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殺人犯の人権は守るべき?刑罰の裏に隠された哲学とは?未来の正義を考える-自由意志が刑罰を変える [ ポッドキャスト 自己啓発 成長 心理学 脳科学 podcast 人間関係 成功 潜在意識]

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今回のポッドキャストでは、「刑罰」というテーマを中心に、社会における正義とは何か、そして私たちが持つ自由意志と責任の概念について深く掘り下げています。まず、刑罰の歴史的背景や哲学的基盤について解説し、刑罰がどのようにして私たちの社会の価値観を映し出す鏡となっているかを考察します。さらに、世界各国の刑罰制度を比較し、各社会が異なる価値観や道徳観に基づいて犯罪と向き合っている様子を紹介。ノルウェーの「正常化の原則」に基づいた刑罰制度や、アメリカの厳格な「三振法」など、異なるアプローチを通じて刑罰の目的や効果について探ります。 また、自由意志の有無やその影響についても議論し、私たちが自分の行動にど
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今回は刑罰について解説をしたいと思います私たちの社会の根幹に関わる重要なテーマで少し重いテーマに聞こえるかと思いますこれは殺人班に人権はあるのかこれは他社の人権を侵害したものに人権を

認めるのかといったような議論深いテーマで散々様々なところで議論され尽くしているテーマでもありますがこの辺り一度え元々のこの刑罰という考え方から刑罰というものをまどのようにして取り扱えば

いいのかそしてえ世界中様々なところでえこれらケバというものを取り扱って実装していますその仕組みや効果についてえいろんな価値観いろんな取り組み方がありますのでまそれらも紹介していければと

思いますえ悪いことをしたら罰を受けるのは当たり前というこの考え方ですけれども多くの人にとって疑余地のない心理のように当たり前のように思うかもしれません

しかしちょっと立ち止まって考えてみると本当にそうなのかなと思う場面はありませんでしょうか私はこの悪いことしたら罰を受けるのは当たり前ですがあ様々なこの悪いこととかバツこれらが少し不安定な

定義でそして様々な解釈がまだ残されているんじゃないかというように疑問に思うことも今までたくさんありましたで私も日本の中でも様々な場所に立ち寄ることがありそして様々な生活や様々な価値観の

ある人と出会うこともありましたしあとは世界中アメリカインド中国そうした文化や背景の違う人たちとも交流をする中で価値観にかなり大きな幅があるその中でまどのようにしてえ一定の定義というものを

決めるべきなのか決める必要があるのかと仕事をする上でのルールだけでもたくさんの定義や受け取り方がありますのでこの刑罰というかなり重いテーマは結構慎重に考えなければならないんじゃないかなと

思うようになり今回ちょっとテーマとして選んで自分なりに調べてみましたまずこの刑罰という制度私たちの社会の価値観とか人間感というものを如実に反映していると思いますどんな行為を犯罪としてそして

一体どのようにして罰するのかまこういった決定にはその社会の道徳感え正義の概念というものが色こく反映されるというものですねなので私たちの価値観にあまり馴染みのない場所やそういった社会に入っ

た場合にはこの何を犯罪とするのかというところにも違和感を感じたりあと罰則としての罰があまりも重すぎると感じたり逆にえ軽すぎると感じたりこういったことも実際に自分たちの今いる社会と違う社会に

行った際に感じると思いますまサコンは移民問題始めまヨーロッパを中心にえま様々な問題がぶつかってて表面化していきえそうした衝突も鮮鋭化していますがやはりこの辺りはこの価値観の違いえここ

が犯罪とかあバツとかに対しての考え方捉え方が違うという面に関しても抑止力にならなかったり逆にえその犯罪を助長してしまうようなルールになってしまったりといったことも原因としてあるのかなと思い

ますじゃ具体的に体これらの問題がまどういったメカニズムなのかというところもえちょっと調べたものをお伝えできればなと思いますまかつてあの日本でもキリスト教の不教というものがま重大な犯罪だった

時代があります現代の私たちからすればま信じられないようなことかと思いますが当時の社会秩序や価値観というものを反映してえそのようなルールになっていたということですねで現代社会でも国によって

犯罪の定義というものがま大きく異なるということで同性愛が犯罪となっている国もあればタの使用が合法な国もありますでこの違いは一体何なのかというところからまず解説していきたいと思いますがまず

ですねえ私たちがあ何かをした時にま罰を受けるという刑罰この根本にある正義というものについてまずおさいしてみたいと思いますこれはあの別のエピソードでもえ正義とは一体何なのかということについて

考えて解説をしたエピソードがありますがまそことま整合を取るためにも一部おさい的なところもありますが見ていきたいと思いますえ正義ま悪いやつは罰されるべきだといったような感覚が私たちにもあると

思います古代ギリシャの哲学者プラトンですがその著書国家の中で正義とは各人がその本文を果たすことという風にま述べたわけですねこの考えを刑罰に適用すると犯罪者の本文とは罰を受けることだとそう

いった解釈も可能かと思いますえしかし犯罪の本文が本当に罰を受けることなのかどうかちょっと考えてみたいと思いますが実は社会に罰を与えた分を何らかの形で埋め合わせすることこれが本文なのでは

ないかといった考え方もできるわけですねこの2つの違いですが1つはバツを受けることもう1つがその補填をすることですねま報いるこということでえ罪を償うこれが本文これがまプラトンが言った各人がその

本文を果たすことというところに当てはめるとこの犯罪者はどちらが犯罪者にとって本文なのかというそれぞれのま違いですねがあります現代の修福的司法の考え方では犯罪を加害者と被害者の関係性

の問題としてえ捉えるとその関係性の修復を目指すというものがえ修福的司法となりますま例えば加害者が被害者に直接謝罪ををしてえ損害を賠償するといったようなプロセスこれらを重視するというのが修福

的司法というものですねニュージーランドでは青少年犯罪の多くがこの修福的司法の枠組で扱われていますその結果再販率が低下し被害者の満足度の向上などポジティブな影響効果というものを見せて

いますでしかしこれでもまだ疑問が残ります全ての犯罪にこの修復的司法が適用できるものどうかできない場合はどうするのか特に犯罪の中でも殺人のような取り返しのつかない犯罪の場合はどうすれ

ばいいのかここで18世紀の哲学者カトの考え方を見てみたいと思いますカトは人間を目的それ自体として扱うべきだという風に主張しましたつまり人間を単なる手段として使ってはいけないという主張ですねで

この考え方を刑罰に適用するとどうなるか関東によば犯罪者を罰するのはそれが社会にとって役立つからではないということですむしろ犯罪者自身が理性的存在として尊重されるためというものですね

言い換えれば罰を与えることで私たちは犯罪者を責任能力のある人間として扱っているという考え方ですねこれは一見厳しい考え方に思えるかもしれませんえしかしま逆に言えば精神疾患のために責任能力が

ないと判断判断された人を罰さないというのもこの考え方に基づいたものですねえ現代の刑罰制度について考えてみますと私たちの社会は本当に犯罪者を責任能力のある人間として扱っているかどうかという

問題ですね例えばアメリカの一部の州では三振法というものがありますこれは重大犯罪を3回置かますと終神経が課されるという法律ですねえこれは本当に犯罪者を理性的存在として扱っいると言えるかどう

かですね一方で北欧の国え特にまノルウェイの刑務所制度というものはまこれとは違ってノルウェイの刑務所というのはまるでホテルのように快適だと言われていますでこれは実は裏には深い哲学が

あるということでこの哲学は一体何なのかと言いますとえノルウェイの刑罰哲学は正常化の原則に基づいているという考え方ですねこれつまり刑務所内の生活をできるだけ通上の社会生活に近づけておくことに

よって受刑者の社会復帰を促進するという考え方でこれはこの背景にある哲学考え方というのは人間らしく扱えば人間らしく振る舞うようになるという信念ですねえ人間の本来の生き方本来のあるべき姿と

いうものを環境を提供していけばそのようになっていくであろうという期待これらがこのノルウェイの刑罰哲学の背景にある考え方ですねで実際際にこの方法はうまく機能しておりノルウェイの再犯率というの

は世界最低水準ということですこれは関東の人間を目的それ事態として扱うという考えの現代的な実践とも言えると思いますここに来ると厳しくする方がいいのかあるいは人間の本来持っているあるべき姿

というものを尊重するべきなのかこういう考え方がぶつかるようになります刑罰の目的とは一体何なのかこれはなる王法なのかそれとも犯罪者の構成と社会復帰を目指すものなのかでえこの問のえ答えと

いうものは社会によってそして時代によっても異なっています重要なのは私たちがこの問いを常に問い続ける必要がありそしてこうした取り組み方考え方も常にアップデートをかける必要があるという

ことですけれども私たちの社会のあり方そのものを規定してしまうことになりますでこれから考えたいのは私たちにその罪をどのようにして責任を負うその責任のま根拠ですねえなぜ私たちがその罪を犯した

という責任があるという風に言えるのかここは実は自由意思という概念と関係してきますでこれは昨今の農科学や哲学が議論をしてきたところでもありますが私たちに自由意思がないあるいは自由意思がある

これは農科学的な観点から私たちには自由意思がないのでではないかといったような投げかけから派生した責任論になりますがあここもちょっと考えてみたいと思いますえ自由意思と責任という問題についてです

ねえ私たちは普段自分の行動は自分で決めていると思っていますま言葉でも自己責任とか自己自得といったような言葉を私たちは日常的に使いますがこの言葉から分かる通り私たちは自分たちの行動や考え方こう

いったものは自分たちの意思にってそのようになっているという風に捉えています果たして本当にそうなのかどうかということこれらをえ疑問を定するような研究結果というものが出たんですねそれは

どんなものかと言いますとえアメリカの神経科学者ベンジャミンリベットが行った有名な実験があります彼は人が意思決定をしたと意識する約0.3秒前にすでに脳が決定を下しているということを発見しまし

たでさらにドイツのマックスプランク研究所の研究チームはこの時間差をさらに拡大して彼らの研究によると人が意思決定をしたという風に意識する最大7秒前にその決定を予測できる脳活動のパターンと

いうものが観察されたということですねこの実験結果が相て何を意味するのかというと私たちが意思決定をしたという風にこう自覚する思う瞬間その時点にはもうすでに脳が決定を下しているというような

ええ研究結果になったわけですね私たちの意識的な意思決定というものは単なる後付けの説明に過ぎないのではないかという可能性ですね意思決定はもう既にされているけれども私たちが意思決定をしたと

いう風に自覚できるのは遅れているとこの最大7秒遅れているということは私たちは石決定はもう特に住んでいるのにその後になってえこのような意思決定をしたんだということを後から自覚するといったですね

でこの発見は哲学的に見るとまかなり大きなインパクトがありましたなぜなら私たちの行動が全て脳の中の無意識な動き無意識な働きですでに決まってしまっているということになれば自由意思という

ものは果たしてあり得るのかどうかもうその概念自体が幻想になってしまうのではないかという風に許してくるわけですね今回のテーマであるえ刑罰にも関わってくるところがこの自由意思が存在しないと

なった場合私たちは本当に自分の行動に責任を終えるのかどうかもし自由意思がないのであれば私たちの行動の責任は誰が取るのかという問題ですねでこれは警報の根幹を許す問題になりますなぜなら現代の

警報体系は基本的に人間には自由意思がありそして自らの行動に責任を負うことが可能であるという前提の上に成り立っているからですねでこの問題について哲学者たちは多くの議論を重ねてきましたでえ

その中でえ意見が3つに対立いたしますでその3つですがそれぞれえどのような立場なのかということを説明しますとまず1つ目は両立可能論これはあの決定論全ての出来事は先行する原因によって必然的に

引き起こされるという考え方とえ自由意思は両立可能だとするえ考え方ですねえ決定論と自由意思というものは両立が可能だというこれが1つ目の両立可能論で2つ目がリバタリアニズムこれは決定論を否定して

人間には真の意味での自由意思があるという風に主張する立場ですねで3番目がハードデターミナントにはアメリカの哲学者ダニエルネネットががいますデネは価値

ある自由という概念完全な意味での自由意思は存在しないかもしれないえしかし社会的に意味のある自由というものは存在するとえつまり外部からの強制や脅迫がなく自分の欲求や信念に基づいて行動

できる状態を自由と呼べるのではないかということですねこの考え方に立てば例え私たちの行動が生物学的や環境的要因に大きく左右されると状態であったとしても社会の中で責任ある行動を取ることが

できる能力を持つということが重要であるということになりますで次にえリバタリアニズムこの立場は量子力学の不確定性原理などを根拠に人間の自由意思には本質的に予測不可能な要素がそもそも

あるという風にえ主張しますアメリカの哲学者えロバートケインはこの立場の代表的な論者ですえ彼は人生の重要な議論に立った時私たちは本当の意味で自由な選択をしているのだという風に主張するわけ

ですねでしかしこの立場には批判も多いというのも事実ですなぜなら量子レベルの不確定性がどのようにしてマクロなレベルでの自由意思につがるのかといったようなその具体的なメカニズムが明らかになって

ないからですねミクロのレベルではそうかもしれないけれどもそれがそのままマクロのレベルでも適用できるとは限らないといった批判ですねで最後にえハードの存在を完全にえ否定しますえこれはあの

この立場の代表的な論者ですがアメリカの哲学者ダークペレブームがいますえ彼は私たちの行動は全て先行する原因によって決定されているというもので真の意味での選択など存在しないという主張ですねあ

この立場が一見すると恐ろしくまひどい意見だという風に思うかもしれませんけれども実際には共感的で人狼的な社会につがる可能性があるという風に彼は使用しているわけですなぜならもし誰も本当の

意味で自分の行動を選択できないというのであればそもそも犯罪者を憎むことも意味がないということになるという主張ですねこれらの哲学的議論を踏まえた上で現代の刑罰制度についてさらに考えてみたいと

思いますがもしハードの意味での自分の行動を選択できないということですからその行動を罰するという考え方自体が意味を失ってしまいます本人がその行動を選択できないのになぜその

本人を罰することができるのかということですねこの場合は刑罰制度は純粋に交主義的なものだけになってしまうということでこれは社会の安全を守るためでえ犯罪者の再販を防ぐことだけを目的にした制度と

いうことで社会が良くなるために刑罰制度というものがあるのだという風になってしまうわけですねで実際にそのような考え方に基づいた刑罰制度をにしていこうというような提案も実際にはされています

例えばニューヨーク大学の哲学者グレックカは現在のゲーム所システムを完全に廃止して代わりに予防的高速と治療的介入の制度を設けることを提案していますこの制度では犯罪者は罰されるのではなく再販

のリスクがなくなるまでに拘束されてそしてその間に必要な治療や教育というものを受けますでこれは一見人道的に思えるような性提案ですけれどもしかしこの考え方にも重大な問題があります

例えば誰が一体どのような基準で再販のリスクを判断するのかまた犯罪を犯していない人でも将来的に犯罪を犯す可能性があるという理由で拘束されてしまうというリスクはないのかどうかここで私たちは

厳しい選択を迫られることになります自由意思の存在を疑問視する科学的証拠がある一方で自由意思を前提としない社会システムには大きなリスクは伴うということですねえこの問題に対してアメリカの

哲学者サウルスマイラスは興味深い提案をしています彼は幻想主義という立場を取りますスマイラスによれば自由意思は存在しないかもしれないが社会の秩序と個人の幸福のためにはあかも自由意思が存在する

かのように振る舞う必要があるというわけですねこれは一見知的に不誠実な立場のように見えるかもしれませんしかし私たちの社会のあり方を根本から覆すリスクを考えると現実的な解決策として検討に値

するのではないかという風に考えられるわけです実際この考え方は現代の刑罰制度にも部分的に反映されています例えば責任能力がないと判断された犯罪者を罰しないのはある意味で自由意思の幻想を維持する

ためための処置とも言えますここで重要なのは責任という概念を再定義することかもしれないということですねえ完全な意味での自由意思はなくても社会の中で責任ある行動を取る能力というのは育成できるので

はないかということですでこの観点から見ると刑罰の目的は罰を与えることではなく責任ある行動を取る能力を育成するということになりますこれは現代の構成プログラムの学的基盤とも言えると思い

ます例えばドイツの一部の刑務所では受刑者に対して心理療法や職業訓練というものを提供して社会復帰のための準備を徹底的に行いますこれは責任ある行動を取る能力というものを育成するというアプローチの

一例になりますしかしここでまた新たな倫理的問題というものが発生しますもし犯罪行為が脳の異常や環境要因によって引き起こされるということであればそれを治療するとかあ教育するということによっ

て変えることができるとなればそれは倫理的に許されるのかどうかということですねこれは個人の自由と社会の安全のバランスをどう取るかという比較的古い問題でもありますが現代ではそれが可能になると

いう可能性のこと考えると新しい問題とも言えます特に最近の脳科学の発展により脳に直接介入して行動を変える技術というものが現実みを帯びてきてえこの問題はますます重要になってきています例えば

系統外時期刺激という技術を使うと脳の特定の部位の活動を抑制したり促進したりすることができますこれを使って衝動をコントロールすることが可能になるかもしれないということですねえしかしこう

いった技術を犯罪者に強制的に適用するということは果たして倫理的に正当化できるのかどうかという問題ですねこれは新たな形の人権侵害になるではないかというものですこの問題に対する明確な答えはまだ出

ていませんが科学技術の発展と共に私たちはこういった新しいそして難しい倫理的問題にもえ向き合っていく必要があるということになりますでちょっとここでえま打線しますが先ほどの自由意思の実験に

関してのま私なりの意見ですねえちょっと補足として入れてみたいと思いますがこのベンジャミンリベットの有名な実験ですがあ人が決定をしたと意識する約0.3秒前にすでに脳が決定を下しているという風に

えそれを発見したというものですがえ実はですねえこの実験結果自体実はリベット自身もこの実験が自由意思の完全な否定を意味するとは考えていなかったあにも関わらずこの発表によってま多くの人が

自由意思はないんだという風に解釈をしてそしてそれを広くルフし私たちには自由医師がないといったようなそれは農科学的な観点からするとそうなんだという風ににしてえ農科学者を名乗る人からもまその

ような意見があ広く広まってしまったせいで私たちのは自由意思がないなので自由意思による責任能力はないそれはあの今回のような刑罰というジャンルだけではなく私たち人生そのものにおいても私たちは

自分たちで意思決定ができないんだとなので諦めなさいみたいなあまその諦めろとまではテーマとしてメッセージとして含まれてはいない場合もありますがまちょっとこの解釈この実験の結果を受けてあまりも

それらを拡大解釈しすぎているような意見をよく聞くことがありますのでまちょっとここは訂正をしておいた方がいいなと思う箇所ですので私たりの意見をちょっと説明しておきたいかなと思いますがえリベット

はまず完全な自由意思がないということではないとこれはあのまず1つはキャンセルできるという考え方ですねえ遅延した自由意思とかあるいは拒否権といったような概念を提唱したわけですけれどもま無意識

的な脳の活動がもし先行して決断をしたとしても意識的な精神が最終的にその行動をキャンセルするということが可能だという意見ですねつまり自由意思というのはその決定をするということではなくその無意識

が決定したものをキャンセルしたりブレーキを踏むという能力これがあるから自由意思というものはあると残されているといったことをこのリベットも言ったわけですね例えばあなたが無意識のうちに冷蔵

庫に手を伸ばしかけていたとしてその瞬間にあダイエット中だったと思い出してま手を引っ込めるえそえそれこそがま遅延した自由意思の働きと言えるというものですねえさらに自由意思を支持する別の議論も

ありますそれは意識的な意思決定というものが最終的な承認とかま調整の役割を果たすという考え方ですねま無意識のプロセスが初期の意思決定を行っているかもしれないしかしし最終的な行動を決定

するのは意識的なプロセスでありその意味で自由意思は依然として重要な役割を果たしているなのでそう意味では大きい目で見れば自由意思はあるという考え方ですねでこれはあのリベットの実験で測定され

た準備電位というものが本当に自由意思を否定するようなものなのかどうかという部分も含まれてきます多くの研究者はえ自由意思自体をですね単なる瞬間的な決定ではなくてもっと後半なプロセスとして

捉えてえ見るべきだという風に述べています長期的な計画とか反省とか価値判断とか様々な要素が重意思を構成しているわけですねでこの観点からするとリベットの実験が示しているのは自由意思の特定のえ

側面ある1部分だけですねえ特に即自的な決定に関係する部分においてのみえ主張しているわけでで自由意思全体の否定にはならないという解釈が可能なわけですね例えばあなたが大学進学を決意したそして

この決定は単に大学に行くというボタンを無意識的に瞬間的に押したわけではありません当然長期的な目標を設定してそして様々な選択肢を比較検討してそして将来の計画こういった複雑なプロセスを経て下さ

れた決定なはずですよねでこのような複雑な意思決定プロセス全体を0.3秒前の脳活動だけで説明することは不可能だと思いますつまりリベットの実験というのは自由意思の理解に重要な動作を与えてくれる

わけですけれどもそれがすなわち自由意思の否定につがるわけではないということですねむしろ自由意思がそれほど複雑であるとそして多少的であるといったことをま示しているということにすぎないなので

私たちが自由意思があるのかないのかという議論ではなくどの程度自由意思があるのかそして自由意思がないと見なせるようなシチュエーションというものも確かにあるかもしれないといったことの議論の

新しいテーマを投げかけてくれたあという風に受け取るべきだということですねそれを自由意思はないんだというところにまで一気に拡大解釈をしてしまいますと私たち自身の決断や判断というものを見誤る可能

性がありますのでかなり慎重に取り扱う必要があると思いますそしてなぜこのような話をしたかと言いますとこの刑罰とか責任の概念についてこの遅延した自由意思という概念が実は影響してくるであろうと

いうことを言いたかったわけですでまずこの遅延した自由意思の概念というのは犯罪行為における責任の問題に新しい視点をもたらす可能性があるわけですねえ例えば犯罪の衝動というものが無意識的に

生じたとしてもそれを抑制する能力いわゆる拒否権ですねえがあれば道徳的責任の基盤となる可能性があるわけですこの観点からするとえ刑罰制度の目的というのは単に犯罪者を罰することではなく

むしろこの拒否権をより強化してそしてより良い意思決定ができるように支援するためのもの刑罰があるのでなので衝動的に犯罪をしたいという欲求が出てきてもそれらをちゃんと拒否しましょうちゃんとそれ

抑制しましょうといったようなところに使えるようにしていこうというものですねえ例えば怒りの感情をコントロールするためのえ認知行動療法とか衝動性を抑制するためのマインドフルネス訓練などま

こういった介入が刑罰制度の一部として重要性を増すというそういった可能性もあるわけですそしてえ自由意思を長期的で複雑なプロセス数として捉えるという見方ですがあ刑罰責任の評価に対してまより

慎重的なアプローチを要求します単にその瞬間に別の選択ができたかといったようなまピンポイントで見るのではなくて長期的な意思決定プロセスにおいてどのような選択肢があってどのような考慮がなされた

のかということを評価する必要があるという物のみ方を迫るわけですねなので部分的にピンポイントでその瞬間他の選択肢がなかったのかではなくてもっともっと長いスパンでえ見た時に全体を見た時にその

流れ自体があ自由意思があったのかどうかえそのような意思決定にならざるを得なかったその他の選択肢を取るようなプロセスを作り出せなかったのかという風にえ捉え直す必要があるということですね

でこれはま裁判においてえ被告人の背景とか同期とか長期的な意思決定プロセスをより詳細に検討するというようなことをその裁判自体で迫ることができますので物事をそのピンポイントで見るのではなく

てえよりえ長く大きくプロセス全体として見ていくことが求められるわけですねでこれは段階的責任という概念にもつながりますつまり完全な自由意思が全くの決定論か自由意思があるのかといったようなこの

二項対率ではなくてえ状況とか個人の能力とかあるいはその超えてしまった間違った決定というのがあそれによってどれぐらいの責任というものをま応じなければならないのかといったようなその度合が変わる

という考え方ですね程度問題ということになります例えば衝動的な犯罪と計画的な犯罪では責任の度合が異なると考えることもできますでまた認知能力や判断力が十分に発達していない未成年の場合であればま

責任の程度を軽減するということも正当化されるというものですねでこのようにして自由意思に対する新たな解釈というのはより柔軟で個別化された罰制度の必要性というものを示唆しているわけですけれども

えここの状況に応じて社会復帰のための最適な方法を模索するという制度にででもありますしかしこれもまた新しい問題というものを生じさせてしまいますえ実際にこのような柔軟な制度というのは法の元の

平等という原則とどのようにして両立させるのかという問題ですねいわゆる個別化された対応というのは時として指的な判断になってしまうのではないかというものですね

これらの課題に対処するには科学的知見に基づいた客観的な評価によるま評価基準というものを作る必要があるというのとそれを適切に運用できる専門家の育成というものがえ必要になってきますで社会全体と

しても犯罪と責任に対する理解を深める必要があります自由意思と決定論という単純な二分法二項対立ではなくもっと複雑でそして慎重な見方を受け入れるような成熟した社会の地というものが求められる

というものですねでここまでが刑罰の哲学的基盤だとか自由意思の問題についてえ深く掘り下げてきましたが最後にま少し視点を変えて犯罪そのものについてえ考えてみたいと思いますフランスの社会学者

エミールデュルケムは犯罪を社会の正常な機能の一部だとしてえ考えました一見奇妙な意見ですけれども彼の主張はあかなり深い洞察からあ引き起こされていますえデュルケムによれば犯罪には以下のような

社会的機能があるとえ主張していますえ1つ目は社会規範の教会を明確にする2つ目は人々の道徳心を強化するで3つ目は社会変革の言動力になるというものですねつまり犯罪というものは社会にとって必要

枠でありむしろ健全な社会の現れだというわけですねでこの視点は私たちの犯罪に対する見方を大きく変えます犯罪を単に悪いこととして否定的に捉えるのではなく社会の価値観や構造的な問題を映し出す鏡

として捉えることができます例えば最近日本で問題になっている高齢者による万引の増加これは単に高齢者のモラルの低下として片付けていいのかどうかむしろこの現象は日本社会の高齢化や年金制度の問題

そして高齢者の貧困といった構想的な問題を反映しているその現れであるとそういう風に捉えることもできますでまたサイバー犯罪の急増も単に悪い人が増えたという風に捉えるのではなくむしろデジタル化が

どんどんと進んでいるという社会の変化そしてえ法律自体法制度自体がその変化に追いついていないという現状を反映しているというものですねこのようにしてえ犯罪を社会の鏡として見ることによってえ

私たちが抱えている社会の問題点だとか変化のきしというものを読み取ることができるというものですねでさらにこの視点は犯罪というこの定義そのものを問い直すきっかけにもなります歴史を振り返ると

かつては犯罪とされていたものが現在では合法化されているという例がたくさんありますえ同性愛え婚外えそして離婚そして一部の国ではタの仕様かつては犯罪だったものが今は合法になっているというものも

少なくありませんこれらの変化は社会の価値観の変化を反映していますつまり犯罪の定義は固定的なものではなく社会と共に化するということですねでここで重要なのは現在犯罪とされているものの中にも将来

的には社会に受け入れられる可能性のあるものが含まれているかもしれないということです例えば現在議論が進んでいる安楽師の問題えこれは多くの国でまだ犯罪とされていますがオランダやベルギーなどでは

一定の条件化では合法化されていますえそしてまた人口地のAIやバーチャルリアリティの発展に伴い私たちのこの社会自体も変化を迫られます新たな形の犯罪が生まれる可能性があります例えば

バーチャル空間での殺人はどのように扱われるべきなのかあもし私たちがえ例えばえっとメタパ私たちのアバターをこのメタパ空間に作ってえそこで生活をするというのはそれほど今の私たちのこの現実と

のリアリティに肉迫するものではなくやはりまだまだその作られたものだなという実感があるまだそのリアリティのレベルですけれどもこれが本当に私たちの現実と遜色ないといういう風に私たちが

感じるようになりむしろメタバースの方が私たちにとってみてリアルな世界なんだという風に人々が感じるようになった場合そのメタバリアプレミアムでそしてどのような未来を目指すのかに

よっても変わってくるということですねえつまり犯罪を考えるということは私たちの社会のあり方そのものを考えるということにつながりますえフランスの哲学者ミシェル風港の考え方を見てみると風港は

刑罰制度そのものが社会の権力構造を反映しているという風に主張しています彼の著書韓国の誕生では近代的な刑務所システムの成立過程を分析してそれが単に犯罪者を罰するだけではなく社会全体を

起立訓練型社会という風に変えていく手段でもあったということを明らかにしています風港の視点に立てば誰が刑務所に入るのかどんな刑罰があるかそれ自体が社会のあり方を表しているというものですね

例えばアメリカの刑務省人口の人種別構成を見るとアフリカ系アメリカ人の割合が極めて高いということが分かっていますこれは単なる偶然ではないえそれともえアメリカ社会に根深く存在する構造的な

人種差別の現れえとも言えるかもしれません日本の刑務所で高齢者が増えているという問題も単に高齢者の犯罪が増えたのではなく日本社会全体が高齢化やあるいは社会保障制度の問題を解決できていないと

いうそれらの繁栄なのかもしれないということですねえこのように犯罪や刑罰制度を社会の鏡として見ることによって私たちは自分たちの社会の姿をより鮮明に的確にえ捉えることができるかもしれないという

ことでこの視点は新たな犯罪対策のアプローチにもつがるかと思いますさらにこの犯罪対策のアプローチを押し進めていくとえ環境犯罪額といったような分野もありますこれは犯罪を個人の問題としてで

はなく環境や状況の問題として捉えるアプローチですね具体的には該当を増やしたり防犯カメラを設置したりすることで犯罪の機械そのものを減らすという環境を変えることによってえ抑制していくといっ

たアプローチえこれはえ我ま理論と呼ばれる考え方とも関連していますえ社会的法YEという観点からの犯罪対策というのもあありますえその場合えどのようにするかと言いますと犯罪者を社会から排除では

なく積極的に社会に放せしていくということで再販を防ごうという考え方ですねフィンランドでは出所者の社会復帰を支援するために住居や就職の支援さらには債務整理のサポートまで行っていますこれは

犯罪を個人の問題ではなくて社会全体の問題として捉える視点が現れているというものですねで今回は刑罰について哲学的そして社会学的な視点からあ色々深く掘り下げてみましたま正義の概念から

始まり自由意思の問題そしてえ犯罪を社会の鏡として見る視点までま幅広いテーマを今回え私も自身調べてえそしてえ意見としてまとめみましたこれらを通じて明らかになったのは刑罰というま一見単純に見える

概念これが実は実際にはかなり複雑でそして歴史的な変遷をえ様々辿ってきてそしてえ多くの議論を呼んでいたということですねでこの刑罰のあり方を考えるということはつまり人間とは何かそして社会

とは何かという根源的な問いにやはり行きついてしまうわけですえ今回のこの議論私が調べた結果やあとは皆さんが日頃思っていることなど何か新しい視点をもたらしたりえ皆さん自身が持っているま

別の視点ですねえが何かまたあ深いえ施策のきっかけにえなりそれによってえ何か新しいえ意見やああるいは反論等があれば是非コメント通でいただければと思います社会のあり方を問い直しそしてえより

明るい未来いい未来これを模索するえそしてそれらを構築するために私たちがどう行動すればいいのかえこのためにもまま1つ新しい視点としてえ刑罰というものを考えてもらえればいいんじゃないかなと

思います私の著作超技術まだ読んでない人はAmazonでポチって買って読んでいただければと思います今あQピッチで様々な本を書いています今同時平行でえ何冊か書いてたりしますのでえ1週間のうち

に何冊か連続してえ出版されるかもしれません単なる実用症ではなくSF小説とかああまり今まで書いてこなかったジャンルのあの書籍とかも今挑戦して書いていますのでえそれらまた機会があればお読み

いただければと思いますそしてえ今日のこのエピソードが気に入られましたらあいいねボタンチャンネル登録通知をオンにしていただければと思いますえ今日も長らく長い時間でしたけれどもここまで

聞いてくださりありがとうございましたまた次回の放送を楽しみにしておいてくださいではお疲れ様でした

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