイスというのは現実的にはあまり使えなかったりするわけですねそしてこの

ポジティブな心理状態心理状況というものも実は先ほど言いました幸福は長続きしないといったのと同じようにな慣れてきますすぐに忘れてしまいますなので物事をどんな風にポジティブに捉えようという風

にいろんなあこうトレーニングをして練習をしてそしてえ嫌なことが起こった自分にとってネガティブだと思うようなことが起った際にそれをポジティブとして置き換えようという風にやったとしても

それ自体はえ実は捉え方としてそのネガティブな状態というものをちゃんと捉えていないえという意味においてはその瞬間気分は楽になるかもしれませんしえそこからポジティブに置き換えることに

よって今までと違う面から見れるという意味では有益かもしれませんが実はそのネガティブなことが起こった時にそれに対する反反応としてえポジティブにえ捉えるよりもそのネガティブに対してえ

ちゃんと正面から向き合うだとかああるいは自分自身にとってみて何が大事なのかというところに目を向けるなので目の前にあるネガティブネガティブに起こったことネガティブと思えるようなこと自体に

対してえ何か考えを置き換えるではなくて自分にとって何が大事なのかという風な部分をちゃんと意識するこれによって寝る前に起こったネガティブなことをま無力化していくというやり方ですね自分自身が

ネガティブになっているとかポジティブになっているとかあこういったことにえ最も大きな影響を及ぼすのは他人の心理ですねえ他者の行動や他者の心理が私たちはえ大きく影響を受けます集団心理というやつ

で周りの人たちがえ集団にえ思い込みというものをだという風に認識してしまいそしてえその集団大勢が行動してしまうこれによって私たちもこの行動の影響を受けることになりますがこの他人がどう

思っているのかということを私たちは常日頃から気にしてそしてその他人がどう思っているかということにえ影響を受けますなので気にするなという風に言われたとして他人からどう思われているか他人の

言うことなんて気にするなという風に言われたとしても実際ににそれを実現するのはかなり難しいですそしてその気にするなというそのアドバイスその意見というのは無関心であれという意味ではなく本当の意味

は他者と違っていてもいいという意味になりますなので他人がどう思っているかというのを気にしたとしても思っているからと言っても自分の意見と違うとか自分の価値観と違うとなっても別にいいと思える

かどうかですねでそしてえこの集団心理のこの状況から分かることがまたありますえ他人がどう思っているかというのは厳密には分からないということですねえそして他人が思っているというのも他人があまた

思っていますなので私がこう思っているということとえ目の前にいる相手がこう思っているということこれをお互いに推測し合っているわけですけれども相手がこう思っているだろうという風にお互いに

思い合っていたそのこう思っているの内容が実は実際とは違ってお互いがお互いで勝手にえ妄想をして幻想を抱きえ勝手に相手がこう思ってるだろうとお互いに判断しているとことも起こるわけですねでこれ

はある男性のエピソードでえその男性が子供だった時にそのおばあさんえ祖母ですねえとま食事に行くというのを月に1回こ定例にしていてえその祖母はその孫であるその男性と食事に行くというのをま楽しみ

にしていたということでその祖母は年金をなんとか切り詰めて欲しいものも買わずそして外食もせずそしてその食事に行くレストランに行くということを楽しみにして行っていたとで実はその男性はその

レストランがあまり好きではなかったんですねえしかし祖母はそのえ孫であるその男性がそのレストランに行きたいだろうと好きだろうと思って毎月毎月そのレストランを予約していたということです

ねしかしえ孫であるその男性はその祖母がそのレストランが好きだと思っていたとなのでその祖母がそのレストランに行きたいので自分ははそこに付き合っていたという風に解釈していたわけですこれ何が分かる

かというとそのレストランを予約したのはえ孫がま行きたいだろうとしかし実はあまり好きではなかったそしてえ孫である側もそのレストランのことが別に好きでもなかったとお互いにがお互い実は

レストラン好きではないけれども相手が行きたいだろうと思ってえ言っていたそれをその孫であるその男性が打ち明けたところなんだもっと早く行ってくれればよかったのにということで実際には

レストランに行くよりもそのおばあさんの家でえ手料理を食べていた方がお互いにとって楽しかったということが分かったわけですねでそれ以降ちゃんと自分が何が欲しいか何が好きかというのを自分の思い

も言うそして相手の意見も聞いてみるってことをするようになったというのがその男性が答えていたあ最終的な結論なんですけれども私たちはお互いえ相手の気持ちがこうじゃないかというのを勝手に

想像してそして勝手に推察してそして相手がこう思っているだろうという勝手な同調圧力みたいなものを自分たちで作り上げてしまう傾向にありますえ特にま最近だとSNSとかでまTwitterや

FacebookInstagramこのYouTubeもそうですけれどもある特定の人たちが声を大きくそして目立つような言説で何か過激な意見を言ったあそれに対していろんな人がリツイートし

たりえレスを投げたりして盛り上がってしまっているとしてもあそこに書かれている意見というのはこの社会全体の人の意見ではなくてある特定の一部の人だけがそのような意見を持っていて発言をして

いる発している可能性は十分ありますというかほとんどがそうだったりします私たち全員が例えば日本人全員がTwitterをアカウント持っていてえそしてそれらを日常的に使っているわけで

もありませんしFacebookもそうですね全国民に近い人たちがアカウントをもし持っていたとしても全員が全員発言して発信をしているわけではないですよねえなので私たちの意見というものは正確には

私たち全員がどのような意見を持っているかというのを把握することはできないわけですしかしある特定の一部の意見を見てえそしてそれらがこの社会全体の声だという風に錯覚してしまうということを起こし

ますこれはいわゆる作られた世論というやつで私たちはこのえ他人が何を考えているか実はよく分かっていないにも関わらず勝手にってこう思っているだろうこう思われているだろうという自分の中の他人

という幻想を作ってそしてその他人という幻想が自分を攻めたり自分に対して意思決定を迫ったりしながらそしてえその意見に自分は無意識的にも意識的にも影響を受け行動をしてしまうでその姿に対して

他者もまた影響を受けるということを連鎖的にえ行ってしまうということが起こりますえこの場合自分が一体何が重要なのか自分にとって何が重要なのかということを持っていなければ当然その他者がこう思っ

ているだろうというその思い込みに対して影響を受け続けることになりますなので私たちは自分にとって何が幸せなのかとかあ何を重要ししなければいけないのかというものを自分の中でえ常に意識して持ち

続けなければ簡単にその自分の中の作り上げた他人の影響を受けることになりますなので他人のことを気にするなではないんですねもっと他人のことを気にして本当に他人がどう思ってるかを確認をする

そしてそれと自分が違うということも認めるということですこれ日本人はあまり行わないことですけれども横目で見てえ他人の行動や他人の表情からきっとこの人はこう思うんだろうとかこの人たちはこう

いう風に感じてるんだろうというのを勝手に推測していきますでそれによって自分の中でえその他人という架空のものを作り上げてしまってえその作り上げた架空の他人がこう言っているというのを自分に

対して訴えかけることによって自分はその影響を受けてしまうってことが起こりますなので自分を強く持てという風にえアドバイスをされる場合はこれは他人のことに対して無関心であれとか他人の意見

を聞くなという意味ではなくもっと他人の意見を聞きそしてえもっと周りに注意を払いそして周りに興味を持ちしかしえその周りと自分は違ってもいいと思うことこれが大事なわけですね隣の人がこれをが自分

にとって大事だ好きだと思っているものそれと自分がこれが大事だこれが好きだと思うものこれは違ってもいいとみんなが右に行くと言っていても自分はえみんなが右に行くことを分かっているそしてみんなは

右に行くとなんとなく自分たちが望むものがあると思っているしかし自分は左の方がいいと思っている左の方に自分はチャンスがあるかもしれないとか自分が望むものがあるかもしれないと思うんであれば別に

自分は左を向いて左に向かったっていいとその他人と違ってもいいということこれがあ実は大事でなのでえ他者の影響を受けないということを完全に0にすることはできませんなので他人の意見を無理やりに

でも効かないとか関わらないとかっていうことをやればやるほど自分の中の幻想の他人というものは勝手に出来上がってしまってそしてその幻想の他人が勝手に自分に訴えかけてくるということを行って

えしまいますとなると他人の行動を全く気にしない全く他人の行動から影響を受けないということができないとなると自分の中の架空の他人というものがそのわずかな情報からだけでしか作られなくなって

しまうので隣の人が何か行っていても具体的にその人がどういう思いでそしてそれをどういう文脈の中で行おうとしているのかといったような背景が全く分からないのにその行動だけそのわずかな情報から推察を

してそして自分の中の他人というものを作り上げるわけですねこれが危険なわけです私たちは周りの人たちが何を考えていて何を大事にしていてえどのような方向に向かって向かおうとしているのかそして

それぞれが何を大事にしているのかってことをちゃんと分かろうとしていないちゃんと理解していないにも関わらずえしかし完全にそれを無視してにそれらを自分の中から排除することもできないと

なると自分の中の勝手に作り上げられた他人勝手に作ってしまう他者というものが自分の中で勝手に自分に対して影響を及ぼしてしまうということが起こってしまうということですねなのでえ私たちは

もっと他人に対してえ興味を持ちそして他人の意見も聞きそして他人の大事だと思ってるもの価値観ですねえに今も注意を払ってそれらを理解しつつしかしええそれが自分と違ってもいいと思えることですね

えこれがまず大事になりますなのでえ自分の頭で考えろとか考えて考えて考え抜けというようなアドバイスも実はま少しえ的外れになりますし逆に考えすぎるなもっと考えずにえ直感で動けというな

アドバイスこれもまたまといていないわけですね1番大事なのはいろんな視点があるということをまず理解してそしてそのいろんな視点を考えてみることそしてえもっともっと他の視点もあるのではないか

他の角度から考えられるのではないか今自分は見えていないだけではないか知らないだけではないかこういった自分がまだ知らないところ見えていないところにも視点というものがあるという風に考える

ことによって物事をま多角的に見ることもそうですしそれによって自分が1番大事にしているものと他人が大事にしているものというものがそれぞれやはり違うんだとで違っていいんだという風に思えるかどうか

思えるようになるえそれがま幸せに対して幸福感というものに対してえまず一歩進めるところかなと思います私たちは手元にあるものですものですら実はよく見えてません自分たちが持っている例えば技術と

か能力とか知識とかあ関係性とかあそういったものですらも日頃持っていて当たり前になってえしまっていてそれらが具体的にどんなものなのかというのを一方こからししかなかなか見ることができず他

の角度から見てみるということもあまり日頃からやらないわけですねなので実は自分の手元にはもうすでに十分恵まれたものがあるそしてえしかしそれをうまく活用できていないということも起こり得る

わけですなのでえ自分の今手元にあるもの以外のもの遠くにあるものを探しに旅に出るよりも実は手元にあるものを違う角度から見てみるとか今までとあ違う捉え方をしてみるということもやってみればあそう

いものをよりこう有効に活用できたり今までとは違う感じ方やあ実現それらを活用して何かを生み出す価値を生み出すみたいなことも可能になったりもします私たちはあの幸せやこのポジティブな感覚という

ものにもすぐ慣れてしまいますこれは当然ネガティブという感情にも多少は慣れてはきますがあのネガティブな反応というものはえ常に起こり続けると身の危険があるので実はポジティブなあ心理とネガティブな

心理だとどっちの方が慣れるのが早いかというとポジティブな心理の方が慣れるのが早くできています私たちの脳というものは危機に対して迅速に対処対処しなければ死んでしまいますのでえそういったま野生

の環境であればそういうことが起こりますのでなのでえ基本的にはネガティブな方にはなかなか慣れにくい状態にありますポジティブな方にはすぐ慣れますけれどもネガティブな方の方がなりにくくなります

なのでポジティブなこととネガティブなことが半々で全く同じバランスで身の回りで起こっていたとしてもポジティブな方には早く慣れてしまうのでえネガティブな方ばかりがあいつまでもこ慣れずにえ

感じ取ってしまうとなると同じ割合で起こっていてもその本人はネガティブな出来事の方が多いという風に思ってしまうわけですねそのように記憶してしまうわけですでこのネガティブとかポジティブとか

というその反応に関しては実はこのポジティブになりたいとポジティブな結果を得たいと思ったらあ当然ですけれどもそれに伴うえネガティブなことも受け入れる必要がありますまこの中でえ

この私の話を聞いている人の中で日常的にえ筋トレとかをしてる人がどれぐらいいるか分かりませんけれども自分が求める理想の体もっと筋肉をつけたいとか痩せたいとかって思った場合にはあそれにえセットで

くっついてくる苦しいこともやらないといけないわけです筋トレをしないといけないとなのでその筋トレをして苦しい思いをした結果としてポジティブな結果が手に入るとなるとポジティブな結果を得るため

ににその手前にあるネガティブなことこれも受け入れないといけないでこのネガティブなことは嫌かもしれません望ましくないと思うかもしれませんしかしその後に来るポジティブなことを考えると

それらはセットなわけですねでもしネガティブなことを全くせずにポジティブが手に入るような状況があったらどうでしょうか私たちは生まれた瞬間から筋肉がムキムキでえそしてえ体も完全にえ脂肪

が絞り込まれている体に生まれてそしてそれが一生続くとなった場合はどうでしょうか誰も筋トレなんてしないと思いますしそして私たちはその肉体であることも何の幸せも感じないと思います誰もが

そうだからですねそれは自分と人間にとってみて当たり前のことなので何も考えないわけですこれはどういう状況かもっとこう具体的な例を言いますと私たちま今の私はそうですけども指が5本ありますこれ指が

5本あってえとても素晴らしいことだなと多くのとは思わないと思いますしかしもし人間が指が5本ではなくそれ以外の指の数で生まれてくるとして5本になるために何らかの努力をしないといけない何らかの

トレーニングをしてそして指が5本を実現しなければいけないトレーニングを怠ったりトレーニングが我慢できない人は指が5本にならないと2本だったり3本だったりといったようなそういったもし生物

生命体だったとしたらこの5本あるためにえその努力をしないといけないと思うわけですねしかし愛に私たちはそうではありませんあらかじめえ指が5本という風にデザインされた私たちこの生命隊とちの

私たちはあこの指が5本あることのこの現象状態をポジティブには捉えないわけですねしかし事故で指をなくしたとか生まれつきえ指がならかのこう欠損をしているとかあそういった境遇になって初めて

指が5本あることのありがみというものが分かったりもします私たちはネガティブな状況がなければポジティブな状況を味わうことができないということですですのでポジティブだけを追い求めても実はその

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いるだからこそポジティブな状況を得た時に嬉しいと思ったりポジティブだという風な感情で迎え入れることができるわけです何かを食べて美味しいと思うこれはその直前に空腹感何かを食べたいという

ネガティブなその状態があるからこそその後食べたものが美味しいと感じるポジティブな心理状況になるわけですね欠乏しているというネガティブな状況があるからこそその後のポジティブてものが

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他人のことを見下したりえそして他人のことをあけばったりしているその人自体が他の物の見え方がをできていない可能性があるわけですそれは目の前前で頑張ってる人がその視野が狭いとしてえ取り組んで

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何らかの仕組みの中で個個人が力を発揮してえ何らかの努力をしようとしているそれらが組み合わさった時にこの社会として大きな価値を生み出していたりするわけですなので1人1人の視野はあこう

1人1人が取り組んでいるものごとに対しての視野は狭いかもしれないしかしそれらが組み合わさっているこの社会や文明えという単位で見た時には実はそれらがとても大きな力を持っていてえそして

ダイナミックにえこの仕組みを動かしているということもあり得るていう形を取っているわけですねでなければそのような大きな仕組みというものが全体としてないんであればそれぞれの人が1つの物事に

集中して取り組むということを継続できるわけないわけですねある特定のスポーツでとても努力をし続けてそして結果が欲しいと例えば私は野球でしたけれども野球選手プロ野球選手になりたいんだと思って私は

努力をしてるつもりでした高校からあその後アメリカに行ってえプロ野球選手になるんだメジャーリーグ行くんだという風にしてえその私の行動だけを見るととても視野が狭いように思うと思いますこの世界には

別に野球以外のこともたくさんありますしそして私の人生の当時のですね当時の私の人生の時間の大半をその野球というものに費やしてトレーニングもそうですし食事もそうですしえありとあらゆるものをその

野球を第1優先にしてえ全てのものを犠牲にしてえ取り組んでいたその私の当時の私の視点というものはとても狭かったように見えるかもしれませんがしかし野球というもの全体を見れば私のような人は他にも

いっぱいいるわけですそしてえそういった人たちがいるからこそプロ野球というそのメカニズムが維持されてえそしてえその中でえ高いパフォーマンスを出す人ファンから応援されるような人たちが出てくる

ことによってえそれを見るファンがまた現れてえそしてえファンがいることによってえスポンサーがつきえそこにお金が投じられえそして人々が応援をする感動するそうした場所ですねスタジアムなり放映

などがあそこにくっついてくることになりというこういったシステムとしてのダイナミックスが生まれているわけですねですのでえその目の前にいる人が努力をしていてえ視野が狭くなっているという風に

見たとしてもシステム全体として見た場合にはそういった人たちがそれぞれ組み合わさっていくことによってダイナミックスなシステムというものができていくわけですでなければ当時の私が

もしその野球というスポーツが全くプロというものもないそしてファンも見に来ないえそしてそのランクというものも特にないというようなもしスポーツだった場合にはきっとあそのようなフォーカスをして努力

をしようというところまでのモチベーションというものは維持できなかったと思いますそして他の人もそのように維持えできるような状態でもなかったと思いますですのである週その

ニヒリズムというのはそういったダイナミックスやそういったムーブメントやあというもののそのシステム全体としてどうなのかというところは実はうまく見れていない捉えられていないということを

思いますとある種その視野が狭いえま本人はそれに取り組んでいるわけですので視野が狭いかもしれませんそれに対してニヒリズムの人も視野が狭いそういうことは両方ともに視野が狭いということになる

わけですしかしどっちの方が本人にとって幸せと思えるようなものを手に入れる可能性があるのかとなれば私は視野が狭いと笑われても自分がえ成し遂げたいんだと思うことをネガティブなことを受け入れて

でもなんとかしてポジティブのものを手に入れようと生きている人行動している人の方がリターンとしてえ幸福感やを手に入れれる可能性が高いと思いますそれらをはめからあけ笑って自分も視野が狭いにも

関わらずあいつは視野が狭いなと俺の方が視野が広いぜという風に勘違いをして何も行動を起こさないような霊障主義よりもはるかに私はあ視野が狭いと笑われたってえその中でえネガティブなことを受け入れ

ている方がはるかにえ幸せや幸福感ても手に入れられると思います何が言いたいかというと結局のところ私たちは皆視野が狭いんです視野が狭い生き物なんですなので本当の意味で全て全体を捉えるというのは

相当な訓練やそして世界をもっと知ろというその行動をしない限りにおいては私たちの視野が広がる自動的に勝手に広がるなんてことは起こらないわけですねなのでえここは

あ私たちはあ常に謙虚になる必要があって私たちの知野は常に狭いもんだとなので私たちの視野は自分が視野が広まったと思ったとしてもそれは一時的な錯覚で常に視野を広げ続けようそして私たちが知ら

ない世界がある知らない角度があるなのでえ常にその知らない角度知らない世界知らない視点というものを疑ってみる得てみようと思う自分のこの視点だとか自分の見てるこの世界というのがある一面でしか

ないとそのようにして自分が捉えてるこの世界観ですらも一部疑いながらそしてその不確かな中で進んでいくとその中でもどこかで自分はネガティブなことも受け入れてそしてそのネガティブなことの先に

ポジティブなことがあるという風にどこかで覚悟を決めないといけないのでなのでえ視野が狭くなっている人に対して預け笑うよりもその視野が狭くなっているからこそパワーが発揮できることもありますのでな

ので私たちは他人がどう思ってるかとか他人がどう見えているかということを理解することそして素とすることしかしそのえ彼らが見てる視界や視点と自分が大事にしている視界や視点が違ってもいいという風

に思えることこれが大事なスタンスになりますなので私たちは自分が幸せかどうかそして他人が幸せなのかどうかこういったことに対して興味を持つこと自体はま否定はできませんしえついつい気になって

しまうものですけれども私たちが幸せだなと幸福だなと感じるには失って初めて気づくということでは幸福感や幸せというものは常に遅れてくるものだということもできるかもしれませんな何中の瞬間に

感じることもできますそれはネガティブなことがあってのポジティブなことという意味ではネガティブなことが先行しているわけですねネガティブなあま予測でもいいですけれどもネガティブな予測や

ネガティブな前提というものがまず初めにあってえそしてそこからポジティブな出来事が手に入った時にえ幸福感を感じるという意味ではネガティブなことが先行しているそこから遅れてやってくるという

こともできますしえ今手に持っているもの自分自身があもう当たり前のようにえ環境の中でも与えられているものこれらを失った時にあの頃は幸せだったんだなという風にして思い返してえ当時の幸せだった状況

というものを記憶の中でえ振り返ることでえ当時の幸せだった状態というものを後から味わうということもするわけですねなので幸せとか幸福というのはそういった差分の中でしか私たちは感じることができ

ないわけですそういう意味では幸せなものばかりえ幸福になるものばかりを周りその幸福な状態っていうのは維持できないということです常に私たちはこの差分というものが必要でなのでえポジティブを味わい

たい幸せになりたいという場合はえ不幸せなことや痛みえ辛いこと悲しいこと望まないこともセットで引き受ける必要がありそしてそれらを受け入れる必要がありそしてその先にあるいはその前にえ

ポジティブなことというものがああるんだとなので私たちはある週波のようなあものの中で生きていいますのでいい状態ポジティブな状態というものはあそのピークという意味では長続きはしませんが

あ長い人生の中でその波を何度も何度も起こすことによってえその幸福な状態幸せな状態を感じるチャンスというものを増やしていくそのためには不幸なこととかネガティブなことというものも当然同じ

ようにえ受け入れていく前提として持っておく必要があるということが大事になってきますで実際に痛い思いをするとか悲しい思いをするとかという具体的にその実際のリアルの場でえ何度も何度もそのような

ことを起こす必要はなく記憶の中や想像力の中でも私たちは十分そのえネガティブなことというものをえ自分の中で再生することができますので嫌なこととか悲しいこととかそういったものはもし体験して

しまうことが起こったとしたらですねそれらをどう捉えるかというその使い道ですけれども今後ですねえ何かいいことが起こったりえポジティブなことが起こった時にそれらを持続させるためにネガティブ

なことを思い出すというネタとしてこの不幸なことや痛みというものを記憶しておくするとそのポジティブな状態もこのネガティブだった時の記憶を持っておくことによっていかに今の自分の手に入れ

てるものや環境というものが恵まれているかということを感じることができるというそのネタとして持っておくわけですねなので幼少期に貧しい家庭や貧経済状況経済環境にいた子供の方が大人に

なった時の経済的な成功を納めた時の幸福度は高いわけです生まれつきえ裕福な家庭に育ち例えば大富豪の息子だったりえした場合にはもうその自分が子供の時の状態というのがピークでえネガティブな状態が

あまりないといったところから自分の人生というその長い時間軸で考えた時にえそこから徐々に徐々に転落していくというのが最も不幸なわけでですねなので私たちはこの差分の中で生きているということでは

えネガティブな状態というものをいかに記憶できているかによって私たちは今の幸せ幸福感というものをちゃんと把握して理解できるわけです戦争を体験している世代の人たちがもうこの世にいなくなって

いくあ戦争というものがいかに残酷でいかにえ無益でそしてえ私たちにとってみていかに有害かということを記憶の中でももう私たちは再生することができなくなって来ますなぜなら私たちは戦争を実際に

体験していないからですね映画で見たり誰かの話を聞いたりということでしかもう擬似的なですけどえ戦争というものを感じられないわけですともすれば日常的にそういったものを記憶しておいて思い出すと

いうことすらもできないわけです体験していないことなのでなのでえ日常的にそれを思い返すとか思い出すということは自動的にはなかなか起こらないわけですとなると私たちの今のこの恵まれた環境やそして

それらを今後も維持しなければならない維持しようと思うというそこに対しての思いというものはだんだんと薄れてきてそして日本はダメだとかあこの国はあもうこのまま放っておくとどんどんダメになっ

ていくといったようなその私たちのこの置かれてる環境のネガティブな面を見ては私たちが手に入れているこの恵まれた環境というものを正しく評価できないそういうことをえ考えてえしまうようになりますと

果たして私たちは具体的にどのようにしてこの平和というものを維持すればいいのかすらも何か捉え間違えてしまう可能性があります平和というものは決して自然的に与えられているものではなく先人たちが

勝ち取ったものでもあるわけですなので平和のために他者との衝突というものを起こしてでもえその後に続く平和というものを手に入れるんだという風にして命を落として命をかけて戦った人たちの後に

ようやく今平和というものが一時的に手に入っているという状態そしてこの平和というものは決して全く何もない状態から生まれているわけではなくてま極度の緊張状態の中の均衡している状態が一時的に

起こっているそしてそれがかなりえ広い視点で見ればあその私たちのこの幸せだと思ってるテリトリーの周辺にはですねそれを上回るような大きな力と力のぶつかり合いというものがあってえそこが

その内側は緊張状態にあるのでえ均衡している状態として平和に見えるだけその内側にいる私たちは平和だなと感じているだけでえ実はそれはその周辺にある強い緊張状態要は破壊するものと破壊するもの同士

がお互いにえぶつかり合っていてえそしてその力が均衡しているからその真ん中はあ全く右にも左にも動かずえ振動も衝撃もない状態というものが一時的にえ実現されているこういう風にえ平和というものを

考えるとその時にその片方の手をもし緩めたらどうなるんだろう私たちはあそういったことを本当は身を持ってえ考えて体験していかなければならないんですけれどもそうした記憶や体験というものを失って

いくこれから先の私たちは後から振り返ってあの頃は平和だったなと思うほどに私たちが平和に対しての考え方というものを正しく持てなくなってしまうそうした未来が来ることもあり得ると思っています

なので私たちにとってみて何が幸せかということは失ってみないと分からないという意味ではこの私たちが与えられているこの幸せというものをどのように定義すればいいかどう捉えればいいかという意味で

もやはり様々な視点様々な考え方というものを積極的に知ろうとしてそしてえいろんな視点やいろんな角度で物事を見れるということをどんどんとこう吸収してえ体現できるようになっていくこれこそ

が本当の意味でのその幸せというものに近づいていく幸せというものをちゃんと味わうことができるそうした人生にえ繋がっていくんじゃないかなと思います物事をある一面からしか見れないというの

は実は1番不幸なのではないかなと思いますのでえ是非えいろんな視点いろんな価値観そしていろんな人の意見えといったものを積極的にえ聞きながらそして自分の中で大事だと思うもの自分のの好きだと

思うもの嫌いだと思うものいわゆる価値観ですねえっと照らし合わせながらそしてえその価値観が時に変化したりえそして自分が大事だと思うものも時に変化したりしますのでえその都度その都度変化をして

いく自分と周囲の変化していくま他者の価値観こういったものも常にえ素としながら生きていくというのが最も幸せなのかなと思います最も無知であることが幸せであるといったようなことを言った哲学者

もいますがたくさん知れば知るほど不幸になるという風に言った哲学者もいますこの世の中がいかにえま不吉なことが多くそして残酷なことが多いかということを知っていけばいくほどこの世界のま汚い面

というものも同時に知ることになりそれによって悩ましていきこの世界を楽しめなくなる不幸になっていくといったことも起こり得るということを提唱した哲学者もいますがしかしいろんな物事をいやその

物事を見る時にいろんな視点が持っているということにおいてはある特定の残酷な出来事だとかそして悲観的な物事ばかりを見ていたというその人の視点はもしかしてえある意味では視点がまだ視野がまだ

狭かったのかもしれませんそういう意味では私たちは無限にえ視野を広げていくということはできないかもしれませんがそれでもやはりこう似たようなえ角度からばかり物事を見るのではなくて別の角度

から見るというのが大事かなと思います最近私はあのYouTubeでえ1つの動画を見たそれ以降は似たような動画がたくさん流れてくることにえ悩悩んでいますそれはある特定の視点を持ったことに

対してえ次から次に同じような視点似たような視点のものが流れてきてしまうわけですねそれによっていろんな情報を得た気にはなるんですけれども引いてみればいずれにしても同じような視点のものが

並んでいるので情報の量は増えたとしても視点は増えてないわけですこれはとても危険な現象だなと思います多くの人がこれほど情報が多くなったそして情報を取りに行こうと思ったたくさん取れるえそしてえ

どんどんと私たちは効率化されてえ短時間でえ多くの情報を得ることができてしまう時代において情報の量ばかりが増えて視点の量は増えないというむしろ偏っていってしまう自分と価値観が違うとか違う視点を

で物事を見ている人と触れ合わないそしてその人たちの視点だとかあ価値観を理解しようと思うと苦痛なわけですネガティブなわけです筋トレと一緒で今までの自分の動きと慣れたことと違うことを理解して

認めていこうとすると精神的な負担が増えるわけです新しいことを覚えようとしたり今まで触れようと思わなかったことを理解して覚えようと思うと相当な脳に対して負担がかかるわけですけれどもそのよう

にして私たちは楽に楽にどんどんと情報をこう与えられていくそれはあの自分自身で望でいるかのような行動を取っているわけですけれどもしかし実際には私たちの特定の物の見方特定の視点ばかりが強化される

という意味においては私たちはむしろ賢くなっているわけではなくて愚かになっている可能性があります視や視界がどんどんと狭狭くなり特定の価値観や視野ばかり強化されることになり他のに視点があると

か他に別の価値観があるということを触れる機会がなくなってしまうということになりますでこの点においては私だけじゃなく多くの人がもう気づけ始めていると思います1度自分が見たものや1度自分が

買ったものそれに付随するようなものばかりがお勧めで出てくるえそしてえ何も考えずにえスクロールをし続ければ同じようなものばかりが出てくるとしかし情報のパターン情報のバリエーションが増えて

いるのでなので一見たくさん情報が手に入っているかのように思えると例えば陰謀論が好きだという人に関してはアメリカの陰謀ロシアの陰謀中国の陰謀そういったものがたくさん流れてきますなので自分は

アメリカのことも分かるしロシアのことも分かるし中国のことも分かるしと思うわけですねしかし視点は全て陰謀論という陰謀めいたものに対して視点を持つという同じ視点を持っているわけです同じ物の見方な

わけですなので私たちは実は自分たちの視野がどんどん狭くなっているいるこの状態自体にも気づきにくくなっているなぜならたくさん情報触れていて多くの人の意見というものを一見聞いたように思う

からですしかしそれは頭数として情報の量として数として文字量として動画の再生時間としてはたくさん触れてはいますがどれもが実はえメタ的な視点から立てば同じ角度の同じえ視点のものにただ触れて

いるだけそして自分もその視点の一部としてえその中に組み込まれてしまっている自ら組み込まれていこうとしているということになってしまいますこれが今の私たちを取り巻く状況だと認識してもらえればと

思いますこれは何が危険かと言うと一見多様性だ多様性だという風に言いながらえその多様性だということのその真の理解というものはえ多くの人の価値観だとか多くの人の視点というものがあるということに

気づきましょうあるということを積極的にえ触れていきましょうということが本当の多様性なのであって自分たちと違う意見や違う考え方を持っている人の考え方を自分も持ちましょうということではありません

自分たちの視点というものが自分たちの価値観や自分たちの大事だと思っているものこれを他人と同じものとして扱いましょうという意味ではないんですね私たちは他人と持っている価値観やこの

重要だと思っているものは違って当然ですえそしてそれは他者も同じですえ他者も自分と違って当然と思ってもらってえいいとこれは多様性をま許容する世界ですけれも私たちは自分たちと似た価値観の人たち

とばかり接してしまうそして似た価値観の人たちとえこの世界というものを同じ視点同じ物の見方でしかしえたくさんの情報を得るという世界に入ってえいってしまいますのでこの世界にどれほど一体たくさん

の視点や価値観というものがあるのかということにすらも注意を払わなくなってくるとなので私たちが言っている多様性というのは実はごく限られた世界の人たちの世界の中の多様性しか見ていない可能性が

あるわけですねなのでそこで多様性の議論をしたところでそれって本当の多様性なのかなと言ったり思ったりするわけです例えば国籍や性別えこれらを多様なようにしましょうと言ったところでそれって国だ

とか性別まこれはジェンダーという意味ですけどでの物の見方人の区別というものはごく限られたところのパラメーターでしかないんじゃないか私たちの構成してるパラメーターってもっと他にたくさんある

はずでえそういう意味でえそれらのパラメーターが例えば表面的なパラメーターが全て同じだとしても私たちが大事だと思ってるものだとか価値観というものが違うことも全然あり得るわけ

ですねえなのでえ私たちはあそうした多様性を歌いすぎることによってえ表面的な多様性というものにごまかされてしまうことによってえ本当に大事なもの違っていていいという思えるものこれを注意を払わ

なくなってしまうという傾向がありますので多様性といういう言葉が生み出すのはあ単に数の多いステレオタイプを生み出している可能性がありますのでえ私たちが本当の意味で幸せになっていく幸福になって

いく上でそれらに惑わされてえこうあれば幸せなんだあこういう風になれば実現できるんだといったようなま間違ったその幸福感の達成というものにある種肩をはめられてしまうことによってえ自分たちも

その肩にはめられてる状態に気づかないまま進んでしまうってことが起こりますますのでえなるべくま視野を広げようとするそしていろんな視点を持つこといろんな価値観というものがあるという

ことを積極的に触れていく触れていこうとすることそういう意味では他人と積極的に関わる他人との意見を聞いていくそして日常的に一緒にいる人や自分と価値観が近い人だけではなくて自分と価値観が遠い

人とか日頃あんまり接さない人などにも目を向けてみるということがいいんじゃないかなと思いますましかしまみんながみんないろんな人と会えるわけではないので本をたくさん読むとかいろんな著者いろんな

筆者の考え方に触れるでもいいですししかしここもまた1つ問題が出てきますが本を書くような人というのはそもそもま特殊な考え方を持ってる人が多いのでえなので本を書かないような人え出版をしない

ような人の中にも多様な価値観や素晴らしい物のみ方を持っている人面白いえ視点を持っている人世界観を持っている人はいたりしますのでえなので本だけではやはりなく社会に出るだけでもなく

いろんなところでいろんな人がいますのでえ積極的にえ人と関わってみるといいんじゃないかなと思います私の著作こり技術まだ読んでない人はAmazonでポチって買って読んでいただければと思います

そしてえまたあま今週中にはあま33冊が4冊ぐらい出版しようかなと思っていますがあ今書いている小説はちょっとま色々自分で書いていてえ今まで書いてたものの種類延長とまた違ったアプローチで

ちょっと書いてみようと思ってますのでえ出来上がった際には是非楽しんでいただければと思います今日もお疲れ様でした[音楽]

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